[1]帰郷の挨拶①
レイドゥース・ドルス・フォン・アンスカレット、彼女が生まれたのはソラステェル皇国のある貴族の家だった。
巨大な皇国にあって東方のアルベルン平原に居を構えるアンスカレット家。
皇国と他国を繋ぐ大動脈を持つ彼女の大地の実りは大きいが皇国を外敵から守る要の一つでもあった。
自然、彼女は貴族令嬢としてだけではなく騎士としての力を身につけていった。
彼女を育てたアンスカレット家も内心はどうあれ、レイドゥースの覚悟を喜んだ。
ドルスの名を冠するアンスカレット家は永続的に続く騎士の家柄でもあった。
レイドゥースの祖父ランドルフは剣聖とも呼ばれた皇国建国時代の英雄であったからだ。
ソラステェル国を皇国に押し上げた一人である、ランドルフは当時ラドリク家の傍流でしかなかったアンスカレット子爵家に皇騎士たるドルスの名を永続的に名乗る栄誉を冠したのであった。
レイドゥースもドルスの名を継ぐ者としてアンスカレット家の未来の当主として自覚とともに成長した。
レイドゥースが18の時、皇都への若い貴族たちへの召集令が下された。
表向きの名目は未来を担う若人たちの成長を促すために皇都で最高の教育を受け指すというもの、期間は四年であった。
突然の都からの召集令その理由は隣国の一つアスラルが国境に新たに城を建てていることがわかったからだ。
ソラステェルは外交でもってアスラルを攻め有利な交易を行いながらも近くおこるであろう戦の準備を始めたのである。
招集に応じて皇都に向かうレイドゥースが思うのは迫る戦争の足音ではなく…実家に残してきた病身の弟のことだけだった。
「……なつかしいっ」
国道を直走る高速車の中からレイドゥースは外を眺めた。
「ふ~ん、あれが東の華バルベスか。昨日から畑か牧場しか見てなかったから心配してたけど結構おっきな都市じゃないの」
「あれが赴任地ってわけか?皇都の華やかな雰囲気もよかったが異国情緒あふれる東のバルベスはどんな楽しみをくれんのかねぇ~」
レイドゥースと共に東に来たのは皇都で四年の訓練を積んだ騎士たちである。
すでに皇騎士であるレイドゥースと彼らはこの四年間あまり接点が無かったが、有力貴族の子弟である彼らは配属先であった東の平原の貴族レイドゥースに接近してきた。
何しろ彼女は若く剣聖の孫娘としても有名であり、彼女の父は皇都で皇軍の六軍の長をやっているのだ。
貴族階級だけをみればアンスカレット家は低い位置にいる。
ただ、アンスカレット家は純粋に強力な力を持っているのだ。
それは平原を守るために自然と蓄えられたものであったが、金勘定に忙しかった皇都の貴族たちには今その力が何より魅力的に見えたのである。
四年間の都での生活は嵐のように過ぎていった。
何時始まるともしれない戦争に気が気でなかった。
だが、未だに起こっていない。
当初、すぐにでも起こるであろう戦争の二次戦力としてあつめられたレイドゥースたちではあったが四年という教育期間を終えても戦争は起こらなかった、皇都は彼らを都に留めておく理由がなくなったことにもより解散となった。
ただ、解散となった騎士たちの多くが赴任地として国境ちかくに配属されたのは言うまでもないだろう。
やっと帰ってこれた。
レイドゥースの今の心境はこれに尽きた。
都の淑女院での生活に不自由を感じたことはなかったし、たまの息抜きには父の別邸に遊びに行くことも出来た。
レイドゥースがこの四年間に得られなかったのは故郷とそこに残してきた親愛なる者たちだった。
自分にくっついてきた彼らの存在も今はそんなにわずらわしくない。
すでにレイドゥースの意識は自分の生まれた生家へと飛んでいた。
御爺さま、シド爺それに小さなタクミ。
みんな元気でいると良いけど…アンスカレット家で自分を待っていてくれる肉親以上の存在、祖父のランドルフと生まれたときからずっといる執事シドそして、弟のタクミだけだった。
四年間の間にできた事は手紙での遣り取りだけだったものね。
ベットに臥していたタクミはわたしが皇都についてから半年ほどで回復したとお爺様の手紙に書いていた。
それから何度となくタクミの様子を聞いてみたが御爺さまはタクミのことについてはあまり手紙に書いてくれない、お屋敷の他の人たちについてや庭に咲く色とりどりの花々についてなら何でも教えてくれるのに……。
御爺さまは昔からタクミについては厳しいのよね。…厳しいのとは少し違うのかもしれないがその祖父の意地悪によってこの四年間まったくタクミとは音信普通であった。
「……やっと会えるんだ」
「誰に会えるって?」
思わず口から漏れた言葉に隣に座っていた、女性騎士ミアンが反応して来た。
「う~ん、優等生のレインはいったい誰に会えるのを楽しみにしてるのかな?……ひょっとして例の弟くんかな?」
「なんだよ、なんだよ。レイドゥースさん、弟なんていたのかい?アンスカレット家に君の兄弟がいるなんて知らなかったな。一人っ子だと思ってたよ」
よく調べてるわね。
レイドゥースはアンスカレット家の内情をわざわざ調べている彼らにため息をつきたくなった。実際には控えめに微笑んだだけだったけど。
「実際にはほんとの弟じゃないの。……平原でわたしとお父様が火獣に襲われてるのを助けてそのまま家で一緒に住んでたのよ」
タクミのことについて彼らに喋るのはなんとなく勿体無く思えたが、しつこく聞いてくる彼らに辟易して話してしまった。
「なんだ。それじゃ、ただの平民じゃないか?アンスカレット家の一員とはとても言えないな」
騎士ビスが当たり前のことのように言ってきた。
他の騎士たちも先の一言でタクミをただの平民としてしか見ていないらしい。
彼らに自分の家族を認めてもらう必要はなにもなかったけどタクミを下げずむような彼らの物言いに気分を害した。
……だから、言いたくなかったのに。
レイドゥースは先の失言を激しく後悔していた。
人を家柄でしか見れないような人たちにわたしの大切な弟のことを話してしまった。
それがタクミにとても悪い事をしてしまったような気がしてならないのだ。
それに、お爺様の方針でタクミが執事見習いをしていたのは本当のことだったから、余計にいたたまれなかった。
「シドよ、そろそろレインはバルベスに入った頃だろうかな?レインのことだろうから淑女院の卒業式からすぐにとんぼ返りしてくるだろうからのっ」
小高い丘の上に建つクラシックな邸宅のテラスから老人が地平線の端に高く聳え立つビル群の影を見ていた。
老人は普段より少しだけ優しげな表情で背後に控える老人に語りかけた。
「そうでございますね。お嬢様はずいぶんと彼にご執心のご様子でしたから」
上品に老人、執事のシドが笑った。
シドは目の前に座る主人から自分にとっても孫娘のようなお嬢様、レイドゥースからの手紙を読ませてもらっていた。
レイドゥースの手紙はいつも祖父へのご機嫌伺いのあいさつから始まり、皇都での生活などについてとりとめのないことを書いてくる、しかし決まって最後は「弟は近頃どうしていますか?」なのである。
そのことに主人、ランドルフが密かに拗ねていることを長年の従僕は知っていた。
「四年ぶりに孫の顔が見えるとは…なんともうれしいかぎりだの。館の者たちも浮き足立っておるのがわかるぞ」
「お嬢様はみなに愛されておりましたからな。メイドたちが朝から大きなケーキを作っていましたよ」
「ほっほっほ、当然じゃな。ワシの自慢の孫じゃからの」
ランドルフは快活に笑ったが、不意に顔を顰めて忠実な執事に聞いた。
「……ところで、あの若造はどうした?朝から顔を見せにこんのだが…まさか!?」
「はい、今頃はバルベスの城門に居るでしょうな」
「なんじゃと!?……なぜワシを連れて行かんのじゃ!それになぜ黙っておったシド!」
「それは……聞かれませんでしたので」
憤慨するランドルフにシドはヒッソリと答えた。
シドの態度には少しも悪びれているところはなかったがランドルフにはわかっていた、シドが故意に黙っていた事を。
「ふん、あの若造に関してだけはお前は信用できんな!」
ランドルフは口の中で小さく呟いた。
「城門が見えてきたわよ。東の華とは言え、要塞都市にしては華美な門ね~」
バルベスをそっくり覆ってしまう巨大な壁は近づく者たちを威圧する。
だが、それは悪意を持って近づくものたちに対してのみであり大陸を渡り歩くジプシー、南の商人たちにはとても寛大であり、彼らを迎え入れる東部第一門と送り出す門、西部第三門には凝った意匠が施されていた。
皇都生まれのミアンやビスたちも荘厳な城門には驚きを隠せないでいる。
門を見上げている彼らにほんの少しの優越感をレイドゥースは感じていた。
巨大なアーチ型の門が頭上を通過する。
天頂にある太陽が作る門の影を超えた辺りで高速車はユックリと停止した。
300人乗りの巨大な車からエンジン音が消える。
「わぁ~っ大き~」
車から一番に飛び出したミアンは城壁よりも高い建築物を見上げて歓声を上げる。
こと、建築物の高さだけを言えばバルベスはソニステェル皇国でもっとも高い。
要塞都市として作られたバルベスは城壁の中で発展し続けている、城壁が出来た当初は十分に広かった土地も発展とともに狭くなり、終に開拓する大地を失った。
城壁の外に多くの危険を抱えているバルベスはその居住空間を上へ上へと伸ばす事で土地問題を解決した。
今では大陸でもっとも縦に伸びた都市として有名だった。
乗客たちは大荷物を車から引き摺り下ろすとミアンのように摩天楼を見上げている。
騎士たちのうちで最後に車を降りたレイドゥースは彼らの背後から少女時代を過ごした街を見上げた。
「また少し高くなったかしら?」
「ええ、四年前よりビルの高さは平均で10m上がったそうですよ…
いつの間にか隣に居た人が説明してくれる。
…お嬢さま」
「そうなんだ……えっ」
下から見上げるビルの高さに違和感を感じて呟いた言葉。
返ってくるとも思っていなかった言葉にも驚いたが、最後の言葉にもっと驚いた。
白く輝く太陽の光とビルの影のコントラストに目が焼けている。
振り向いた先に居る男性の顔に青緑色の残像が被ってよく見えない、それがもどかしくてレイドゥースは目をごしごし擦り付けた。
「ああ、お嬢さま。そんなにされては目に傷がついてしまいます」
男性が優しくレイドゥースの手首を押さえる。
「……だれ?」
まだよく見えない視界の中で男性が小さく笑ったのが判った。
「判りませんか?……ボクですよ。タクミです」
「タクミ!?」
小さな警戒心がその名前に消し飛んだ。
光で焼けた視界が少しずつ回復していくとそこにはレイドゥースより頭半分くらい背の高い男が居た。
「ほんとにタクミ?」
弟はレイドゥースよりずっと小さかった、見上げるほどに大きなこの男性にかつてのあどけなさは見られない、変わりに精悍さがその顔に見受けられた。
でも、変わらない優しい瞳が暖かくレイドゥースを見つめている。
それだけで目の前の男性が自分の小さなタクミの成長した姿だとハッキリわかった。
それでも、確かめたかった。
この男性の名前を……。
「はい、タカヤ・タクミ。……本物ですよ」
キッチリとしたスーツを纏った男、タカヤ・タクミがにっこりと微笑む。
タクミはレイドゥースの両手を離して、一歩下がって礼の姿勢を取る。
「お帰りなさいませ、お嬢さま。屋敷の者一同、お嬢さまの到着を心待ちにしておりますよ」
昔、自分の後ろを付いて歩いたかわいい少年はもういない。
ここに居るのはレイドゥースの心を振るわせる一人の男だった。