[14]隣に立つ人⑤
「うん。……経過は順調だ、よっしゃ、おまえも時間内に他所に移せそうだな」
「……ご…めんな…さい」
小さてくて、か細い声が、包帯の間から覗く血色の悪い唇から洩れ聞こえる。
「ばーか。こう言うときは「ありがとう」って言うんだよ」
白い包帯に包まれた少女に元気付けるようにして髪を撫でてやる。
痛みきったゴワゴワの髪が、彼女の健康状態を表していた。
元は綺麗な金色だったであろう、少女の髪をわざと荒々しく撫で付けてやる。
ニッと笑ってやると、少女が、小さく顎を引いた。薄く開いた瞳の奥が安心したように見えた。
もっと眠っとけ。と言い残すとレンマはカーテンで区切っただけの病室から外に出た。
「レンマさん。あの娘の具合どうですか?」
「みんなと一緒にいけますか?あの娘は寂しがりやだから……」
「うぉ。なんだおまえ等!!病室では静かにしてろって言ってんだろうが!?つうか群れて近寄るな!暑苦しい!!」
外に出ると同時に質問攻めに会うレンマ。心配そうな声で聞いてくるのは、この大部屋の病人達と、娼婦達だ。
「アイタっ」
「ゲッフ」
群れてくる連中の中でも男だけを器用に狙って殴りつけていく。この場合、連中が病人だろうが気にしてはいなかった。
視界に写っていた男達が排除されるとやっと、やっと満足したように頷くレンマ。
「ふう。……まだ人口密度高いけど、こんなモンかな」
「こんなモンって……?………。」
後ろで、うずくまって痛みに耐える男たちが目の端を涙ぐませて、俯いた。鬱陶しさと暑苦しさがさらに上がっただけである。もちろんまったく可愛くはない。
レンマだけでなくその場の皆が嫌そうに男達を見つめていた。
「……えっと……そうだ!あの娘のことだよ。レンマさん、大丈夫なのかい?この中で一番、酷いんだよ。あの娘は長距離の移動に耐えられるのかい?!!」
ムサイ男から気を取り直してきいてくるのはオルタだ。
「あの娘が動けないってんなら、あたしはここに残るよ!」
「心配ないって、薬がよく効いてる」
「クスリ?」
キョトントした顔で固まる一堂。それも当然である。
「レンマさん。麻薬でぼろぼろになった体が治る薬なんてありゃしませんよ。……あなた、まさか、あの娘に麻薬を打ったんじゃないでしょうね?!」
フーっと牙を剥いてオルタが唸った。麻薬は打っている間だけ嘘のように体から痛みを消してくれるので有名だ。
オルタが勘ぐるのも無理はない。
でもな。違うんだな。例え不治の病であっても治す方法はあるのだよ。正真正銘の万能薬って奴がね。
「違うって。拓己に頼んでおいたソニステェル皇国の新薬だよ」
「よう、クスリ君」
宛がわれた娼館の一室で休んでいたタクミに向けられる妙な呼び声。
「……先輩。クスリ君っていうのはもしかしてボクのことですか?」
「当たりだよ。間違いなく、拓己は薬学史上最高の薬だね。まさに万能薬」
ニマッと笑って肩を叩かれてしまった。
タクミとしてはとても複雑だ。だって誉められているように聞こえないんだから。
「酷いな。ボクの力はただただ純粋に彼女から継いだものですからね」
「そりゃそうだな。だからこそ、拓己おまえは『豊穣の魔法使い』なんだからよ」
笑いながらレンマはタクミの瞳を覗き込んできた。
タクミが悪魔という忌避の存在を飲み込んだことを、頼もしく思っている。そんな目だった。
普通の、普通に生きてるある程度満ちたりた幸せな人たちなら軽蔑してくるんだろうな。
「先輩。ボクはティアラを食べてしまったことを後悔してません。……死にたくなかったんですよ。レインをただ見て、レインが生きていくのをただ見ながら死にたくなかったんです」
レイドゥースに会って初めてタクミは心の底から生きたいと思った。
頼みの綱であった魔術師シドの癒しの力も、肉体が死んで二年にもなるとさすがに効き目が薄くなってきていた。
あの時、レイドゥースが皇都へと旅立ってくれたのは、ある意味タクミにとってはついていただろう。
内臓から腐り始めていたタクミの死臭に気づかれずにすんだのだから。
本当にいいタイミングだった。
レインにボクのティアラとの契約の場を見られずにすんだのだから、あの時の獣のような自分だけはレインに見て欲しくない。だって、あの時ボクはティアラよりも禍禍しい悪魔みたいだったから。
「悪魔との契約法については聞いてるよ。信仰と人間性のすべてを捨てさせられるんだろう?その後で、自分のエゴをどれだけ取り戻せるかが契約の大きさだと聞いてる」
顔色の悪くなったタクミにレンマが聞いてきてくれた。
喋らしてくれる切っ掛けを与えてくれたのだろうか?たぶん、これはボクが言っておきたい事なんだ。
「……おまえは只の箱にはなってない。それどころかティアラを飲み込んだ」
真摯にボクの話を聞いてくれる先輩はまるで教会の神父のようで、まるで懺悔しているようだった。
「そうですね。あれは人を壊す試練だったのかもしれない。悪魔が入る箱を作るための」
悪魔との契約、レイドゥースと生きて行きたい一心でしがみ付いた一本の藁。
心の試練だと。契約前にシド爺は言っていた。
「おまえの覚悟なら、生きれる身体を得て地上に出てこれるだろう。三日間生き抜けたならば戻って来い」
あのとき殊勝に頷いた十四歳のタクミがまさか、大地の悪魔ティアラを喰らって出てくる気だとは思いもしなかったろう。
タクミは只、生きていたいんじゃない。レイドゥースの隣で生きていきたいのだ。
ただの人間では、レイドゥースに追いつけないことは子供の目でも確かだった。
契約場所はかの悪魔が死んだ大地の地下深く。
時間の感覚があっているなら最初の3日間は何も出てこなくて、酷く恐かったのを覚えている。
息苦しさと、密閉間、暗闇からくる想像の悪魔が絶えずタクミを襲っていた。
頭を掻き毟り、大声を上げて狂ったように叫んでもなんの反応も返ってこない日々に自分が生きているのか、死んでいるのかすら解らなくなりそうだった。
レイドゥース。彼女の名前だけを叫んでいた。
彼女だけを、思っていた。他者のように信仰していた神をたたえることはない。
タクミの神は、レイドゥースだけだ。
それが終わりを告げたのは唐突だったと思う。
衰弱して座り込んでいたときだ。気づけばタクミは暗闇の中に、自分の膝を認めていた。
ハッとして飛び起きると、次の自分の手のひらを身の前にかざして確認した。暴れていたときにあちこち傷がついたり、生きていることを確かめるために噛みつづけていた親指が半分ほどなかったが、酷くホッとしたのを覚えている。
そうしてやっと、気づいた。
この暗闇を見通せる力は、悪魔の力が備わってきた証拠だと。
あの時、心の底から笑ったと思う。
力を得ることに狂喜していた、それがあればレイドゥースに近づけると知っていたからだ。
巨大な地下の空洞のどこからかカサカサと生理的な嫌悪感を引き起こす毒虫が現れたのはこのときだっただろう。
二つ目の試練ということだったのだろう。
あの時は、ティアラに感謝した。
十日ぶりの食事がやっと出てきたのだから。
光のまったく届かない暗闇の中で生きつづけて出てきたときには激しくシド爺を驚かせた、とうに死んでしまったものと諦められていたらしい。
実に108日の長きにわたってあの修羅の庭に身を置いていたこをタクミはこのとき始めて知った。
出てきたとき、左手は肩口から、両足を踝まで腐り落ちていた。
ティアラが腐らせた大地を歩きつづけたからだろうか?両目も痛んでほとんど見えなくなっていた。
自身のあまりの有様にタクミは契約の受理が何処まで行ったのか、はっきりと認識していなかった。
教えてくれたのは、歓喜の声を上げて跪いたシドがうやうやしくタクミの右手を取ったときだった。
あのとき、タクミは豊穣の魔術師の王となった。
あのとき、タクミは他人の運命を変えてしまえる人間になったことを認識して笑いながら震えていた。
身のうちに、潜む力に震えていた。
「悪いことじゃないさ。…眠りについた悪魔を自分のために蘇らせたってな。最後までおまえが大地の悪魔ティアラをその身に抱えたまま行けばいいんだ。おまえが死んだときにティアラも、また転生していくだろうよ」
「悪いことをしても欲しいものがあるんです」
「なら……なにをしてでも手に入れて見せろ」
ボクの力は、信仰を失って受肉した神、つまり悪魔から奪い取ったもの。
だから、何もかもを癒すことができる。
大地の富と豊穣を約束していた神が残したのは癒す力。枯れた川を蘇らせ、朽ちた森を再生し、ひび割れた大地を再び繋ぐ。
そして、タクミはこれからの人生を生きるエネルギーを得た。
そして、それ以上の力も。
でも、まだ届かないものはある。
それは、他の神々の力への介入。この世界を支配する真の主人、神。その神の意志すら曲げられるそんな力が欲しい。
例え、不衛生な最悪条件下で過酷に働かされてきた者達でさえ、癒せてみせよう。
命が消えかけていようが、無理やり生かすこともやってみせる。
でも、届かない力もあるのは確かなんだ。
「おまえなら、きっと届くさ」
でもね、先輩の奥さんには、奥さんならもっと…。
「ユーリさんには、かないませんよ」
ユーリの名前にレンマの顔がニーーっと笑み崩れる。
「ユーリは別格。だって、オレの愛しの奥さんだからさー♪古臭い精神体なんかに歩く道決められたりしないの」
「ボクはユーリさんクラスの魔法使いにはまだまだ、遠く及びませんからね」
「って、拓己!!??……ユーリは今年で1265歳だぞ?見習い魔法使いのお前が適わなくも恥じることはないと思うぞ。とっても激しくね。それにユーリに比肩するやつなんか世界にいないし」
長い手を振り回してレンマが力説する。
「確かにいませんけど……この世界にいないだけかもしれませんよ?」
「また、オレ達が移動するってのか?……それはないだろ。あんなことが何回も起こられたら世界のあり様が狂いだすってのが奥さんの意見だよ」
「ほんとに……?」
「この世界から今更、消えられるかよ。オレはここで欲しいモノを見つけたんだからよ。………お前もそうだろ?タクミ」
ええ、先輩。
その通りです。四年前のあの時に始めてほしいと思ったその時から、ボクはレイドゥース以外を欲したことはありませんよ。
この世界から消えることには抵抗はありません。一度、故郷を失ったぼく等ですからね。二度無くして立ち直れます。でも彼女と、彼女と別れることだけは、精一杯の我侭で言わせてもらえるなら「嫌だ」と叫びたいです。
だから、ボクは更に力を求めますよ。
せめて、この世界で絶対の存在である神と並べるくらいにはね。
「先輩に追いつけるくらいには強くなって見せますよ?………魔女の騎士、伎桜練磨先輩」
挑むように目標として追ってきた男を睨むタクミにレンマが笑っていいかえす。
「おう。しっかり追ってこいよ。離されるんじゃないぞ?元歌舞伎町ナンバーワンホスト、レン兄さんの男振り、ちゃーんとその目に焼き付けとけ」
「それは、そうと仕事だ。拓己」
「仕事?……あの悪魔が起きるまでやることはもうないんじゃないんですか?……そのために一年も前から復活ポイント絞り込んでいったんじゃないですか」
「リシト関係の仕事じゃないさ、オレの経営上の問題。ただ飯ただ宿ってのも気が引けるだろ?ちょっと手伝え♪」
……昨日の晩に薬代わりにされたじゃないですか。とは、言っても無駄だろう。
だって先輩、すっごい嬉しそうな顔して近づいてくるし。
「ど、どんな仕事なんですか?先輩?できればお手柔らかにお願いしたいんですが……」
なんど無害で柔和な笑みのまま、無理難題を押し付けられたことだろうか?
先輩、決めなきゃらないときはビシッと決めてくれるけど、それ以外はケッコウむちゃくちゃするんだよな。
この心の声がルクスと届いていたなら、彼も言うだろう。
「ボスも、ケッコウ無茶を地で行く人じゃないですか?」ってね。
もちろん、タクミはレンマに毒されつつあることには気がついてない。
「な~に簡単なお仕事さ、拓己にとってはね。まぁ、お前にしか出来ないけど。…実は屋根裏部屋になマネキンを百体ほど買い込んであるんだ」
そのまま、レンマはタクミにニヤッとした笑いを見せる。
最高のペテンを思いついたときの詐欺師に似ていると思う。
「ここの女の三分の一は先にオレの本社に向かわせてるんだがな、残りの連中も今日中に移動させるつもりだ。そこで、問題になるのはやっぱりカラッポの花街。女しか、商売がないような街だからな、さすがに女が一人も居ないのはうまくない。……そこで、マネキンだ」
わかるだろ?っと、レンマがタクミを見つめている。
「まさか、……ボクに女の人を産み出せって言うんじゃないでしょう……ね?」
「はっはっは。解ってるじゃないか拓己。言っとくが語尾を可愛く言ってみてもやってもらう事には変わりないぞ」
後ろを向いて逃げ出そうとしたタクミの襟首をガシっと捕まえたまま屋根裏部屋へと引き摺っていくレンマ。
「いやです!!女の人なんか作れません。細かいとこまで解るようなっていうか、そっち方面のことがボクに解るわけないじゃないですか!!?」
レンマ先輩じゃないんです!!
そっちはまだホントに子供なんだからって、あああーーー!!
嬉しそうにニヤツクと思ったらやっぱりこんなこと考えてたのか!!いやだ。ただの女の人ならともかく、そっち方面の女性を作るなんて無理だ。
っというか、そんな知識を植え付けられたくない!!
「心配ないって、実技担当はオルタだ。アイツはカナリ床上手らしいからな、そのテクと動き、それから肉体の構造をバッチリトレースすれば問題ない」
「やだ。いやだ。絶対やーーだ。助けて~レインお嬢さまーーー!!」
「はは、据え膳食わぬは男の恥って言うだろう?頑張って覚えろ」
「食わされる身にもなったくださいーーーー」
ポーーンと屋根裏部屋に恥ずかしがるタクミ(勘違い)を放り込み、オルタを部屋に入れるとレンマはとても満足したように頷いた。
「やっぱ、本番で初めてだと焦っちゃうもんなー。しっかり練習しとかないと悲惨なことになるぞ、拓己」
夜にかけては、拓己の追随を許さない男、伎桜練磨。
彼が昔、やっていたのはただのホストではなく出張ホストだったことまでは幸か不幸かタクミも知らない真実であった。
これから数時間の間、仮初の命を吹き込まれたドールがぞろぞろと屋根裏部屋から降りてくるまでの間、拓己がその貞操を守りきれたかは、オルタと拓己の秘密である。
「どうだった。やったのか?オルタ」
「ふふふ。タクミ君に黙っててくれって泣いて頼まれちゃったからレンマさんにも言えないわね♪」
何気に敬称が「さん」から「君」に変わっているのが意味深だ。
「おお、やったのか?!これで拓己も男になったんだな?」
「さぁね~。どっちかしら~♪」
「止めてください!!二人とも!人形は出来たんですからもういいでしょうが!!」
何時もの冷静さがまったくないタクミが真っ赤になりつつ大声を上げて二人を追い散らす。
暫く、タクミがこのネタでからかわれつづけたのは当然のことである。
産み出された女たちの能力はとりあえず、思いっきり手抜きで大量生産されたために床技以外なにも持っていないというタクミにとってなんの意味もない代物であったが、レンマは「上出来、上出来。これだけできりゃー、馬鹿な男どもは納得する。ちょいと変わった趣向だと勝手に勘違いするさ」と、笑っていた。
事実、火の灯らない宵闇の刻になっても苦情はまったく来なかった。
そのお陰で、この夜エティマの花街から人間が消えたことまったくきづかれはしなかったが……。
「はぁ、男ってやっぱり…………………馬鹿なんだな」
なんとなく、悲しい。タクミ18才、ただいま初恋中。