3.「いただきます」をする
【前回までのあらすじ】
小さい子が予測不能の事態を巻き起こすことはしばしばあるが、この家の場合はすこし毛色が違う。
だがもちろん空腹は最高のソースというのは共通だし真理ですらある。
牡丹の手足を洗う。
牡丹がときどき迷い込む亜空間――“みち”の地面は湿っているらしく、素足には泥やコケがついていた。
牡丹は透明度が高い。
空前絶後にかわいくて真性の不思議チャンでもある。
そんなわけで現実感がない。
近所の自然公園のベンチに座っているとシジミチョウが頭に何匹か止まって翅をひらひらさせていたことがあるが違和感はないし、動画は残してある。
だからこうやって、浴室で足の裏を洗われるのを身をよじってくすぐったがって呼吸困難さながらにキャラキャラ笑っている姿を見ると、人間らしくて安心する。
「もう『みち』には行っちゃだめだからな。」
何度目の注意になるだろうか。
「ぼたんが行ってるんじゃないよ。もうみちなの。あれここぉ?って思ったらみち。」
「うーん…そうだよな。」
自分の意志で行っているわけじゃない。今回のは特にそうだ。
六花が閉じ込めたからだ。
さてどうやって叱ろうか。
六花は大体はいい子だ。
叱るとすぐに謝るし、言いつけは素直に守るし、最近じゃ姉としての自覚が出てきて基本的にはいい子。
でもたとえば満員電車で老人に席を譲る理由は助けるためではなく、そうするべきだと教わったからなのだ。
おそらくまだはっきりとは善悪の判断がついていなくて、本当に欲しいものがあるときにはモラルやマナーは後回しになる。
小学生とは思えない仕上がりの美人で、しかも泣き虫だから、常識よりも先に泣き脅しを覚えてしまいそうで怖い。
おれも屈しそうで怖い。
逆にわんぱくな結と晶は叱りやすくて助かる。
双子はそれなりに問題児で、抜群に顔がいい。
この校区で双子を叱れるのがおれしかいないくらい、顔がいい。
チヤホヤされて怒られないまま益々つけ上がって、顔の良さだけで世界に君臨しているような気になっているから、いつか痛い目にあうだろう。
だから叱ってやらなくちゃいけない。
もちろん家族愛であってひがみじゃない。
美典と真吉もよく似ている。
2人とも背が高くて運動神経抜群。
肉づきも、タンパク質への貪欲さも、目力の「クワッ」感も、よく似ている。
だってのに美典だけが女子にモテて真吉はからっきしだから不憫だ。
スポーツでも同じで、美典はいろいろ手を付けたし引く手数多だった。それがバレーを始めてからはやっと1つに決めたようで、高校もバレーの推薦で行くだろう。でも就職先としては考えていないみたいだ。トレーナーとか現実味があることを言っている。
片や真吉は小学生から野球一筋で、本気でプロの野球選手を目指している。恋愛事にうつつを抜かしている暇はないからモテなくてもいいらしい。ホントはムッツリのくせに女子のまえではクールぶってるんだろう。そういうところだぞ。
おれだけが誰とも似ていない。
年下の4人は両親の実子で、年上の3人は同じ孤児院の出だが美典と真吉は血を分けた姉弟なのだ。
この家ではおれだけ血のつながりがない。
おれは義父を財布と思っている。
父性は皆無で、いつも楽しそうで、まともな親でもまともな大人でもない。
おれを養子にしたのは昔飼っていた犬に似ていたかららしい。
そのあと美典と真吉を引き取ったのは、おれへのクリスマスプレゼントにするためだった。
箱を開けると子供が2人出てきたのだから当時のおれはサンタクロースの素性を怪しんだ。
子供を別の子供への贈り物にするなんて人道的とは思えない。
誘拐、人身売買、黒い繋がり――。
困惑するおれに親父は、安心してサンタクロースなんていないよ、と笑った。
「僕のところには来なかったから。」
仮におれがサンタクロースだったとしても、親父のところには行かないだろう。
陽気なソシオパスのところには。
3人を養子にとったあと親父は美人と結婚して、子供を4人作って、親父の無神経な呪文のせいで美人の魔法が解けてヒステリックな鬼嫁という正体を現して、一昨年離婚した。
ここ1年ほどは海外での仕事が忙しいようでほとんど帰らないから、夜、安心して眠れている。
こういういきさつで子供の数は7人。
だから家族は7人。
子供だけの家族。
さぁ食事だ、と食卓に戻ると美典が冷蔵庫の前に立っていた。
「おい美典なにハム食ってんだ!やめろ座れ。
真吉、靴下臭ぇんだから洗濯機入れんなっつたろ風呂場に置いとけ。
結・晶、食べ物で遊ぶな。
六花スマホ置いて。
眠っちゃだめだぞー牡丹、ご飯だよー。」
みんな揃ったところで手を合わせる。
「いただきます。」
みんなが口をそろえて言う。
「「「「「「いただきます。」」」」」」
そして訝る。
足りない。
どうして6人分しか用意されていないんだろう。
1人分、足りない。
………………。
立ち上がって、体を1歩引く。
下の子たちがスプーンを食器にぶつけてカチャカチャあわただしく、口の中に物を入れたままやかましくおしゃべりして、テレビのチャンネルを奪いあい酢の物を押しつけあいながら元気よく食べる姿を視ていると――兄ちゃんはもうお腹いっぱいだ。
――――――さぁ、ほら、みんな、食べるんだ。
おれは台所へ行き、片付けをはじめた。
【次回予告】
次回、長男は飯にありつけるのか――。