25.一方”コチ”にて家族は、
【前回までのあらすじ】
夕飯を作ってさあ食べるぞという段になって、ようやく自分が生霊だったと思い出した主人公。危機感がないことにすら危機感が湧かないという不味さ。
【御注意】
今回は3人称文体です。
三善家の3姉妹は風呂から上がり、牛乳片手にまったりしている。
兄弟姉妹7人のうちで上から6番目の六花がなにげなく、2番目の美典に尋ねるように言った。
「今日の晩ご飯、兄ちゃんみたいな味だったね。」
オムライスのなかのチキンライスに大量の野菜が混入していたからである。
しれっと野菜を食べさせようとするのが、兄のやり口なのだ。
「兄貴のこと食べたことないからなー、わかんないなー。」
美典は爽やかに茶化す。
「ちがうのッ。兄ちゃんを食べたんじゃなくって、……ん、ぅん……」
六花が焦って唸る。
「六花は母さんと間違えて兄貴のおっぱい吸ったことがあるから、そのときかな?」
「ちがうわたしそんなことしてないッ!」
美典は六花が必死なのを安心させるために、笑う。
「ごめんごめん。そうだね、兄貴が作ったみたいな味だった。今日の食事当番は……」
今日は水曜日だ。
美典はハ、と息を引く。
壁のコルクボードに刺してある家事の当番表を確認しなくてもわかるが、確認しないと気が済まない。
なぜなら今日は水曜日で、食事当番は美典のはずだったからだ。
だが美典に食事を作った記憶も、食器を片した記憶もない。
しかしシンクは綺麗に拭き上げられていて、美典の腹は満たされている。
「おにいちゃんだよ。」
7番目の牡丹が出し抜けに言う。
見ると、彼女は上唇に牛乳のヒゲをこしらえて、確信めいた表情をしている。
父と母の実子である下の4人、こと牡丹は、霊感がえらく強い。
「そう……。……来てたのか。」
前回からもう1ヶ月ぶりになるだろうか。
兄は倒れてからしばしば、病院に体を置いたまま家に帰ってくることがあった。
そして必ず夕飯をつくる。
牡丹は今回も視えたようだ。
食事なら今日も含めて7回、美典はすべて食べたのに、視えたのはずっとまえに1回だけだった。
「いまお風呂に入ってる。」
牡丹が言ったあと、3人ともが黙り込んだ静寂に、ザバン――、と風呂場のほうから聞こえた。
長男曰く『圧倒的陽キャ』の美典だ、怖がらずすぐに風呂場へ行く。
ついさっき電気は消したはずなのにおかしい、明かりが点いている。
扉を開ける。
湯船に4・5番目の双子が並んで浸かっていて、「「キャア」」と声変わり前の高い悲鳴を上げた。
美典が抜群の動体視力で即座に閉めた扉に石鹸や桶がぶつかり、そしてからかうような声が叫ばれる。
「「姉ちゃんのえっちぃ!」」
美典は釈然としない顔で台所へ戻ってくる。
台所の小さなテーブルに椅子は2つある。
いつも兄が座らないほうに座ってみる。
兄が入院する前にも、母が家を出る前も、父の海外出張が頻繁になる前も、主に食事を作っていたのは兄だった。
いちおう当番制ではあったが、兄が台所に立つ日が最も多かった。
とくに水曜日の当番は絶対に兄だと決まっていたのだ。
日曜日に作り置いていたおかずが底を尽きるから、水曜日に補充のために大量に作るのだ。
それが普通だったのだ。
だからほら、兄が入院する前と同じように、コンロには銅鍋が置かれている。
中にはきっとおかずがたっぷり入っているはずだ。
銅鍋のふたを開けてみる。
(煮物だ!)
こいつのせいでお弁当が地味になるから恥ずかしくて友達に見せたくないおかずの代表だ!
しかしいくら文句を言っても兄は作る。
栄養素がどうのこうの言って作るのだ。
美典は何気なく、レンコンをつまんで口にほうる。
レンコンの角で口を内側から歪ませながら、食べる。
「兄貴の味だ。」
普段は味わって食べないけれど、これは美味しいのだ。
台所のとなりの居間で、宿題が表示されたタブレット端末をちゃぶ台に広げたままテレビを見ているのは、3番目の真吉だ。
姉妹の会話を聞いていた彼は、キレた。
背後のふすまをあけて、廊下の向かいある仏間――兄の部屋の板戸を睨んだ。
そこへ向かって叫ぶ。
「いい加減にしろよ重いんだよ! 幽霊になってまでメシ作りにきてんじゃねーぞ! いっつも人のことばっかでよ! 自分二の次にして人のこと助けて幸せみたいな顔しやがって押し付けんじゃねえ! そんな余裕があんならさっさと自分治してはやく帰ってこいボケェ!」
怒声がわずかにこだまして、廊下の闇はいっそ静まる。
応えはない。
スパンッとふすまを閉めると、腹立たしそうにちゃぶ台に頬杖をついた。
憂慮が彼を苛立たせている。
兄はよく未来の話をした。
「今晩は何を食べたい?」とか、「次の試験いい点とれそう?」とか、「将来はどうしたい?」とかだ。
しかし反問してみると、「わっかんね」くらいの応えしか返ってこない。
未来を選ぶときには、兄は兄自身ではなく妹・弟を優先する。
何の疑いもなく、当たり前のようにそうする。
だから当たり前のように、真吉は兄を犠牲にするつもりだった。
父親だってそうしている。
父親は誰のためでもなく自分の願望ために海外へ行き、家を空けているのだ。
だから真吉も野球のために妹・弟の世話や家事炊事を疎んじて、兄の時間を、労力を、未来を奪うつもりだった。
なにを犠牲にしても夢を叶えてやるつもりだった。
だが、兄がこんなにも長い期間いなくなってはじめて、自分が夢のために残酷になりきれない性質なのだと思い知った。
たとえば部活の最中にも、授業の最中にも、不意に、兄はもう戻ってこないのではないかという不安に襲われて、ボールを取り逃がす、あるいは教師の声を聞き逃す。そんな失態ばかり繰り返してしまっている。
このままでは練習に身が入らない。勉強が手につかない。
きっと、夢を叶えられない。
家族には健康で、元気で、それぞれ幸せでいてもらわないと、自分は夢を叶えられないらしい。
そう、真吉は覚った。
だから夢を叶えるために、大切な人を大切にしようと決めた。
これまで面倒をみてもらった分、今度は自分が兄を叱ってやらないと、と思う。
献立はともかく、幸せを人任せにするな、と思う。
ぶっちゃけ重い。
時間も、労力も、未来も、大切な人のものだからこそ、貰うには重すぎた。
兄はそれを知らないといけない。
自分を大切にしてほしい。
そして真吉も、兄を大切にしたい。
だからとりあえず、さっさと帰ってこい。
しかし彼らの願望とは裏腹に、彼らの兄はなおも“コチ”から離れ、共通の時間感覚も、空間感覚さえ、失いはじめていた。
【次回予告】
ハッとしてネコチャン。




