婆三人寄れば姦しい
就活中の女子大生、木崎蓮は引っ込み思案な性格で友人も居らず、孤独で満たされない日々を送っていた。
ある日、いつもの様に面接で上手くいかなかった事に落ち込んでいた蓮は帰り道の途中で見たことのない喫茶店の看板を見つける。
中に入るとそこは、妖怪たちの通う妖怪喫茶だった。
歩き慣れた道を、重い足取りで歩いていく。
今月に入って15社目の面接の結果が散々に終わってさっきからずっとため息しか出ない。元々人と話す事が苦手で、人前で話すなんてもっとも、苦手な私が集団面接なんて出来るわけがなかったのだ。もはや自分は社会人になってなれないんじゃないかとすら思うけど、それじゃあこれからどうやって生きていけばいいのかも分からない。夢も、将来の目標もない。ただ毎日を無難に過ごすだけで精一杯だった。
そんな日々が続けば何もなくとも精神的に疲弊していくもので、その日は特に酷かった。そんな時、いつもは他の景色と同化していて気づかなかった、一軒の喫茶店が目に入った。
ダークブラウンの木目調のアンティークチックな扉の周りは緑で彩られ、入り口の両脇には今の季節に咲く花が置かれている。
「こんなお洒落なお店、前からあったっけ?」
いくら景色に同化していたとはいえ、こんなに綺麗なお店に気づかなかった自分の周囲の見えてなさにまたしても気が重くなる。けどそれ以上に、なぜかそのお店が気になって、いつもなら入るのに躊躇してしまうはずが考えるよりも先にドアノブに手を伸ばして扉を開いた。
カラン カラン
軽いベルの音。
ふんわりと香る花の香。
「いらっしゃいませ」
横から聞こえる低い落ち着いた声に、店主の人かと思ってそちらを向いた。
向いた先は、壁だった。
「・・・・・・え?」
そう、声が聞こえた方を向いたはずなのに、そこに在るのは灰色の壁だった。床や他の壁は扉とは違って明るい色の木目調なのに、その一部だけ灰色の壁。しかもその壁をよく見ると、黒くて丸い染みのようなものが二つと、そのちょっと下には横に引かれた一本の線。まるで顔の様な模様だけど、違和感があり過ぎる。
思わずその壁を凝視していると、黒い二つの染みが瞬きでもするように灰色一色になって、また染みが現れた。
「いらっしゃいませ」
今度は染みの下にあった線が動いた。そしてお店に入った時に聞こえた声が、そこから聞こえた。
「壁が、喋った・・・」
何が起こっているかよくわからなくて、混乱したまま店内を見渡す。
店内はこじんまりとしていて、椅子が五つあるカウンターと、四人掛けのテーブル席が三つ。
カウンターにはスーツを着たサラリーマン風の男性が一人いて、手前のテーブル席には服を着た狐と狸、一番奥のテーブル席では三人のお婆さんたちが何事かを喚きたてていた。
色々と理解が追い付かない。壁がしゃべって狐と狸は服を着て人間みたいにソファー席に座っているし、何ならカップを手に飲み物を飲んでいる。いつの間にかこっちを向いていたカウンターの男性の顔には目も鼻も口もないのに、やっぱり手にはカップを持っている。
口ないのに、飲めるのだろうか。
いや違うそうじゃない。そうじゃないぞ私。
ここは何だ?カウンターの向こうにいるマスターらしき男性は苦笑いを浮かべてこっちを見ているけど、それよりもここは何なのか説明が欲しい。いや、やっぱり説明はいらない。世の中知らない方がいい事もあるってテレビで言ってた。そうだ、知らずにいよう。とにかくこのお店を出よう。
そう決心して、一歩後ずさった途端、それは奥の席に座っていたお婆さんに阻止された。物理的に。
そう、物理的に。
現在進行形で私はお婆さんの一人に腕を掴まれていた。なんで?さっきまで一番奥の席で大きな声で話していたはずなのに、今は私の目の前にいて老婆とは思えないほどの力で腕を掴まれている。
「アンタ!ちょっとこっち来とくれ!」
「へっ?!え、あ、いや、あの、私っ」
帰ります。その言葉は口から出ることなく空気に溶けた。
あっという間にお婆さんに連れられて一番奥の席に座らされてしまっのだ。
訳がわからなくて目を白黒させていると、三人のお婆さんが私をじっとみていた。
「え、え、え・・・?」
「あんた!妖怪といえばこのあたし!ジャンピングばばあだと思うだろう?!」
「何言ってんだい!砂かけ婆であるこの私だろう!!」
「・・・・・は?」
ようかい?
溶解?
妖怪・・・・?
「よう、かい・・・?」
「そうさ!妖怪でばばあって言やぁジャンピングばばあだと思うだろう?」
「いいや!人間の子供たちの間でも人気の砂かけ婆に決まってるよねぇ?」
「あんたのソレは漫画だけだろう!実際はただの不審者じゃないか!」
「まったく・・・毎回毎回喧しいねぇ・・・お嬢ちゃん、この婆さんたちの事は気にするんじゃないよ。
とりあえず、コーヒーでも飲むかい?それとも甘いものの方がいいかねぇ?」
「え、えと・・・じゃあ、甘いものを・・・」
「はいよ。マスターこのお嬢さんにココアを入れてやっておくれ」
私の腕を掴んでいた茶色い着物を着たお婆さんが私に向かって問いかけ、それに紫色の着物を着て大きなサングラスとマスクをしたお婆さんが反論して、やいやいと言い合っている。それにため息を吐いたのが私の前に座っている灰色の着物を着た品の良い感じのお婆さんで、訳もわからず答えてしまうと小さく頷いてからカウンターに居た男の人に声を掛けた。
お婆さんの声にカウンターの方へと顔を向けると、穏やかな笑みを浮かべたオールバックの男の人が「畏まりました」と頷き手慣れた手つきで手を動かしている。
「なぁお嬢ちゃん!あんたはどう思う?!」
「へっ?!」
「やっぱり砂かけ婆が一番だよねぇ?!」
「いーや!ジャンピングばばあだ!そうだろう?!」
「え、え・・・」
「「どっちなんだい?!」」
「ひっ!あ、あのっ・・・わ、私・・・は・・・山姥・・・だと・・・」
お婆さん二人の勢いに押されて、ついそう言ってしまった。
その場がシーンと静まり返る。それが居心地悪くて、もじもじとしながら俯いていしまう。
それを破ったのは、目の前から聞こえた大きな笑い声だった。
「あっはっはっ!こりゃーいい!お嬢ちゃん、あんたは見る目があるよ!このアタシを選ぶなんて!!」
「えっ?」
灰色の着物のお婆さんが、とても愉快そうに笑っている。
「はーっまぁたこの婆の一人勝ちじゃないか・・・」
「毎度毎度美味しいところを持ってくんだから、嫌になっちまうよねぇ」
茶色い着物のお婆さんが面白くないというように頬杖をついて、紫色の着物のお婆さんが肩を落とす。
もう一体何がなんだか分からなくて、困ってしまった私はつい今だに笑いのお婆さんに向かって問いかけた。
「あの、どう、いう・・・?」
「何だい、あんたまだ気づいてなかったのかい?
ここはね、妖怪や妖が集まるお店なんだよ」
妖怪や、妖が集まる、お店?
妖怪ってあの?
確かに、壁がしゃべったり狐や狸が服を着て飲み物を飲んでいたり、スーツ姿の男の人の顔がなかったり。人間じゃあり得ないことばかりだ。そう気づけば納得出来た。それに。
「妖怪って・・・もっと怖いものだって、思ってた」
子供の頃、周りのみんなが怯えて話す妖怪の話に、私はいまいちピンとはきていなかったけど。でも、妖怪とは怖いものだという周りの常識に合わせている内に自分でも妖怪は怖いものだと認識していた。
「お嬢ちゃん、アタシたちは、恐ろしいかい?」
灰色の着物を着たお婆さん、山姥さんがなんだか穏やかな声で私に問いかける。
私はそれに、少しだけ間を置いてから小さく首を横に振った。
「ううん・・・思ったより、怖くないです・・・びっくりはしたけど」
「そうかいそうかい。」
「あたしら妖怪は怖がられてなんぼなんだけどねぇ」
「まぁ今の時代、私たちを怖がる人間なんて滅多にいないけどね」
「確かに!特に砂かけ、アンタなんかだーれも怖がりゃしないね!」
「なんだってぇ?聞き捨てならないねぇ!」
「だってそーだろう?アンタの認知度は漫画の影響じゃないか!」
「だったらあんたはどーなのさ!」
「あたしゃ都市伝説だよ?そりゃー皆怖がってるに決まってるじゃないか!」
「あーあーまた始まった。ほんと懲りやしないんだから」
再び始まった言い争いに、山姥さんは呆れたように笑っていて私はその光景についていけずにただただ困惑するしかなかったけど、何故か着心地の悪さは感じずここ最近の鬱屈していた心が少しだけ軽くなった気さえしていた。
「ココア、お待ちどおさま。」
ふんわりとした甘い香りと共に、テーブルに真っ白なカップが置かれた。ゆらゆらと昇る湯気にほぉっと息を吐いて、マスターに小さくお礼を言ってからゆっくりとカップに口づける。温かな温度と、濃厚なけれど全然しつこくない甘さのココアが口いっぱいに広がって自然と肩の力も抜けていく。
「おいしい・・・」
優しい味のココアはとっても美味しくて、無意識に口から漏れ出た言葉に山姥さんはそうだろうと頷き、いつの間にか言い争いを終えていたらしいジャンピングばばあさんと砂かけ婆さんも、このお店の飲み物や料理はとても美味しいんだと教えてくれた。
「ありがとうございます。」
マスターの落ち着いた声と嬉しそうな笑顔に、私もなんだか少しだけほんわかした気分になって、ゆっくりとココアを呑んでいく。
その間にもまた、お婆さん二人の言い争いは始まって、それに山姥さんが「いい加減におしよ!」と怒って、今度はお婆さん三人の言い争いに発展して、私はそれを眺めているだけだったけど楽しくて、結局その後一時間私はそのお店で過ごしていた。
「ごちそうさまでした」
「また、来てくださいね」
帰りがけ、お会計をしてお礼を伝えた私にマスターはそう言ってにっこりと笑った。
「ありがとうございました」
お店のドアを開ける直前、入った時と同様に壁から声が聞こえて(山姥さんからぬりかべだと聞いた。ここのアルバイトらしい。ぬりかべがアルバイト?)それに小さく会釈をしてから店を出る。
外はすっかり夕暮れ時で、そこら中から夕飯の匂いが漂っていた。心なしか、家路を行く人々の足もせわしない。
いつもなら俯いて歩く道も今日はなんだかいつもと違って見えて、私は鼻歌を歌いながら帰る。
純喫茶ものの怪
妖怪たちが集まる、不思議なお店。
もしもまたあのお店を見つけられたら、行きたいなとそんな事を思った。
今回の妖怪
ぬりかべ
喫茶まほろばのアルバイト
入り口のすぐ横の壁に立っていて、お客様のお出迎えとお見送りをしてくれる。
会話はほとんどしない。
のっぺらぼう
喫茶まほろばの常連
就活中だが中々上手くいかない。
ジャンピングばばあ
喫茶まほろばの常連
令和の都市伝説ばばあ部門代表(自称)
着物の色は茶色。
砂かけ婆
喫茶まほろばの常連
子供から大人気の妖怪第一位(自称)
素顔を見られるのが嫌でいつも大きいサングラスとマスク着用。
着物の色は紫。
山姥
喫茶まほろばの常連
誰もが認める昔からいる妖怪。
基本的に他の婆二人の言い争いは傍観している。
着物の色は灰色。
マスター
妖怪・・・?