表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/36

[10]隣に立つ人①



 微かに開いた瞼の向こうで、このボクを見てくれている人が居た。


 ねぇ、お父さま。この子助かるの?


 泣きそうな声だった。


 ああ、大丈夫。これならすぐによくなるよ。


 言葉の端からウソだと解る。ボクを見てくれているこの女の人を気遣っていっただけだろう。


 不意にボクの心に住まう自虐と忌避の虫が目を覚ます。


「ウソなんか言わなくていいよ。ボクは助からないんだからさ」


 言ってやりたかった。


 そんな口先ばかりのことをほざくな。ボクはそんな物に振り回されるのはもう御免だ。


 激情が溢れてくる。


 ボクってかなり参ってたらしい。誰にも弱さを見せられない、弱さを弱いと認められない、ほんとうに弱っていても誰も助けてくれない…………そんな生活に。


 死ぬ前に喚いてやろうか?


 どうせ、ボクはもうすぐ消える。格式ばっかり大切にする家への不満も、時代錯誤な祖母にも、周りの見えていない父にも、泣きつづけて逝った母にも、ボクを殺そうとした義母にも。


 ボクは言ってやりたかったんだよ。








 ウルサイってね。









 だけど言えなかった、言えなくさしたのはボクを見つめる彼女の瞳だったよ。


 よかったねぇ、助かるよ。もう大丈夫、心配ないからね。


 ボクの顔を綺麗で透明な雫が濡らしていく。


 ボクはその時、どんな顔をしていたんだろうか?


 ボクは、泣かしてもらったことがなかった。


 泣けるほど幸せと余裕を持っていなかった。


 泣いたら、ボクは奴らに喰われていただろう。ただ泣きつづける母を守らなければならなかった日々にボクは何かが欠けてしまったらしい。


 皮肉な表情が消えただろうか?


 探るような狡猾な光がボクの瞳から消えただろうか?


 ボクはあの時泣けただろうか?










 ねぇ、そんなに泣かないで。もう大丈夫だよ。ワタシが一緒に居てあげるから。


 大丈夫。怖くないよ。ずっと一緒にいてあげるから。


生まれて初めてこんなにボクのことを心配してもらった。


「……だ…れ?」


 弱々しい声だった。声を出すのがこんなに苦しいと思ったことはない。


 でも、聞きたかったんだ。


 貴女の名前を……。


 ワタシはレイドゥース。レイドゥース・アンスカレット。


 レイン。


 貴女はどうして、そんなにボクを見てくれるの?ボクの醜い血でその手をなぜ汚せるの?


 どうして、どうしてボクが生きているのを喜んでくれるの?


 ボクは知らなかったよ。貴女みたいにボクを見てくれる人を、ボクに笑いかけてくれる人を。


「ボクは……拓巳。…鷹谷…拓巳だよ」


 レインがボクの名前を口の中で反芻している。


 タクミ……素敵な響きだね。


 ボクはこのときにこそ、本当にすべてを見せて泣いただろう。


 哀れみでも、嫉妬交じりの羨望でも、ましてや汚いものを見て言うような言葉ではなく、ボクの存在を縛ってきたこの鷹谷家に連なる名前をそんなに自然に呼ばれることがあるなんて。


 そんな人、そんな人いないと思ってたんだ。


 そんな人……いないって勝手に思ってたんだ。








「…レイ……ドゥース。……あな…たは……ボ…………です」


 レイドゥース、貴女の手が温かいです。


 今まで、ボクは…こんなにも……こんなにも心が、温かくなったことは………ありません。








「ボス、ボ~スッ。そろそろ起きたらどうです?もう、6時間は寝てますよ」


「ん、うっぅ…」


 土の匂いの濃い薄暗い部屋の中、タクミは深い眠りから呼び起こされた。


 薄く瞳を開けると光の差し込む少し開いた扉に人のシルエットを見た。


「ルクスかい」


 もうそんなに経ったのか。


「すぐ行くよ、ドリーたちももう起きてるの?」


「あの連中はいつ寝てるのかもわかんない人たちですからね。今も起きてますよ」


 苦笑しつつ、ルクスが出て行った。


 タクミは水差しの中の黄色い水をコップに注いであおった。


「……お嬢さま」


 あの日の熱はタクミの中で冷めることを知らない。












「ルクス!あんたねぇーー!!」


 ルクスを呼ぶ叫び声、いや唸り声にルクスは振り向いた。


「おや、ステフ。どうしたんですか?さっきから後ろ付いて来てるのは知ってましたが、このボスの部屋からかなり離れたところで声を掛けるのは、やはりなにか深い意味が……」


「な、ななな…意味なんかないよ!タイミングよんでただけよ」


 またまた、そんなこと言ってさ、オレが起こしに行く前にボスを起こそうとしたんでしょ?


 気づいてたよん、オレがいったらボスの部屋の前から走って消えてったの。


 そんでもって、オレに先を越されたのが気にいらない。ま、そんなとこかな。


 ルクスはギャアギャアと何か赤くなりながら暴れているステフを見て笑った。


「それより!ルクス、タクミさまに対する態度ちょっと問題あるんじゃない?もうちょっと礼儀をわきまえなさいよ」


「礼儀ねぇ、でもオレ、ボスにそんなことで注意されたことないよ」


 正確に言うならボスは、ほとんどの事で他人に干渉しないんだよね。それこそもしオレがタメグチ+生意気な態度とっても毛ほども気にしないだろう。勘に触れば消されるかもしれないけどね♪


 こういうことを異常に気にするのは……。


「そんなもん言われんでもやるのが当然でしょうが!」


 鼻息も荒く力説しちゃって、可愛い顔が台無しだよ。


「まあまあ、そういうのは人それぞれだから、強制されてやっても仕方ないって」


 そうなんだよね、人それぞれなのよ。


 だから、君達がいくらボスを敬愛してもいいけどさ、オレにまで君らのスタイル押し付けないでよね。


「ボスは、もうすぐ来るよ。君の母さん呼んできなよ」


 犬のように食って掛かるステフに辟易してルクスは強引に話を変えた。












 東の華、バルベス。


 堅固にして豪華なこの縦長の都にも他の都市に洩れずスラムというもは存在した。


 ただ他の都市と違っているのはこの一点からだろう。


 バルベスのスラムは都市の真中にあるのだ。


 真中といっても真中にあるビル群すべてではもちろんない。


 太陽が届くところはバルベスにとって貴重だ。


 スラムはバルベスを半球体に例えた本当の真ん中にある。


 真昼でもほとんど光の届かない、第一期、都市開発部。


 光の差さない場所を好む人間というのは少ない。


 結果、都市の発展に伴い真ん中は放棄されていった。


 今では、上層の人間は絶対に足を踏み入れない禁域となっている。














 スラム化した中枢には化け物がいる。


 だれでも知ってることだ。


『崩れた人間たち』


 誰が始めに言ったのかは微妙だが、ラストに人間って言葉を入れてくれたのは酷いジョークだとおもう。


 あたし等は人間扱いさえされなかったよ。


「あのお方が現れるまでは」


 爛れた肉で狭まった視界、昔は世界が灰色に見えたが今は素晴らしく輝いて見える。


 ココがバルベスのゴミ捨て場だとしても。














 ニコリと微笑んだことに誰が気づくだろうか?


 ドロドロに爛れた肉が微かに歪んだとしか見れないだろう。


 でも、


「ドギー。どうしたんだい?ボクの顔見るなり笑うなんてさ」


 ほら。あの方はちゃんと気づいてくれる。


 ドロドロの肉塊、スラムの長ドギーは部屋に現れたタクミを立ち上がって迎えた。


「いえね、タクミさまが何かよい夢を見られたような気がして……」






 いえね、タクミさまがあんまり普通にあたし等と付き合ってくれるんで……







「嬉しいんですよ」


 適当に口についた言葉にタクミは思いのほか喜んでいた。










 タクミが、元街役場の会議室についた時にはスラムの顔役は全員が集まっていた。


 席につく前に、タクミは顔見知りたちに軽く挨拶をしてまわる。


 タクミに取っては余り意味の無いこと。あたりまえの習慣だ。


 だけど、それをしてくれるタクミをこの場にいる皆が嬉しそうに見つめていた。


「さて、商いはイヨイヨ詰めになってきたよ」


 タクミの目がスッと細まった。


 最初から、話をしている者など誰もいなかったが、タクミの言葉でより一層雰囲気が変化する。


 一本、線が入ったような緊張感。初めてしてみせる大勝負を前にした興奮だ。


「明後日、リシトが起つ」


 タクミが薄く笑いながら言う。


 すでに色々な忌避と差別の剣で体中を刺されているはずの皆が身体を少し震わせた。


「リシトが起つと同時に戦争は起きるよ。誰にも予測は出来ないだろうけどね」


 ゴクリと咽のなる音が嫌に大きく聞こえる。


「そのときに最も幅寄せが来るのはココだろう。飢えてきたときは貯めてある穀物を使ってもいい。なんとか凌いでください」


「なに、わたし等は一週間くらい食わなくても普通ですからね。一月やそこら、どうとでも持ちますよ」


 比較的、皮膚のまともな壮年の男が胸を叩いて言う。


 主のモノに手をつける気など元から無いのだ。この人の足を引っ張るくらいなら舌をかんで死んでやろう。


 未来をくれたこの人のために……。









「では、タクミさまは……」


「ああ。明日にはジクリアにいるよ」


 事も無げにタクミが言う。これから起こる惨劇の中心に一人で乗り込もうというのに気負いも恐怖も興奮も何も無いような顔だった。


 わたし達も行きます。


 貴方の盾になります。


 誰もが言いたかった、でも言えない言葉。なぜなら彼等の主は魔法使いだから。









「では御指示道理、我らはこの機を最大限に利用して見せましょう」


 ドギーが質問の声もなくあっさりと言った。


 誰も何も聞かないで進んでいく会議。


 タクミの指示は的確だ。しかし、見えねほどに見える遠謀に普通の者にはタクミの指示を受けることが出来ない。


 聞きたいことならいくらでもある。


 でも、誰も聞かない。


 聞くという選択肢を最初から蹴っているのだ。ただ主につくことに彼等の今は意味を持っていた。


 支配されることが嫌いなんじゃない。差別を受けることを喜ばないが、それは社会のあり方だから仕方ない。誰もが小なり大なり差別をして生きているのだから。でも神の罪を被った民にも選びたいモノはある。


 頭を垂れるなら自分を見てくれた人に垂れたい。


 犬と呼ばれようと、主人に触れてもらいたい。


 口に出すと安っぽくなりますが、いつも思ってるんですよ。


 貴方に暖かな陽がさしますように。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ