18.一方“コチ”にて大親友は、
【前回までのあらすじ】
生霊になった件について大親友に相談した主人公、糸口をつかむ。
【御注意】
今回は3人称文体です。
大家族の長男である彼の寝床は仏間だ。
以前は2階の子供部屋に弟と一緒だったが、弟が反抗期を迎え一人部屋がほしいと駄々をこねたので彼は折れた。
出ていった母親代わりでも、不在がちの父親代わりでもある彼にとって朝はとても忙しく、階段を下りる時間を省略できたのだからよかった。
と、思っていたのは束の間だった。
仏間には鍵をかけられない。
性処理ができない。
トイレや浴室も考えたが、やはり生活空間だ。もし小さい妹に知られたら後悔と羞恥の念に焼かれて死ぬであろう。
などと熱く語った末、彼は大親友である束本大貴に取引をもちかけた。
「オカズと引き換えに場所を提供してほしい。」
他方、束本にもそういう方面に興味がない訳ではなかった。しかし過干渉の姉と母に監視され、物理的にも電子的にも入手は困難を極めていたのである。
両者の利害は一致した。
しかし視覚的にアレなので、彼が青春の1ページを破って性欲で燃やしているときには壁を目前にして座り、束本は勉強机の椅子について、背中合わせにすることに決まっていた。
取引が終わったのは、三善家で風邪が大流行したせいだ。
春、まず末の妹が発症して、彼以外の全員に伝染してしまう。
彼を除く年上の4人は自宅療養で済んだが、下の2人の妹は入院しなければならなかった。
そして全員が快復したのち、彼も同じ病気に倒れた。
この間およそ1ヶ月、彼は学校を休んでいる。
彼の幼い妹は、おにいちゃんのせいだと言った。
おにいちゃんがそばにいなくちゃまた病気になる、と甘えた。
論理的ではないが、妹煩悩の彼が妹のおねだりの前で、また罪悪感のために、理性を保てるはずがない。
彼が終礼するなり下校するようになったのはこのせいである。
ちょっと寄り道して帰るのも、束本家の壁を確認するのもすっぱりやめた。
復活して久しぶりに顔を合わせたとき、彼は笑って「大変だった」というような表面的なことしか話さなかった。
だが後悔は伝わった。
詳しく語らないのは、罪の一端を担がせないためだと束本は察している。
実際、彼は自戒していた。
――放課後、束本くんの家に行かなければ、家族にもっと目をかけていれば、こんなことにはならなかった。長男のくせに家族をないがしろにして、ひとりでいやらしいことをしていたなんて、最低だ。――
彼は性を否定した。
その後、原因不明で倒れた。
グラウンドと体育館と職員駐車場がつくる持て余された空間と、渡り廊下わきのわずかな隙間にある花壇の一角に、束本はぽつねんと腰かけている。
パンジーが銘々鮮やかに、カッと瞠目した顔つきで束本を囲んで、彼の地味さを引き立てていた。
束本はひとりで弁当を食べる。
頭のなかで、友人がいなくなる前と変わらない、生産性もへったくれもない会話をして、孤独を癒していた。
そして馬鹿げた空想だとふいに自覚しては空しくなる。
友人がいなくなってからずっとこんな調子だ。
束本はたこさんウィンナーを齧った。
入学以来、姉が作るキャラ弁を罰のように食べつづけている。
きっと友人なら「女子かよ可愛さ重視で栄養のバランスが欠けてるんだからほらシイタケお食べ。」と、煮物をつまんで寄こしただろう。
きっと自分は「見ないで。」と恥ずかしがっただろう。
もし、ここに、友人がいたら。
静かになって久しい右側をなにげなく見ると、彼が座っていた。
こっちを見ている。
この肌寒いなか、夏服だ。
最後に見た姿のままだ。
束本はつと視線を外し、すこし悩んでから、ふいと話しかけてしまった。
「久しぶりに学校に来たね。」
話しているあいだ、これが妄想か現実か束本にはわからなかった。
ついさっき授業に突然に現れたときには、どうやら他の生徒にも視えていたようだが、ここには2人だけだから確証がもてない。
この会話はまったくの無価値かもしれない。
それでも話さずにはいられなかった。
変だ。
中学のときに失敗して疲れてしまって、会話して嫌われたり好かれたり、人間関係の面倒は避けていたはずなのに。
最初は彼のことは苦手で、友達になるなんて思ってもなかったのに。
黙ってなんかいられなかった。
「もうこんな時間かちょっと行ってくる13組。」
まもなく5時間目が始まる。
「ひとりで大丈夫? ついて行くから、明日でも……今日これからでもいい。」
仮説がすべて的中していて、彼が遭遇した女性が本当に13組にいたとすれば、彼はまた殺されかねない。
今度は生き返れないかも知れない。
「大丈夫だって、こっちは生霊ですゼ。授業出なくても怒られないよ。束本くんは早く戻りな。」
論点が違う。
「そうじゃなくて。危険だよ。」
「ここ学校だよ? 先生とかもいるんだから襲われたりとかはないでしょ。」
確かに霊感もなくオカルト方面に疎い自分に、できることはないかも知れない。
「だけど……」
顔を曇らせる束本を安心させるように、彼は笑いかける。
「束本くん心配症~。大丈夫すぐ戻ってくるから。今度は生身でね。」
と、旧校舎のほうへ歩きはじめてしまう。
「じゃあいくね。」
怖くなる。
行くなのか、逝くなのか……。
「待って。」
こちらに背を向けた友人の腕に、束本は手を伸ばした。
手はすり抜けた。
彼の体が薄らいで、消えた。
「いくな……。」
束本のかすれた声も、悲嘆の表情も、誰にも届かなかった。
【次回予告】
第1関門、結界。




