サイドストーリー もう一つのライトニング
「なあ大場、どうだ?長距離に転向するって話・・・考えてくれたか?」
颯太達が熱い戦いを繰り広げているコートとは真反対、グラウンドを大きく二つに分割したもう片方の隅っこ。
陸上部顧問の早川が腫れ物でも触るように丁寧な口調で、練習中の夏海に恐る恐る尋ねた。
「まだ考え中です!!!!」
夏海は金切り声を上げて、キッと早川を睨み付けた。
「!!!!いや、悪い・・・でも嫌だったら嫌って言ってくれれば良いからな、まぁじっくり考えてくれよ」
早川は言ったことを後悔したように、苦笑いしてその場を離れていった。
・・・
本当は考えてなんかないんだよね・・・
あたしはずっと短距離が好きだったし・・・
タイムは伸びなくなったけど・・・
全国小学生陸上大会 100m走 小学6年生 女子の部 第3位
輝かしいばかりの経歴を持つ夏海だったが、大会以降タイムは伸び悩んでいた。
気付けば同年代の選手よりは少しばかり速い程度、中学生になった現在、彼女の実力はとても全国で通用するようなレベルではなくなっていた。
そんな折、気分転換にと練習で走った3000m、彼女はそこで驚異のタイムを叩き出す。
その結果には本人も大いに驚いたが、誰よりも一番大騒ぎしていたのは早川だった。
「大場はきっと長距離で歴史に名を残す!!」
その日以来早川は躍起になって、夏海に長距離への転向を執拗に勧めるようになった。
顔を会わせる度に長距離の話を持ち出す早川に、夏海は正直ウンザリしていた。
勿論彼が悪い教師と言うわけではない。
寧ろ逆だった。
それでも夏海にその気が無ければ、それはただのありがた迷惑でしかなかった。
早川の言うように嫌なら嫌と言えば良いのだが、話はそう簡単ではなかった。
静和中にはかつて陸上で全国大会に出場した生徒が一人もいない。
つまり夏海は、本人の望まない形で学校全体の期待の星となってしまったのだ。
有無を言わさない空気が、部員や教員、学校全体から何処と無く漂うのも無理のない事だった。
驚異のタイムを叩き出したと言っても、現状到底全国レベ
ルのタイムではない。
それはトレーニングすることで研ぎ澄まされ、更に洗練されていく。
そうしてようやく全国で戦える実力になるのだ。
短距離と長距離ではトレーニング内容が全く違う。
一度長距離に行ったらもう短距離には戻れないのでは?
夏海はついそう思うってしまう。
これもまた無理のない事だった。
自分の希望と他人の期待が合致しないというジレンマ。
13歳という若さにして、彼女は彼女なりに苦悩を抱えていたのだった。
夏海は、才能を持ちながらも片意地を張って陸上部に入る事を拒み続けた颯太に、腹が立った反面、羨ましいとも思っていた。
アイツはいつも思い付きで行動する
言い方は悪いが、自分の生きたいように生きている。
たが、それに振り回される周りの人間はたまったものではない。
自由気ままな颯太に比べ、他人の目を気にして、どちらにも踏み出せないでただその場に留まっている自分が、何だか酷く滑稽に思えてきた。
「アイツはいいな・・・馬鹿だから・・・」
「何?どーしたの?」
ついうっかり漏らしてしまった。
そこへ2年の小林真理子がひょっこり現れ、すかさず夏海の独り言を拾い上げた。
「いや、あの・・・アハハ、何でもないです」
やばっ・・・
夏海は慌てて何でもない風に取り繕ってみせた。
真理子は昔から夏海の憧れだった。
上州学園からの誘いもあった県内屈指の実力者であり、静和中女子短距離走のエースだった。
実は夏海にも上州学園からの誘いがあった。
上州学園運動部の設備は、そこいらのスポーツジムが尻込みするほど充実していて、彼女の目にもとても魅力的に映っていた。
一瞬迷ったものの、結局夏海は地元の静和中進学を選んだ。
それには真理子の存在が大きく影響していた。
彼女と一緒に走りたい
夏海がまだ小学4年生の頃だった。
一つ上の真理子の走りを初めて見た瞬間、あまりの衝撃に夏海は心から震え上がった。
なんて綺麗なフォームで走るんだろう・・・
タイムこそ夏海の方が若干上回ってはいたものの、彼女のそのフォームの美しさに目を奪われ、いずれ大物になるであろう予感を感じずにはいられなかった。
夏海は自分の才能を買ってくれた上州学園よりも、憧れの存在である真理子の側で陸上を続けることを選んだのだった。
「・・・アイツってあの彼氏の事?」
悪戯な笑顔を浮かべながら真理子が夏海の様子を伺った。
「まぁ、はい・・・あの馬鹿が羨ましくてつい・・・」
ちゃんと聞こえてたか・・・
夏海も最近は面倒で、颯太の事に関していちいち否定するのは止めたようだった。
随分大人びて見えるのに、それでいて子供っぽくふざけたりしてくる事が多々ある。
でも不思議と全然嫌な気持ちにならない、夏海はそんな彼女が大好きだった。
「あの子面白いよねー、さっきも泣きながら誰かビンタしてたし」
「ビンタ!?ビンタってあのビンタですか!?」
「そう、あのビンタよ、バチーンって」
ギョッと目を丸くする夏海に、真理子は手を大きく振ってビンタのジェスチャーをして見せた。
ほんと何してんのよ・・・!?
「びっくりして笑っちゃったけどさ・・・その後彼氏君、滅茶苦茶格好良かったよ・・・私サッカーよく分かんないけどね」
「格好良いって・・・アイツのどこがですか?」
夏海が目を細めて真理子を訝しげに見つめながら聞いた。
「うーん・・・とにかく不器用でもガムシャラに向かって行く所かな・・・何かちょっと見てたら胸にグッときたよ、多分その内サッカーでも大活躍するんじゃないの?」
「ガムシャラ・・・・・・そっか・・・」
颯太・・・
きっと切り替え出来たんだね・・・
・・・・・・良かった
夏海には何となく颯太の奮闘ぶりが想像できていた。
馬力があるから派手に転んでたりして・・・
誰より必死な顔でボールを追いかけ回してるんだろうな
・・・あのイガグリ
あの時小さく感じた背中は、きっと今ならどこを探しても見当たらない筈。
ビンタの話には少し驚いていたけれど、幾つか抱えていた心のモヤモヤの内の一つがスッと消え失せたようだった。
「あ!!大場気持ち悪い!!ニヤついてる!!!!」
「な!!!!声デカイ!!!!」
真理子先輩・・・
人の嫌な所ガンガン突いてくる
本当に子供っぽい・・・
それでも夏海は隣でゲラゲラ笑う真理子が大好きだった。
よし!!!!
ウジウジ考えるのはよそう!!
こんなのアタシらしくない!!
アタシも自分のやりたいようにする!!
決めた!!!!
「真理子先輩、アタシと100m勝負して下さい!!!!」
夏海が吹っ切れたような顔で真理子に向かって言った。
「・・・良いよ、ケチョンケチョンに泣かすけどね」
真理子は少し呆気に取られたようだったが、直ぐに自信たっぷりの笑顔を見せてそう答えた。
二人の少女が、踏みしだかれて薄く消えかかったトラックへと走って行く。
きれいに大きく積み上がった入道雲が、我が物顔で青空に横たわる、暑い夏の日の午後の事だった。
「休憩おしまい!!
さあ後半行くわよ!!
思いっ切りやりなさい!!!!」
少年少女達の夏はまだまだ終わらない・・・