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7.実在しない豚骨ラーメンの匂いを嗅ぐ

【前回までのあらすじ】

 家族は家にいて家におらず、彼だけ家にいないのに家にいて、

 体は意識不明で病床で、ここに居るのは生霊なのだと、

 告げたのは国の創始者の幽霊で、

 彼の思考は大混乱。




「ちょっと待ってちょっと待ってよ。」


 キャパを超えたときこそ冷静に、優先順位をつけて1つずつ解決していかなくちゃ。

 まずは――


「みんな大丈夫なのか? 生きてるってことでいい?」


「もちろん元気にやってるよ。生きてる。おまえがいなくてもよくやってる。」


 ならよかった。

 ……けど、

 そもそもこの男を信用していいかもわからない。

 なにを言っているのかよくわからないし、状況を把握できない。

 けどこの不思議空間から抜け出すヒントは今のところこの男だけだから、警戒心を解かない決意のもと話を聞くことにする。


「説明してほしい……」


「知覚のズレだよ。」


 続きを待って黙るが、彼も黙る。


「え? 説明して?」


「……説明っていわれても、それ以上でも以下でもない。知覚のズレ。おまえの知覚する世界と、他者の知覚する世界が、尋常じゃなくかけ離れた結果だよ。」


「なんで?」


「おまえの体が病院にあるからだ。」


「いや、それがまず嘘だよだって、ご飯作ってみんなに食べさせてたのに。」


「そう、それがおまえたちの当たり前の世界だったからな。でももう違う。おまえは病院で、家に居るはずがない。そういう他者の知覚がより多く重ね合わされて世界が出来上がったんだ。共通知覚に起源する世界だ。」


「……なに言ってんの?」


 つい強い口調になってしまう。


 創始者は口元に薄笑いを浮かべながらタバコを吹かす。


「なにか言ってよ。」


「おまえはもう気づいている。」


 なにに?


「なぜおまえはいつも1膳、すくなく作っていたんだ?」


 知るかよ。


「決まってる。おまえはおまえを数えてなかったんだ。」


 もうお手上げだ。

 黙ってしまったおれを横目に、創始者はタバコを深く吸って、庭に向かって鼻の孔から煙を吐き出した。

 それからこっちを向く。


「いろいろと説明の方法はある。いろんな分野でいろんな手法で研究してきたことだからな。だが今は簡潔に、とある宗教の言葉だけでやる。」


「アッ…ハィ。」


 話が長くなりそうだ。

 その場で正座を作った。


「身体――脳を含めた身体によって知覚される世界を『()()』、あるいは単に『彼地(カチ)』と呼ぶ。知覚能力のあるすべての生物は、皆それぞれ固有の『カチ』で生きている。神経科学ならクオリアとか、哲学なら表象とかいうんだけど、むしろわからんよな? 量子論でいえば猫を閉じ込めたまま開けていない箱の中身が『カチ』だ。花を見て“黄色”と思う。しかしその“黄色”が、果たして、誰にとっても同じ色か、誰も証明しえない、ということだ。“黄色”という言葉は共通認識を支えているが、その実、知覚の同一を意味しない。あぁ豚骨ラーメン食いたいなって思ったら実際なくても鼻にあの、くっさい匂いがよぎるみたいなそういうことだ。」


 そうそうお腹空いてるときは涎が止まんなくなるけど、体調によってはきついよね――って違うわ! 脳内でノリツッコミさせんな!


「対して『()()』、あるいは単に『此地(コチ)』と呼ばれる世界がある。これは物質を元手に出来上がった共通知覚の世界だ。でももちろん物質の実在なんて証明できないし、たぶんない。つまり真に共通知覚を支えているのは『カチ』の重ね合わせだ。重ね合わさってれば合わさってるだけ強固な『コチ』が出来上がる。たとえば魔都とかな。」


 おれが考えているうちに、創始者はタバコを咥えて、吸って、ぽあと吐いた。

 煙が輪っかの形で出てきて、やがて消えた。


「滅多なことがない限り日常生活でコチとカチを区別する必要はないし必然性もない。しかし知覚によって完全に遊離し得る。いまの、この家のようにな。」


 話がいきなり具体的になって、ハッとする。


「おまえの家族は、コチの、この家にいる。おまえだけが、カチの、この家にいる。」


 その理屈なら、なるほど矛盾しない……のか?


「初めは惰性で重ね合わさっていたんだろうが、家族がおまえの不在を日常として受け入れると、その家族のカチの食卓からおまえは消える。伴って、おまえが望むおまえ込みのコチから家族はだんだんと消えていった。」


 胸がキュンとする。切ない。けど、切ない理由はちょっと考えたくない。


「だが飽くまでおまえはカチよりもコチにいたがった。コチを優先しようとした。かつ、…おまえは本当にはコチにいてはいけないと知っていたんだろうな。認めたくなくてかまととぶっていたのかもしれないが、実際、おまえは自分を数えられなかった。」


 気づけばおれの視線は下がっていて、閉口して奥歯を噛んでいた。

 その姿勢のまま、身じろぎはできない。


「わかった?」


「わかんねーよ。」


 わかりたくないのかも。


「あーあ、バカは苦労するな。」


 はぁ? ハラスメントかよ。





【次回予告】

 生霊、選択を迫られる。


【注釈】

 本作に登場する『カチ/コチ』理論は、あくまで設定の都合上必要で、怪異を実在させるためにでっちあげたものです。

 オカルトや宗教とは無関係です。

 民俗学や神経科学、哲学、物理学、心理学などの学問からは着想を得ましたが、私の無知と物語の整合性のために、論理は飛躍しています。

 信じてはいけません。

 幽霊なんてありえません。

 だから怖くて夜眠れないとかはありません。

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