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[12]隣に立つ人③



「ねぇ、ルクス」


 と、呼び止められたのはオレがボスを見送ってから一仕事してアンスカレット家に戻った二十分後のこと。


 オレが誇りだらけの体とその体に染み付いた肉の腐ったような悪臭を風呂で洗い流して、きちっとした執事服を着込んで部屋を出た一秒後のこと。


 うゎぁ、お嬢さん。貴女、オレが出てくるの待ってたんですか?御屋敷の中の奴ならともかく、他所でやったら勘違いされますよ。


 まったくこれだから純粋培養なお嬢さんは……。


「なんでしょうか?お嬢さま」


 内心、呆れながらもニコリと笑って応対するのはシドさんの仕込みとお嬢さんの後ろに見えるボスの影からだ。


 屋敷内にはボスのシンパが何気に多い、無礼な態度をとっていたところを後でチクラレたらオレに明日はないだろう。……ブルブル。


「あのね、ルクスはタクミと一緒に出かけてたんだよね?」


 上目遣いに聞いてくるレイドゥース。しかも、質問が確認系なのはルクスがタクミとともに出て行ったことをすでに誰かから聞いていたのだろう。


 うぁ、これじゃ否定できないじゃないか。


 レイドゥースの弱々しいが確信をもった態度がルクスの逃げ道を塞いでいく。


「それでね、どうしてタクミは帰ってこないの?」


 もろに、どうして帰ってきたのがオレだけなの?って感じだな。


「……タクミさんは、その……ちょっと人に会う約束があるといわれて…まだ、他国に居られます」


「約束って、誰と会うの!?」


 約束があるのはホントの事であって、まあ、これくらい言うのは良いだろうと思ったルクスだが、こう、突っ込んでこられると困ってしまう。


 参ったな~。


「昔の知り合いだとおっしゃってましたが……」


「その人って……女性?」


 あら、お嬢さん。心細そうだったり、真っ赤になっちゃったり、ほんとに忙しいね~。


 しかも、聞くところはちゃんと聞いて来るんだ。


 ドス黒裏街道をひたすらに爆進してきた自分も本心から可愛いと思えてしまった。


「大丈夫ですよ。たしか落ち合う場所はジクリアのエティマです。花街として有名なとこですからね。まさか、そんなところで女性と待ち合わせはしないでしょ」


 はははは、と笑っているルクスは掛け値ナシに良心から教えたのである。


 『花街』という言葉に固まっているレイドゥースに気づいたのは、どこからか現れたシドさんにド突かれた後だった。













「まったく貴様はなんということをお嬢様に教えるのだ!!」


 そんなこと言ったってオレ、花街生まれの裏街道育ちだからね~。あの程度はオッケイだとおもったのよ。


 痛む肩口を擦りながらルクスはシドの説教を受けていた。


 お気楽モードで笑ってたらイキナリ首筋に殺気を感じて、なんとか身体をずらして肩で受けたのだが……あれは、首筋に入っていたら死んでいたのではないだろうか?


 振り下ろされた手刀は、ボコっとイヤな音を残して肩を抜いてくれた。


 激痛に脂汗を浮かせるルクスをほおってシドは固まったままのレイドゥースの背中を押して去っていった。


「ささ、お嬢さま。あちらにお飲み物を入れておりますから……」


 ちょっと、まてオッサン。とか言いたかったね。


 そして、何とか肩入れて執事室に引っ込んで、……隠れて涙を流していたら!


 再び、シドさん襲来。そのまま延々と説教ですよ。


「はぁ~。気疲れしちゃうよ。やっぱボスにくっついていきゃあよかったかも」


 たとえ、あの人が地獄に降りたのだとしても……。


 クドクドと続く年寄りの長い説教よりはましだと思えた。











「……は、花街って言うとやっぱり、女の人のいるとこで……。」


 シドに連れられて半ば意識を飛ばしながら戻ってきたレイドゥースの私室。


 椅子に力なく座り込んでいたレイドゥースが言葉を発するほどに自分を取り戻したのはテーブルの上に置かれたハーブティーが冷め切った後のことだった。


 頭の中を『花街』『可愛い弟』『女の人』『大人な街』『タクミ』『伽』などなどエンドレスに回転しつづける意味深な単語の数々、それが繋がって文章になるまでにそれだけの時間が経っていた。


「タ、タクミも男の子なんだから、その……そっちも興味が出てくるのは、と、当然よね」


 顔を、赤らめつつそう言った瞬間。


 レイドゥースは丸テーブルの上に突っ伏した。


「…………。ヤダよ~」


 男の人も女の人も性欲って言うのを持ってるのは知っている。


 カマトトぶるつもりは、レイドゥースにはない。


 皇都での生活では、レイドゥースも色々な一般知識を増やすことができた、シド爺あたりなら雑学と切り捨てるような下々なことも、色々な人間の集まった皇都では知る機会を得ることが出来たのだ。







「男も女も、たまには体使って遊ばないと溜まっちゃうのよ」


 そう言って、カラカラと笑っていたのはミアンだった。


「殿方は、その……望みに……忠実な人が多いんですよ」


 奥手だと思っていたトリアにすら、恋人からはよく求められたと聞かされて驚いたのを覚えている。









 そうなんだ。男の人も、女の人も人肌が恋しいときがあるのは解ってる。


 タクミも、もうすごく立派な、そして素敵な男性なのだから、そういうことを求めることもあるかもしれない。


 それでも……。


「ちがうよね。……タクミ」


 大事なモノを他人に貸し与えてしまった後の、どうしてあんなことをしてしまったのだろう?と情けないような空虚な気持ち。


 どうしてだか、解らないけど……とても、悲しくなってしまう。


「早く、戻ってきて」


 言葉尻が擦れてしまう、なぜだか瞳の中に透明な蒼が満たされてきたが、そのことにも、その意味にもレイドゥースは気づかない。


 レイドゥースの中に芽吹きだした小さな華、本人が気づくほどに美しい大輪となるのはまだまだ、先のようである。















 花街という街の昼間は案外、静かなものである。


 メイクを落として髪を上げた娼婦たちが、店の裏口を闊歩している。


 夜の街しか着たことがない者が、見たら夜の幻想を幻と正しく認識させてくれるだろう。


 普通の人たちより少し遅い彼女達の朝に入ってきたのはこの場に似つかわしくないキッチリとした一人の男性。


「わっ、どうしたんだい?兄さん?!こんな早くからこの街にくるなんてさ」


「時間、間違ってるよ?まぁ、兄さんみたいに格好いいなら今からでもお相手するけどさ」


 男の端整なマスクと細身のしまった体つきは、服の上からでもプロの目を引いていた。


 矯正とはやし立てるように絡んでくる、その行為が商売抜きなのは明らかだった。


「ちがいますよ。人に会いに着たんです」


 笑いかけながら、一番年かさの娼婦に目を向けた。


「近頃、代わった貴方たちの新しい主人に会いに来ました。タクミが来たと伝えていただけませんか?」


 娼婦たちの目が一瞬、スッと細まったのが解った。


「あんた……なに者だい?」


 静かに恫喝する、弱い立場の女性達。しかし、彼女達の中に弱さは見られない。


 そのことに少し、嬉しくなって笑いつつ青年が言った。


「同郷の者です」









 警戒するように女性達に両方から手を絡まれたままタクミは娼館の四階にある一室に通された。


 しかし、そこは娼館にはまったく似つかわしくない消毒液の匂いが鼻の奥を突き刺してきた。


「病室……?……ですか」


 室内は個室ではなく周りの壁をぶち抜いた大部屋でたくさんのベッドが置かれおり、その上には男性も女性も入り乱れて眠っている。


 三階までの気だるくなるような虚惑香りが、まったく届いていない。


 衛生的な消毒アルコールの強い臭いだけがこの場を支配していた。 


「レンマさん!知り合いだって奴、連れてきましたよ!タクミって名乗ってますけど!!」


 男の右ひじをキツク握ったまま室内に良く響く声で先ほどの女性が叫んだ。


 あちこちを、シーツで仕切ってある部屋の中は見通しが悪く、目的の人物がどこに居るのか解らなかった。


「うん?」


 シャーッとカーテンが捲られ、そこから白衣を来た若い男が出てきた。


「久しぶりだな。なかなか男ぶりがあがってきたじゃないか?拓己」


 タクミを認めて、男が柔和な笑みで笑いかけた。


「貴方ほどじゃないですよ。練磨先輩」


 久しぶりに聞く、故郷の訛りの入った発音にすこしだけ昔が懐かしくなった。







「まぁ、旅で疲れてるだろ。こっち着てお茶でも飲んだら?」


 まったりとした雰囲気で来い来いと手を振るレンマ。


 緊迫した表情でタクミを引っ張ってきた女たちが、安心したような疲れたような顔をした。


 掴まれていた肘も脱力感と共に開放された。


「レンマさん。ちょっとは説明してよ、この人だれなの。………大事なときなんでしょうが!!」


 まったくだ。っと周囲の女性達が頷いている。


「……キィキィ叫ぶなよ。そんな声で叫んでるとこ客に見られたら人気が落ちるぞ、オルタ」


「余計なお世話。あたしはテクニックを売ってるんだよ。愛嬌は好い男が相手のときだけしか売らないの!」


 ふんっと鼻息も荒くオルタが捲くし立てた。チョッとビックリするほどの威勢のよさである。


 驚いたようにオルタを見ていると目の端のレンマがこちらの反応を見てニンマリと笑っているのが解った。


「そう言うなよ。タクミもそろそろ経験してもいい頃だろうから、オマエが相手してやれば?」


「な、……先輩!」


 何を言い出すのだこの人は。


「そう言っても、タクミもう18だろ?……オレはその頃にはもう凄かったんだぞ」


 ……うん、それも好いかも。…初めてって言うのもポイント高いし。


 なんて言うのを、耳元で言われてタクミはそれこそ、大慌てである。


「先輩とボクが同列になる必要はありません!……それにそんなこと強要したら、奥さんにチクリますよ」


「あ、それは止めて。……後で酷い目に会うから」


 ゴメン、ゴメンと謝っているが目は笑ったままだった。











「えっと、つまりタクミさんは今回の主役の一人ってことですね」


 椅子に座ったレンマとタクミを取り囲むようにしているのは、オルタと大勢の女性達である。


「ああ。そうなんだ」


 これは、ある意味タクミのパーティーなんだよね。っと熱いお茶を啜りつつ呑気にのたまうのはもちろん、レンマである。






 ……ああ、先輩まったく変わってないよ。どんなときでも、マイペース貫くんだよね。そのくせ火が点いたら速い人だけどさ。






「先輩、それじゃ説明不足ですよ。何のためにボクが着たのかが解らないじゃないですか」


「なんで?」


「……ボクが主催者に呼ばれたから来たってだけしか言ってないですよ」


 十分だろ?っとレンマは笑う、ただその眼が鋭く細まった。


「死にぞこないの神が動くことはもう、みんなに話してあるよ。神が欲しがるのは光り輝くほど気高い者、強い者、そして美しい者たちつまり寵愛者と、そして他の神の肉だ。ここまで話せば話は簡単だろ?なぁ、オルタ」


 フッと笑って女性達にレンマは女性達に話を振った。






 女性の扱いが上手いのも相変わらずですね、先輩。そこのところは見習いたいです。





「えっと、それってこのタクミさんが寵愛者ってことですか?見たとこそれっぽくはないんですけどね」


 自信なさそうな不躾な視線を四方から感じてしまう。


 余り気にはならないが、咽の奥で笑うようなレンマの視線が気になって仕方ない。


 どうやら、ボクの詳しいとこは伝えていないらしい。まぁ、魔術師は外道とも言われるとても珍しい存在だから仕方ないけど。それを言うなら、先輩もタクミ以上の珍品だと思う。


 この人は、どうも他人の珍しい反応を見るのが趣味らしいのだ。


 大変な悪趣味だと思う。


 ……あとで、奥さんにホントに報告しておこう。





「ふふん。まぁ、寵愛者には見えないわなぁ。信心深そうには見えないしよ、だがまぁ、強欲な神が欲しがるほどの男ではあるのさ」


 長い手を伸ばしてタクミの肩に手を置いてくる。


 遠い昔から憧れていた自由な手が今、自分を誇らしげに叩いてくれていることが嬉しかった。


「レンマさんと、どっちが欲しがられますかね?」


「オレを欲しがる神はいないよ、オレにとってリシトは神じゃないんでね。……比べるなら……まぁ、そうだな。タクミはオレの奥さんとためを張るくらい魅力的ではあるよ。…まぁ、タクミが呼ばれた訳は他にもあるけどな」


 人を測る尺度としては失礼だが、女性達にとってはかなりレンマは特殊な主らしい。明らかに今の説明でタクミを見る目が変わった。


「そう言えば、先輩、奥さんココには居ないんですか?」


 さっきから、気になっていた一人の女性の姿が現れないので聞いてみると、レンマは悲しそうに頭の上で手を振った。


「ダメ。着てくれなかった。……ちゃんと始末してこいって、それだけ」


 オマエ以上にこのチャンスをいかす気なんだわ。…あれ以上、頑張ってお金儲けしてどうすんのかね。


 っと、零しながら嘆かわしそうに溜息をついて見せたレンマを女性達が笑った。


 でも、タクミには解る。


 ウソだ。


 レンマはタクミと同じだ。どんなに女性の強さを、その存在を認めていてもできるだけ戦場には立って欲しくないのだ。だって、僕らは…人が死なない世界で生まれたから、せめて好ましいと思った人だけは守りたい。


「パートナーが居ないってのはチョッと寂しいけどよ」


「レンマさん、うち等が代わりやってあげるって、もう少し居させてよ」


 甘い声を上げる娼婦達、軽い言葉だがここにレンマのパートナーとして残ることが意味することは十分わかっているはずだ。


「だ~め!……浮気なんかしたらオレが奥さんに捨てられちゃうから」


 ニコッと笑ってレンマが拒否した。


「おまえ等は、予定道理に三日以内に全員この大地から外に出て先発の子たちと合流しな。これはもう決定事項なんだよ」


「っでも、花街がカラッポになったら怪しまれるじゃない!」


「ギリギリまであたし等ここに残るよ」


「仲間のためならあたし等、死ね「死なさないよ。…………誰かのために死のうってのは美徳だけどね……生き残った奴にとっちゃ、ただのお節介だぜ」


 覚悟の言葉を言おうとした女性を、レンマの真剣な瞳が黙らせた。








「さて、あの厄介者が暴れるのをオレ達は目イッパイ利用するぞ。もちっと、良いモン食いてぇもんな」


 何か言いたそうで、でも言えない女性達にレンマが柔和に笑ってやった。


 言葉は乱暴だけど、下層階級に生きてきた女性達を見る目は、ほんとうに優しかった。








 練磨先輩、ボクは先輩みたいに自由に、本気で一人の女性を愛したいんです。









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