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食罪人  作者: けい
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第二話「色」(2)


「好き嫌いなどがあれば、おっしゃってください」

 清らかなる声が気を利かせてお客様の好みを聞き出している。気配こそ天上のそれだが見た目は人間の子供にしか見えないあのモノに、愛しい妻は親しみを感じているようだ。

 それはこれから母となる者の成せる技なのか。傍目には迂闊とも取れるその親しみに、子供は相変わらず感情の読めない声で答える。

「ボク達にとって嫌いなものとは、即ち食さないものでしかありません。好きなものならただ一つだけ……愛情の注がれた血肉そのものです。注がれた気持ちは大きければ大きい程美味となると、父上は考えております」

「……そう、ですか」

 子供の口から出るには不似合いな言葉の羅列に、妻はなんとかそれだけ絞り出す。人ならざるモノの気配が、急に強くなったような気がした。

 愛情の注がれた血肉は、怯えた目をして睿を見ている。小さな寝床のスペースに縮こまって、順番待ちでもするかのように整然と並んでいる。睿は立ち上がり、その先頭に向かって歩き出す。

「ここの店の肉はとても……本当にとても美味しそうです」

 微かに感情の籠った声で、子供が聞えよがしにそう言った。睿に聞かせる声であった。愛情の注がれた血肉を、睿に用意するようにと。せがむ。

「期待しています」

 扉越しに、その笑みが見えた気がした。心の底から渇望する、欲望の声には少々敏感になっている自覚がある。知らず知らずのうちに腕に力が入る。

 “仕込み”のために手を伸ばしていたアヒルの一羽が、ぐったりとして痙攣する。ビクビクと震えるその脈動は、心の蔵から贈られた生きる意思ではない。命を奪った瞬間の罪であり怨恨である。天上の存在への食材≪贖罪≫をぶら下げて、睿は無心に仕込みを始める。

 今日? 今夜? 時間感覚がわからない。人知を超えた存在がこの店に来てからというもの、陽は沈むこともなく、心を惑わす夜の闇に包まれることもない。

 睿の手が汚れる。愛しい愛しい血肉から零れ落ちた、命を奪われた哀しみの雫が。筋肉の緩みから流れる排泄物の生暖かさが。本能からの遅すぎる抵抗から出来た傷による、香しい赤が。

 極上の肉をまな板の上に置いて、その姿に思わず、小さく息を吐いた。扉の向こうへと気付かれてはならない。頭を小さく振って、己の内から邪を追い出す。ダン、ダン、と強く刃を打ち付け、その欲望すらも叩き切ろうとして……また、長く、深く息を吐いた。

 足を断ち、舌を抜き、手羽先を断ち、内臓を抜き出す。断った際に造り上げた大口から、ずるりと内臓を引き出すと、あの『欲望』がまた顔を出す。

 汚れた歓びが一瞬にして頭の中を駆けずり回り、ぶるりと震える臓物を敢えてゆっくりと器に落とす。まるで杏仁豆腐でも愛でるかのように、プルプルとした感触を楽しむ。指先から伝わる震える命の名残を、目から、脳髄へと深く深く落とし込む。

 赤は、綺麗だ。

 そのどす黒い鈍い輝きは、生命の力強さを示す。

 ぬるりと光るその濃厚な汚れは、自らの手で吊るし上げた贖罪をこの目に焼き付ける。

 不要なものを削ぎ落した肉を炉に吊るしてから、睿は扉に背中を預けた。器に移した臓物の感触を楽しみながら、愛しい声に耳を傾ける。

 指先で赤を彩りながら、その欲望のカタチをずるりと飲み込む自分を想像して身悶える。声は殺す。肉と共に殺す。

「お母様は? 一緒に来られないのですか?」

 愛しい妻がまた迂闊なことを口走っている。龍の存在が強大過ぎて、睿とはまた違う方向で狂わされているのだろう。本来ならば美しい妻は、姿だけでなく繊細で聡明な完璧なる女性だ。こんな配慮の足りない言葉を口にするような女ではない。声を殺したくなるような失言はしない。

「母は……ボクを“生み出して”すぐに亡くなりました」

「……っ! それは、すみません」

 息を呑む気配が扉越しにも伝わってくる。あの艶やかな髪を揺らして、愛も哀も美しく映し出す瞳が伏せられているのだろう。どくりと、心臓が揺れる。美しい、その肉に流れるは赤だ。

「お気になさらず。龍になった母は……もちろん父も龍ですが。その“母体”はボクを生み出すという大罪を犯したために、そのものとしての命を取られてしまったのです。本来、龍は永きに渡って命を繋ぐ生き物です。それを一瞬にして奪い去れるのは、神以外にはありません」

「そんな……」

 龍の子供の口から語られた内容は、身重の妻には辛い内容であったであろう。その証拠に彼女の鈴のような声がか細く震えている。

「……貴女は心優しい方ですね。その身に宿した命もさぞかし、幸せなことでしょう。母親の胎内にて愛を与えられた命……」

 子供の声にひた隠しにした涎の気配を、睿は確かに感じ取った。それは扉越しの睿でも感じることの出来るものだった。相対した愛しい妻が、気付いていないはずがなかった。

「……失礼しました。ボクも胎内ではないにしろ、生まれ落ちてからというもの父から多大なる愛を受けております。性も種族も違えども、子を想う親の愛というものは変わらないもののはずです」

「……ええ、それはそうですね。もちろんです」

 取り繕い方は親子そっくりに、子供はそう言って笑った。感情が少しばかりは漏れ出た、といったその声音は、妻の緊張と恐怖を拭うにはまだ足りないことだろう。母親というものは、子供を守るために神経が鋭敏になるらしい。その身に二つの命を抱えているからこそ、その鋭敏さは過敏というものとは無縁である。

 空気に纏わりつくような沈黙が降り、その時間に耐え兼ねたのか妻が睿のもたれている扉をノックした。


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