10.女子と急接近する
【前回までのあらすじ】
生霊になっていたことを、家に無断で上がり込んでいた幽霊に知らされ、ついでにバフをかけてもらって家から出られるようになった主人公。
最初に訪れたのは、彼の通う学校の最寄りのバス停だった。
雨宿りしようと屋根のある待合所のベンチに腰かけたが、隣には女子高校生が座っていた。
どうしよう、女子の隣でハァハァいってる。
絶対キモチワルイって思われてるッ!
なるべく音をたてないように深呼吸して、呼吸を整えようと頑張ってみる。
ふと、さらに恐ろしい可能性に思い当たる。
女子に気づかれないように、そっと自分の胸を見る。
おれは夏の制服を着ていて、シャツが雨に濡れて透けていた。
(乳首がッ…)
慌てて腕を組む。
肩が上がり過ぎていささか不自然でも、乳首をさらすよりマシだ。
とにかく視線だけは向けないようにとなんとなく空を見上げてみて、驚く。
青い。
雲ひとつない晴天から、大粒の雨が降っている。
水滴の1粒1粒が虹を含んで鮮烈に降り注ぐのを見ながら、おれはふいに思い出した。
これを知っている。
まったく同じ“狐の嫁入り”を、すでに、経験している。
その日の朝にやっていた天気予報すら思い出せる。
『本日、蛇ノ目線南方から逢魔ヶ淵にかけて、狐の嫁入りが行われます。ご両家のお家柄から鑑みて効果はテキメン、青天の霹靂のち一時豪雨、のち快晴となるでしょう。』
下校途中、地獄坂を走り下りている途中にいきなりに土砂降りに当たって、バス停で雨宿りしながら、普段は徒歩だけどバスで帰ることにしたんだった。
ふと創始者の言葉が蘇る。
『――おまえの知覚のとおりに世界が出来上がっている――』
ヤツは難しいことをカレコレ言っていたが、つまりここは、おれの記憶なのでは?
おれは病院のベッドの上で、体から出られずに、頭の中をさまよっているということでは……?
そうだ、病院にある体に戻れない理由を探していたはずだから、この記憶が、もしかして…………?
背筋に緊張が走る。
このとき、これから、どうなったんだっけ?
……思い出せない。
いや、そのとおりやる必要なんかないんだ。
ここでどうあがいたって過去は変わらない。未来を改変することもないんだから、思うようにすればいいんだ。
女子に話しかけてみよう。
彼女の横顔をさりげなく横目で見てみて、思いがけず、根拠もなく確信した。
この人を知ってる。
そして、『この人を知ってる』って、以前にも確信したことを思い出した。
ただの知り合いとかではない、もっと親密な、懐かしい存在のはずだ。
頭が働くより先に、自然に体面は彼女を向いて、口はもう息を吸ってなにか話しかけようとして、でも誰だか思い出せないから、顔を笑わせたり困らせたりグニャグニャ歪めながら見つめてしまった。
魔都高校の制服に、赤いバッチをつけているから1年生。後輩。
ストレートの長い黒髪はツヤツヤだ。
けぶる雨に滲むような白い肌。
目は切れ長で、泣き黒子がある。
口は小さく唇は薄く、でもしっかりと凹凸はあって、真っ赤。
体はやせ型で、大きく出ているところはない。でもくびれや手首足首なんか、細いところはキュッと細い。
さすがに視線に気づいて、彼女はゆっくりとこっちを向く。
容姿端麗。
こんなびっくりするような美人を、そう簡単に忘れるだろうか?
ラブロマンス映画で、主人公がヒロインに「どこかで会ったことが?」って声をかけるみたいな、恋の始まりのシーンをうっかりと思い出してしまっていた。
そんなのはナンパの常套句だと思っていたけど、案外真実なのかもしれない。
つまりは精神的なショック、たとえば一目惚れなんかで脳が誤作動した結果の既視感では……?
で、暴走した。
「あの! もしかして、どこかでお会いしたことが?」
彼女の眉が歪んだ。
「そうだったかしら?」
一瞬茫然としたあと、一気に血の気が引いた。
こんな冷たく突き放されたあとのナンパマンはどうやってお茶に誘うところまで持ってくの? メンタル強……。
と、こんなことを以前にも思ったことを思い出していた。
奇しくも過去と同じ行動をしてしまっている。
恥ずかしくて赤面したところまで一緒。
けどおれの動揺にはお構いなしに、彼女は手を伸ばしてきた。
「顔をよぉく見せて頂戴。」
彼女はおれの顎を掴むと、引き寄せて、顔を近づけてくる。
細い指は見かけによらずロボットアームみたいに冷たくて強力で、無理に口が開かれてしまった。
(なんだこれ? ……なんだこれ?? ………………キッス?)
彼女の赤い口が止まらない。
どんどん近づいてくる。
彼女の力が強くて、おれは口を閉じられない。
(初めてのキッスでいきなり舌を、だなんて――、)
おれは彼女にされるまま。
寄り目にして、彼女の顔だけを見つめるしかできなかった。
(さては……、おれのこと、好き?)
もう触れそうなほど近づいた。
恋する乙女に恥はかかせられない。
腹は括った。
(君がそう望むなら――、かかってこい。)
彼女は赤い唇をわずかに開いて、すぼめた。
ふぅーっと息が吐かれる。
おれの口のなかへと、息が吹き込まれる。
冷たい。
(――痛い!)
凍っていく。
まずは喉から、粘膜に氷が張ったようになって、呼吸がうまくいかなくなる。
それから肺、胸、指先、内臓、骨の髄まで――、
――全身がカチコチに固まった。
【次回予告】
夢を見る。




