ぼんやり王子の春は、桜の木の上から始まった模様
武 頼庵(藤谷 K介)様主催『第3回 初恋・恋愛企画』参加作品です。
春の夕陽はゆっくりと沈む。
「あ、ステイはやっぱり此処にいた!」
下の方からケフィナの声がする。
ステイレックは声に向かって、おいでおいでと手を振る。
ケフィナは臆することなく、ステイレックの居る場所へと向かう。
ステイレックが座っている、太い枝を目指して、するすると木登りをするのだ。
「令嬢の動きではないな。やはり、ケフィは猿の末裔……」
「それならステイもね。フツウ王子は、木登りしないって」
さりげなくステイレックは、ケフィナの腰に手を回す。
二人は微笑みあいながら、眼下の景色を眺める。
一面の黄色い花が、橙色に染まっていく。
「綺麗……」
「うん……」
綺麗だよ。
君が。
言葉に出さずにステイレックは、ケフィナの頬に口づけを一つ。
互いの鼓動を確かめながら、ステイレックは精霊たちに感謝していた。
この景色をまた、見せてくれたことに。
今こうして、ケフィナが隣にいてくれることに。
***
ルアス王国は小国である。
三つの大国に挟まれながらも攻め滅ぼされないのは、精霊に護られた国だからと言われている。
精霊と契約出来るのは国王のみ。
しかし先代と現国王にはその能力がない。
今は先々代の残した精霊との契約が、薄っすらと残っているだけだ。
いずれ消えていく。
次代の王に能力が、芽生えない限りは……。
ルアス王国の未来は、国王の息子である二人の王子に委ねられていた。
だが……。
第一王子のステイレックはどうも脳の働きが弱い。
小さい頃から高い処に登り、日がな一日空を見ている。
「ほら、ナントカと煙は、高いところに登りたがるって言うでしょ」
投げやりに王妃が言う。
この日、国王と王妃と宰相が、第一王子の婚約者を誰にするか相談していた。
婚約でもさせれば、少しはマシになるのでは、と。
一つ年下の第二王子は、侯爵令嬢と婚約済みである。俊英な第二王子だが、国王に求められる資質がやや足りない。精霊と契約している先々代が、次の国王に指名したのはステイレックだ。
先々代曰く「ステイは持ってる!」
「ちなみに、ステイレック殿下が好まれる女性のタイプなどは……」
宰相が汗を拭きながら尋ねると、国王も王妃も声を揃えた。
「「ステイレックに、そんな選択権など与えない」」
「あ、でも」
王妃がふと視線を上げた。
「アレがぼおっとしているから、活発なコがいいわね。そうね、木登りが出来るような」
貴族の令嬢に、木登りが趣味なんてのが、果たしているのだろうか。
宰相が必死で探してみると、該当者が一人だけいた。
それはポルトカイ伯爵の末女である。
「「いいじゃん、伯爵家なら」」
国王も王妃も、即行許諾。
かくしてこの年の春、第一王子ステイレックの婚約者として、そこそこの家柄の伯爵令嬢、ケフィナが選ばれた。
ステイレックは十四歳。ケフィナは十二歳だった。
初めての顔合わせは王宮の庭園で行われた。
お付きの侍女と一緒に、ケフィナは四阿に向かう。
ケフィナはポルトカイ家の三番目の子である。
後継ぎの兄と、なんでも出来る美貌の姉がいる。
二人とも早くから婚約者がいるので、自分に廻って来た婚約の話に、ケフィナはさほど驚かなかった。
ただし、第一王子と聞いて、父は椅子から落ち、母は皿を割った。
歴史ある伯爵家だが、末の娘に王子妃が務まるとは、とても思えなかったのだ。
「殿下! 降りて下さい! 今日は何の日か知ってますよね!」
四阿の先には、たくさんの樹木が並んでいる。
風が吹くと、花弁が舞う。
殿下?
本日顔合わせをする、ステイレック王子殿下だろうか。
降りてと言われているのだから、地面よりも高い処にいるのだろう。
まさか。
木の上?
思った瞬間、ケフィナは声の方に走り出した。
「お、お嬢様?」
後から侍女も追いかけて来る。
「わあ……」
その場所に辿り着いたケフィナは、感嘆した。
目の前の木は、薄紅色の花が、まさに満開だ。
雪が積もっているかのような質感を持って、花がほころんでいる。
ケフィナが見上げると、太い枝に座る、一人の少年がいた。
少年の周りには舞う花びらと一緒に、くるくる光る球体がいくつもある。
あれが。
ステイレック殿下……。
散る花びらの合間に、絹糸の様な金色の髪が揺れていた。
ケフィナの視線に気付いたステイレックは、彼女に向かっておいでおいでをする。
殿下の瞳は葉っぱの色だとケフィナは思う。
もっと。
近くで見てみたい!
ケフィナは誘われるままに、その木にするすると登り、ステイレックの隣にちょこんと座る。
「猫みたい」
ステイレックはクスクス笑う。
「いや、むしろ子猿だな。南の島にいるような」
「し、失礼な! 猫でも猿でもありません」
「ああ、ゴメンゴメン。猫とか猿とか好きだから、僕」
フォローになってないステイレックの言葉だった。
「君が、僕の婚約者?」
「ええ、まあ、そうみたいです」
「よく登ってきたね」
「そりゃ、それは、で、殿下が手招きされたから」
「ステイだ」
「え?」
「僕はステイレック。ステイって呼んで」
「ス、ステイ、殿下?」
「殿下ぬきね」
「じゃあ、私は、ケフィで」
ステイレックはケフィナに手を差し出す。
「よろしくね、ケフィ」
ステイレックの碧の瞳が、柔らかく弧を描く。
ふわりと風が吹く。
はらはらと花が舞う。
ステイレックの周りの光の玉が、くるくると回る。
光の玉の動きを追いかける、ケフィナの視線に気付いたステイレックが訊ねる。
「もしかして、君、見えてるの?」
コクコクと頷くケフィナに、ステイレックの表情は、パアッと晴れる。
「良かった! 精霊が見える人が、僕の婚約者になった!」
せいれい……。
精霊!?
「この、クルクル回っているのが、春の精霊。花をいっぱい咲かせてくれる」
「え、それはスゴイ」
「うん、凄いんだ、精霊は」
精霊を語るステイレックの横顔が、ケフィナには眩しかった。
「二人とも、降りなさ――い!!」
木の下で王妃が怒気を放つまで、ステイレックは話続けていた。
***
顔合わせの後、王妃は恐る恐るステイレックに訊いてみた。
「どんなご令嬢だったのかしら?」
「猫みたいなリスザル」
ステイレックの返答に、王妃は額を押さえたが……。
「僕、もっと勉強しなきゃ」
第一王子のこの一言で、のけ反った王妃はぎっくり腰になった。
自覚が出たのは良いことだろうと言いながら、国王は王妃の腰に薬草を貼った。
ケフィナにもっと、精霊を見せてあげたい。
精霊のことを教えたい。
だから勉強しなきゃ。
さぼりがちだった王立学園に、ステイレックは真面目に通うようになる。
もっとも、学園において、彼はだいたい、ぼおっとしていた。
ケフィナは両親から、散々心配されていた。
不敬なふるまいはしてないだろうか。
まさか王宮で、いじめられてなど、いないだろうか。
「ケフィ。殿下って、どのようなお方なのだ?」
「え、殿下? ああ、ステイね。金髪の、木登り名人よ」
物怖じしなすぎるケフィナの言動に、ポルトカイ伯は軽く眩暈を起こした。
ステイレックとケフィナは、王宮で一緒に過ごす時間が増えた。
二人で庭園や王都の路を駆けまわる。もちろん木にも登る。
護衛やお付きの者たちが、息を切らせて追いかける。
時折、ステイレックはケフィナに精霊を紹介する。
ケフィナはすぐに、精霊と親しくなった。
季節は流れていく。
その年の雨期は長く、気温は低く、穀物の収穫に影響が出始めた。
実りの精霊と、天候の精霊に、お願いをしなければならないだろう。
だが、ステイレックが心通わせることが出来るのは、季節の精霊だけだ。
「曽祖父様に、教えてもらわなければ」
ステイレックはケフィナと一緒に、曽祖父を訪ねた。
ルアス王国唯一の、精霊使いである。
曽祖父は王都のはずれの湖の畔で、一人暮らしをしている。
曽祖父邸近くの、湖面には荒い波が立っていた。
「おお。久しいの、ステイ」
ステイレックの隣に立つケフィナを見た、曽祖父は微笑む。
王族特有の金髪は、今では豊かな白銀に変わっているが、年齢不詳の爺さんだ。
「曽祖父様。このまま雨が続いたら、穀物や野菜が腐ってしまいます。牛や馬の飼料も不足してしまう。どうしたら良い?」
曽祖父は唸りながら、ステイレックに言う。
「契約を、するのだよ、ステイ。お前が」
「僕が……?」
「そう。この天候は尋常ではない。季節の精霊や天候の精霊だけでは、解決できないからな」
「何の、精霊さんが必要なのですか?」
ケフィナは拳をぎゅっと握る。
「流れ星の精霊、だ」
「「流れ星?」」
「そう。数千年に一度だけ巡ってくる、長い長い尾をもつ流れ星がある。それが今近づいているのだ。雨と寒さはそのせいなのだよ」
どうすれば良い。
このまま、では、この国は……。
「儂もやったことがない契約だ。なにせ前回は数千年前だからな。だが、ステイ」
「はい」
「お前なら、きっと出来る。なぜなら……。
お前は
一人では、ないからだ」
ステイレックとケフィナは互いを見つめ合う。
そして頷き決意を固めるのだった。
ステイレックの曽祖父の元で何晩か過ごし、荒れた湖の畔で、曽祖父と一緒に二人は夜空を見上げる。
昏い空の端、薄く粉を叩いたような尾を引いて、流れ星が現れた。
曽祖父が呪文を唱えると、黒い湖面に無数の星が浮かび上がる。
波立つ湖面に光が降りて、女性の姿をしたナニカが宙に浮かぶ。
――我を呼んだのは、そなたたちか
「はい。流れ星の精霊様。この地を治める者の末裔でございます」
曽祖父が答えた。
――では、そなたらは何を望む?
「豊穣と平安を」
「民の安寧を」
曽祖父とステイレックが言う。
――そこの女子よ。そなたの願いを言うが良い
わ、私!?
「ええと。皆と笑って暮らしたいな。
美味しいものを、みんなで分け合って食べたいです。
それに……。
いつの日か、ウエディングドレスを着たいのです。
明るい日差しの中で。
愛する人と、次の世を守る子どもたちを、育てていきたいのです」
ふわりと。
ケフィナは流れ星の精霊が、笑ったように感じた。
――相分かった。これ以上、この地に近付くことはない。
されど契約には、相応の対価が必要なり。
捧げよ。そなたたちの誠を。
「我が命を」
曽祖父が跪く。
――相分かった!
瞬間、目もくらむほどの閃光が、湖から夜空へと走る。
目を開けたステイレックは、雨が止んだことに気付く。
傍らには、倒れ伏す曽祖父の姿があった。
「ひいおじい様!」
「いやあああああ!!」
***
ステイレックとケフィナは、曽祖父の側で泣き明かした。
いつしか湖面に朝もやが立ち、小鳥の囀りが聞こえ始める。
ぽとり……。
それはケフィナの涙であったか。あるいは朝露か。
清冽な水滴は奇跡を呼ぶ。
横たわっていた曽祖父が、いきなり上体を起こした。
「うわっ! ゾンビ!」
「わしゃあ、生きとるわい!」
確かに命を捧げたはずの曽祖父だったが、何故か生き返った。
ただし、彼の頭にあったはずの豊かな銀髪は、全くなくなっていた……。
つるりん。
「曽祖父様の髪の毛って……」
「じいちゃんの命、だったのか……」
曽祖父殿の髪の毛を対価に、流れ星の精霊は、遠い虚空へ飛び去って行った。
雨は上がり、王国には陽光が戻った。
***
「あのさ……」
王宮の木の上で、ステイレックは隣のケフィナに話かける。
「何?」
「言ってたよね、ケフィ。流れ星の精霊に」
「ん?」
「願い事。皆で笑って、美味しいもの食べて。それから……」
思い出したケフィナの顔は、熟したトマトのようになる。
「ウ、ウエディングドレス着たいって」
「ああ、それはその、なんというか、成り行きで……」
「それから子どもたち、育てたいって」
ケフィナの耳まで真っ赤に染まる。
「だから、ええと……」
「着せてあげる」
「え?」
「ケフィにウエディングドレス、着せてあげるよ、僕が! だから」
ケフィナの頭は沸騰した。
婚約はした、ような気がする。
陛下と父が書面を交わした。
「だから、僕と結婚して、ケフィ! 子ども、たくさんの子どもを、一緒に育てようね!」
トクントクンとケフィの胸が鳴る。
精霊たちが歓声を上げる。
政略、なんじゃないの? 私たち。
これじゃあまるで……。
本当のレンアイ、みたいだ!
そして季節は巡り、春を迎える。
薄紅色の花が咲く木は、神が座す木だとケフィナは知った。
「ところで王妃殿下」
「何よ、宰相様」
「その……木登りばかりで良いのですか? ステイレック殿下とケフィナ嬢は。未来に向かって、愛情育むとか、そういうの……」
王妃は、優雅にお茶を飲みながら答える。
「二人でいつも一緒だから、良いんじゃないの?」
ステイレックとケフィナは、今日も木の上にいる。
お読み下さいまして、ありがとうございました!!
下の方の☆が★に変わると、精霊さんが喜ぶと思います。