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スウィートカース(Ⅱ):魔法少女・伊捨星歌の絶望飛翔  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第三話「融合」
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「融合」(5)

 叩きつけるように自宅の扉を開けると、ホシカは叫んだ。


「おやじ! おふくろ!」


 こたえはなかった。


 静寂に響くのは、外の雨音とホシカの乱れた呼吸だけだ。大雨の中を傘もささず、全速力で帰ってきたのだから仕方ない。


 雨風はまだ強まり、雷まで光り始めている。


 伊捨家の明かりはひとつも点いていない。この夜遅い時間に、両親がふたりとも家にいないというのは考えられないことだ。


 不安に鼓動を早くする胸を、ホシカは我知らず手で押さえた。


 まさか、まさか……


 ひととおり家の中を歩きまわったホシカだが、やはりだれもいない。けっきょくホシカは玄関近くまで戻ってきて、固定電話を手にとった。なにがどうなっているのか自分の目で確かめるため、帰り道ではまだこの方法は試していない。震える指先を必死に落ち着かせ、ホシカは親の携帯電話の番号を押した。


「…………」


 呼出音が鳴ること数回、なんと、電話はつながった。


 瞳を輝かせ、ホシカは声をあげている。


「よかった! おやじ! いまどこに……」


〈実の父親を殺したうえ、その死体を置き去りにして帰っちゃったのはだれ♪〉


 受話器のむこうから返ってきたのは、ゆかいな笑い声ではないか。


 若い女の声は、どう考えても父や母とは違う。聞き慣れた雨堂谷寧のそれだった。


〈人から食屍鬼になってもね、場合によっては、人だったころの記憶が中途半端に残ることもあるのよ。そして記憶には、かならず痛覚もひもづいてる。痛みがあるのよ、食屍鬼には。どんな気分なのかしら。鎧の体は私にあやつられて自由はきかないし、いやでも勝手にまわりの人間を殺してしまう。あげくのはてに、無知な娘の手にかかって両親たちは順番に……〉


 大きな音を鳴らして、ホシカは電話を叩き切った。酸欠にでもなったかのような恐ろしい形相で、ひとつの言葉を反すうする。


「うそだ……うそだ!」


 尋常ではない焦りをつのらせ、つぎにホシカがかけたのは母親の番号だ。


 こちらも数コールで電話はつながった。


「お、おふく……」


〈ひとごろし♪〉


 またネイだった。


〈ホシカちゃんが召喚の儀式に耐え、魔法少女の覚醒まで辿り着いたのは、きょうこの場で、みずから家族の命を奪うためだった。どうか気を落とさないで。ひとなみの人生も亡くなったご両親も、もう二度と戻ってこないけど。ちなみにいま、ご両親のご遺体は警察が……〉


 なにごとか叫んで、ホシカは電話を切った。叩き置かれた受話器を中心に、電話機そのものがばらばらに砕ける。


 雨の音だけが、静かに流れていた。


「そんな……そりゃ、ないぜ」


 壁をずり落ちて、ホシカは玄関にうずくまった。両手で顔を覆い、ひとりごちる。


「うそだ、うそだ、うそだ。やっちまった。あたしが殺した。あんなに憎かった敵は、本当におやじとおふくろだった。なんで殺しちまったんだ? なにがどうなってる、いったい? あたしはどこへ帰ればいい? おやじとおふくろは……いつ帰ってくる?」


 ポケットから飛び立ち、ホシカの肩にとまったのはラフトンティスだ。こちらも縫いぐるみのような体に雨水をしたたらせている。三角座りして膝に顔をうずめるホシカヘ、ラフは遠慮がちに声をかけた。


「ホシカ、つらい気持ちはよくわかります。ですが、この家とホシカの居場所は、すでにネイに知られています。ここはいったん、組織のエージェントに保護を求め……!?」


 衝撃に、ラフは苦悶した。


 そちらを見もせずひるがえったホシカの片手が、ラフを鷲掴みにしたのだ。あれほど身軽にかわされていたホシカの動きは、いまやラフの反射速度をはるかに超えている。


 おもいきりラフを握りしめながら、ホシカは怒鳴った。


「おまえなんかに! あたしの気持ちがわかってたまるか! 心も体も浮かれたまま、この手で父親と母親をぶっ殺したんだぞ、あたしは!? 魔法少女の呪力でな! あたしをこんな風にしたのも、雨堂谷寧をよこしたのも、ぜんぶおまえの組織だ!」


 きしみをあげながら、ラフはつぶれた訴えを発した。


「おやめください、ホシカ……私は、あなたの、第四関門(ステージ4)の呪力を封じる、最後の安全装置。ここで解除、するのは、まだ早い。無意味、です」


「どうせ! どの道みんな殺される! ぜんぶ死ぬ! あたしの向かう先には、絶望という意味しかねえ! 人間だったあたしと、人間だった家族を返せ!」


 暗闇の中、ホシカの背後で響いたのはドアノブのまわる音だった。


 そっとひとりでに開いた扉が、雨音を大きく響かせる。閉じた傘の先端から水滴を落としつつ、夜遅くの来客はおっかなびっくり小声であいさつした。


「こ、こんばんわ~……」


 扉のすきまから顔をのぞかせた来客は、突風に髪が総毛立つのを感じた。


 振り向きざまに放たれたホシカのアッパーカットが、その顔を襲ったのだ。そのスピードは、とても常人の目に追えるものではない。


 一撃必殺の拳は、来客の顎ぎりぎりの地点で止まっている。突きつけられた二本の翼刃を眼下において、来客はごくりと唾をのんだ。刃の輝きがホシカの拳そのものから瞬時に生えたことを、来客は見ていない。


 出したとき同様、翼刃を無意識に拳へ収納しながら、ホシカは来客の名を口にした。


「シヅル……」


「こんばんわ。ひどいなあ、もう。言いつけどおり待ってたら、モールはしっかり閉店しちゃったよ?」


 困った笑みを浮かべるシヅルへ、ホシカは複雑な表情を返した。なにか大切なことを言おうとするが、ただ動くのは唇だけだ。


 しばらくの沈黙ののち、ホシカはふたたび玄関にうずくまった。なにも言わず、シヅルはただ玄関にたたずんでいる。顔を隠した膝のすきまから、ホシカは弱々しくうながした。


「帰りな」


「風邪をひきそうになってる友達をおいて? ……できないよ」


「いま、おしゃべりできる雰囲気にみえるか? 読め、空気を」


 石のように動かないホシカのとなりへ、シヅルは静かに座った。


 丸まったホシカの背中をそっと撫で、ためいきをつく。


「よかった……」


「よかねえよ。なんにも」


「あったかい。ホシカは生きてる、まちがいなく。たしかにここにいる。モールの屋上からジャンプしたときは、ほんとにお別れだと思った」


 かすかにホシカは反応した。


「みてたのか?」


「うん、すこしだけね。じぶんの見たものがなんだったのか、いまだによくわからないけど……とても綺麗だったことは覚えてる」


「言うな、それ以上」


 ホシカの声は消え入りそうだったが、切れ味鋭かった。


「それ以上踏み込んだら、また失うことになる気がする。もう後戻りできなくなる。これは、あんたみたいなヒヨっ子が首を突っ込んでいい話じゃねえ」


「またそんなふうに、ひとりで抱え込んで。なんで相談してくれなかったの?」


「言ったところでなんになる?」


 ホシカの問いかけは冷淡だった。


「正真正銘、ほんとの殺し合いだぞ。なにができる? おまえなんかに?」


 突っぱねられても、シヅルはホシカから手をはなさない。


 殻にこもるホシカの耳に、やがて聞こえてきたのは鼻歌だった。


 いつかの青空の下、校舎の屋上でシヅルが口ずさんだ呑気な鼻歌。


 なんの歌だかわからない、しかし優しいその曲調……


 ますます憎悪をたぎらせ、ホシカは告げた。


「ごめん、助けてくれ、シヅル……」


 気づけば、ホシカの肩は小刻みに震えていた。玄関のタイルに、数滴の涙がはじける。


「もうだめだ。どうしていいかわからない。立ちふさがるものなんて、ぜんぶ壊して進めばいいと思ってた。壊して、潰して、とうとう、この世でいちばん大事なものまで失くしちまった。とても取り返しはつかない。ばかだあたしは……死にたい」


 嗚咽に揺れるホシカの頭を、シヅルは柔らかく腕で包んだ。


「ホシカをこんなになるまで追い詰めるなんて、どこのだれ? 私ぜったい、そいつを許さない……私が想像もできないぐらいの〝ひとりぼっち〟になっちゃったんだね? それだけはわかる」


 ホシカの頭をさすりながら、シヅルは穏やかに目をふせた。


「私は、そうなるまえに助けられた……ホシカに。お返しに私は、ここにいる」


 ホシカはもう、ためらわなかった。


 思いきりシヅルの胸で泣く。生まれたときでさえ出したことのないような大声で、高い声で。このときホシカは、ただの歳相応の少女だった。


「だめだ! あんたは入ってきちゃいけない! なにもかも呪われてるんだ……あたしの吐く息や、吸う空気、感じる風は。そう、歩くあたし自身が、ちいさな呪われた世界。だから、たのむから、もうこれいじょうあたしに関わらないでくれ。失いたくないんだ、あんたまで」


「ホシカはひとりじゃない。まだ私がいるでしょ?」


 泣きわめく声は、無人の居間に、暗い台所にとめどなく響いた。


「……はい、顔ふいて」


 タイミングを見計らって、シヅルはハンカチをさしだした。


 あれだけ長く降り続いた雨も、いつの間にかやんでいる。


 窓の外、かすかに鈴の音を鳴らして塀を歩くのは、雨宿りを終えた猫のつがいだ。おだやかに差し込むこんな月明かりを、ここに住んでいた仲の良い家族はたぶん、もう二度といっしょに見ることはない。


 それでもホシカは、この瞬間に感じていた。


 とうに失ったとばかり思っていた平和のようなものを。表現できない心の暖かさを。


 希望のみなもとは、優しい声でこう語りかけた。


「落ち着いたら電気つけよ? さっきの屋上でちょっとだけ聞こえたのは、あれ。聞き間違いじゃなければ〝魔法少女〟だっけ? ゆっくりでいいから、一から順にわけを聞かせて、ホシカ?」


 目尻をぬぐって、ホシカは顔をあげた。ハンカチに手をのばしながら、うなずく。


「うん……」


 闇に舞ったハンカチは、静かにホシカの足もとへ落ちた。


 気を失って弛緩したシヅルの指先は、ずるずると空間のゆがみに引きこまれつつある。あっという間に玄関からシヅルが消えたあと、〝角度の猟犬ハウンド・オブ・ティンダロス〟の空間の亀裂からわずかに覗いたのはネイの瞳だった。あらゆる表情はまがまがしい弧をえがき、笑っている。


 きょとんとするホシカヘ、ネイはささやいた。


「たしかに、しつこい希望のセールスね。お困りのようだから助けたわよ。じゃあね♪」


 こんどこそ、ホシカは暗闇にひとり取り残された。

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