ツンのときもデレのときも永遠に愛することを誓いますか? 7/19 2日目、8時頃
八時になる三分前にドアベルを鳴らす。
実幸が出てくる前に、と彼女は髪にほつれがないか指先を触らせて確かめる。
それからハッとして、脳内で、今日何度目かの言い訳をくり返した。
(謝罪のために身形を整えてるだけだから!)
昨晩、実幸からセクハラ発言があったことも手伝って、ミユは襟のないシャツを首まで閉めて、スキニーパンツに裾を入れていた。ヒールの低いパンプスも含め、全身黒尽くめだ。
しかし、いつもなら黒髪に合わせてブラックをつかっているアイラインに、今日はブラウンのアイシャドウをかすかに乗せた。ピンクのチークを頬に淡く回した。口紅の上にグロスを慎ましく重ねた。長い髪は左側面から右の後頭部にかけて編み込んで、うなじの上、右耳の下あたりで、髪の内側に巻き込んだ。黒いエナメルのバラが蕾をつけたようだ。
(真っ黒だと手抜きと思われちゃうかもしれないし! 誠実さを表明したいだけなんだから!)
ミユが玄関前でひとりツンツンしているうちに、八時になった。
もう一度ドアベルを鳴らし、待つ。
寒い。
コートを着てこなかったのは、彼女が明るい色しか持たず、母に黒を借りるのは理由を訊かれたら面倒で、それなら家が近いのだから少々外気に当たるくらいは耐えられると思ったからだった。
しかし、実幸は出てこない。
待ち合わせの五分前には必ず待っているような性格だったはずだ。
十年以上の時間が人を変えてしまったんだろうか? ……いや、
(まさか……)
昨日がそうであったようにいつも遅い時間まで働いているのであれば、疲労が溜まっているのかもしれない。
加えて強い酒を常飲しているようだし、どこか体を悪くしていたのかもしれない。
加えて、昨日は深酒だった。
心配になって慌てて、昨日持ち出した鍵で玄関を開けて転ぶように靴を飛ばして家へ上がると、仏間へ駆け込んだ。
実幸は大の字になって眠っている、――ように見える。
ミユはすぐに手を彼の口元に添え、呼吸を確かめる。
彼女の冷えた手のひらを彼の呼気が温めた。
生きている。
(心配させないでよもうッ!)
安心して、枕元にすとんと正座を作った。
なんとなしに見る実幸の、顎にひげが伸びている。
肌の色艶はくすんでいるし、肌理なんて粗いし、皺も増えたし、薄いシミだってちらほら。
カーテン越しにも朝日のもとでは隠せない。
家族のために自分を犠牲にして、死の陰を負った儚げな少年はもういない。
おっさんだ。
年相応、彼はまごうことなきおっさんになった。
(丈夫そうでなにより。)
ミユは立つと、カーテンを開けた。
ガラス戸も開ける。
風を通そうと台所の窓も開けに行こうとしたとき、実幸が唸った。
「ざみぃ」
眩しそうに顔をしかめて、薄目でミユを見上げる。
渋い顔のまましばらくして、やっと自分を見下げているのがミユだと判る。
「あー頭いでー……。もう八時? さみぃ。」
ガラガラの声を絞り出している。
寝坊したくせにふてぶてしい。とは思うが、ミユには怒りはない。
「ごめん、昨日、送るつもりだったんだけど、俺寝てたよね。まじでごめん大丈夫だった帰り道?」
「うん。」
実幸が言うのを聞きながら、ミユは膝をついた。
「謝罪の件だけど、いま話しても大丈夫?」
「あぁ、いぃいぃ。憶えてるから。」
「……そっか…………。」
ミユは考える。
今日の彼女はやむを得ず手ぶらなのだ。詫びの品を買うにもそれらしい店はまだ開いていないから仕方がなかった。しかしだからといって、たとえばまた改めて訪問する約束をこちらから取り付けていいものだろうか?
また、昨晩、実幸は弁護士を介さずに直接罰を与える、というようなことを言っていたが、眼前では未だ黙ったままでいる。では罰が決まり次第実幸から連絡をもらうために番号を交換しておくべきだろうか? それも、こちらから言い出すことではないように思える。
昨日は楽しく会話できたが、今後一切自分とは関わりたくないかも知れない。あるいは、ミユにとっては重大なことでも、実幸にはとっくに乗り越えた、もうどうでもいい過去なのかも知れない。
実幸はなにも言わない。
布団の上でまぶたを閉じている。
「じゃあ、帰るね。」
「ぁえ?」
喉からおかしな音を出して、実幸は目を開けた。
眠っていたらしい。
「昨日……っていうか今日だけど、夜遅かったし、寝てないでしょ。疲れてるみたいだし、今日は休んだら? 罰とか、そういう話は、思い付いたときいつでも言って。わたしいま実家だし、多分ずっとそうだから。」
「いやいやいやいや。なに言ってんの。罰なんて昨日のうちに思い付いてんだよ。とりあえず今日は一日付き合ってもらうから覚悟しろ。」
半身を上げて顔を近づけて実幸が言う。
いわゆる“脅す”というような挙動で、いかにも滑稽だ。
「うん。……とりあえず口臭いから歯磨いて。」
実幸はキョトン、としたあと鼻でフンっと笑い、おっこいせと立ち上がった。
廊下に一歩出たところで実幸が振り返ると、ミユはまったく自然な動作で布団をたたみはじめていた。
そこで試しに言ってみる。
「あの……朝ごはん作って。味噌汁。具は……適当に。」
ミユが振り返らずに応える。
「んー。」
ミユの後ろ姿――つまりまとまった髪の艶、首の細さ、背中の小ささ、くびれとお尻の凹凸のバランス、薄い靴下に包まれた足裏の流線を、実幸は寝ぼけ眼で眺めた。
「うん。」
実幸はひとりコクンと頷くと、洗面所へ行った。




