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ライトニング  作者: TAKEX
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第4章 スピードスター 後編

「テツ!!そこから全員抜いてみろ!!」

海の代わりに左ウイングに入った他の部員にボールが渡ると、渡井はすかさず彼にそう声を掛けた。

少年は指示通りボールを持ったまま左サイドを一気に駆け上がるが、加速する間も無く行く手を塞がれ、待ち受けるDF達の格好の餌食となってしまった。


「いやー、やっぱ駄目かー・・・」

「あそこからじゃ距離がありすぎる・・・」

思わず渡井が苦笑いすると、隣にいた洋一が、当たり前だろうとでも言うように苦言を呈した。


「でも・・・海ならあの距離で持ってっちゃいますよね」

「まぁアイツはちょっと異常だからな・・・あり得ないだろ・・・普通に走るよりドリブルしてる方が速いなんて」

渡井がそう言って海を評価するのとは対照的に、洋一はとても理解できないといった顔をして言い放った。




~3カ月前~




ある日の事、上州学園のグラウンドには入部したての新1年生40名程が集められていた。


「よし、全員いるな・・・じゃあちょっとこれから新入部員で50mのタイム測ろうか!!」

点呼を終えると渡井が何とも爽やかな笑顔を見せて言った。




「おっ、速ッ!!6,9・・・最近の子は平気な顔して7秒切ってくるな・・・」

渡井は子供達の叩き出す好タイムのオンパレードに、驚きの溜め息をついて感心するばかりだった。


「よし!!次・・・おっ、海じゃんか・・・」

スタートラインでは、肩や首をほぐしながら海がスタンバイしている。


「アイツ・・・100m日本一なんだろ!?」

「マジかよ・・・・・・」

「噂じゃスタメン確定だってよ・・・」

「やっぱオーラが違うよな・・・」


海の後ろで順番を待つ部員達がざわつき始めた。


「みんな注目してるぜ、スーパースター」

「・・・やめてくれる?集中してるんだから」

スターターを務める斎藤がそう冷やかすと、海はアキレス腱を伸ばしてムッとしながら答えた。


「言っとくけど・・・50mや100mがどんなに速かろうが、それがサッカーに役立つスピードじゃなきゃ意味が無い」

「・・・うん、島崎さん(・・・・)にもよく言われるよ・・・あのさ・・・集中させて欲しいんだけど」

「つまり・・・あれだ、その・・・こんなのは余興だと思ってだな・・・」

「・・・・・・分かった、斉藤君・・・僕に敗けるのが嫌なんだろ!?」

「うっ!!!!・・・ハハ・・・分かっちゃった?」

「まったく・・・」

斎藤が笑って誤魔化すと、思わず海の表情も綻んだ。


「おーい、早くしろー!!」

ゴール側から渡井が二人に声を掛けた。


「コホン・・・相手に良いプレーをさせないってのもセオリーだからな、先輩の教えをよく覚えておきなさい」

「・・・・・・はい、先輩」



「ヨーイ・・・・・・ドン!!」

斎藤の合図と共に海が力強く駆け出した。


「うおおおおっ!!!!やっぱ速えええええっ!!!!」


一気にトップスピードへと加速する海の走りに、部員達からはどよめきが起こる。


「・・・・・・普通に走るとあんなもんか・・・」

遠ざかっていく海の背中を見つめながら斎藤が呟いた。


「お!!・・・えーと・・・6,4・・・」

渡井は海のタイムを読み上げると、何だか釈然としないような表情を見せた。



言っちゃ悪いがフォームが酷すぎる・・・


だが、速い・・・それも桁違いに・・・


でも・・・タイムにするとこんなもんなのかなぁ・・・


前に見たゲームの時はもっとスピードが出てたような・・・




それから数日が経ったある日・・・


新入部員同士の紅白戦での事だった。



「島崎に持たせるな!!!!」



センターライン付近だった。

転々と転がっていくセカンドボール目掛けて、海と相手MFが競り合っていた。


ボール迄の距離は、明らかに相手MFの方に分があった。


・・・分があった筈だった。


決して彼が遅いわけではない。

海と競る者はどうしてもそう見られてしまうのだ。

彼からしてみればアドバンテージだった筈のその距離は一瞬で消えて失くなり、ボールを追っていた二人の位置関係は、何時しか完全に逆転していた。


追い抜かれた少年が、ボールをさらってそのまま遠ざかろうとする海の背中に、そうはさせまいと手を掛けようとしたその時だった。


彼の伸ばしたその手が、海の体に一切触れる事無く振り下ろされた。


目測を誤った訳ではない。


海がボールに触れた瞬間、彼の反応が追い付かない程の爆発的な加速が起きたのだ。


「嘘だろ・・・」

彼は思わずそう口にして、追い掛けるそのスピードを緩めてしまった。


彼を振り切って完全にフリーになった海は、慌てて寄せてくるDF陣の隙間をいとも簡単に貫くと、ぽっかりスペースの空いたゴール前へ鋭く抉るように抜け出していった。


突然目の前に海が現れたと思ったら、その時にはもう既にゴールネットが揺れていた。


キーパーからすればそんな感じだっただろう。


それほどあっという間の出来事だった。


ピッチに立つ全員が、言葉を失くしてしまう位に圧倒されていた。


正に海の独壇場であった。


しかし、海のそのプレーに最も驚愕していたのは、ここにいる誰よりも一番冷静でいなければならない筈の監督である渡井、彼自身だった。

「・・・何だ?今の・・・嘘だろ・・・アイツ、フォームが・・・いや、それより・・・ボール持った瞬間加速したぞ・・・そんなバカな事が・・・」


「やっぱりね・・・」

ピッチの外で見ていた斎藤は、野暮ったいパーマ頭を掻きながらそう言って鼻先で笑った。






「ただいま!!」

百合は玄関を勢いよく開けると、靴を脱ぎ散らかしたまま二階の自分の部屋へと一目散に駆け上がって行った。


スイッチを手探りして部屋の明かりを付けると、フローリングの上に机とベッドだけが置かれた飾り気の無い空間が浮かび上がった。

壁際のベッドにバッグを軽く放って、直ぐ様机の上のパソコンにかぶりつく。


「百合ーーーー!!!!靴ーーーーー!!!!」

階段から母親の怒鳴り声が聞こえてきた。


「ごめん!!後で直すからちょっと待って!!」

嫁入り前の娘にあるまじき行為なのは百も承知だった。

たが今はそれどころではない。

今すぐ確認しなければならない事があるのだ。



もし・・・



もし、私の仮説が正しいとすれば・・・



島崎海、彼は私の理解を超えている・・・



パソコンが立ち上がると、百合はもう一度スマホで見ていた動画を検索した。




・・・


・・・・・・


・・・・・・・・・・




スロー再生するとよく分かる・・・



やっぱりこの子は普通じゃない・・・



ほんの一瞬だけど・・・


ボールを持つことで姿勢が良くなってる・・・



信じられないけど、間違いない・・・


ボールに触れた瞬間、もう一度加速が始まってる・・・



ドリブルしてる時がトップスピードだなんて・・・



こんな事が・・・




今まで積み重ねてきた常識が、音を立てて崩れ去っていく瞬間だった。


百合は思わず自分の髪の毛を鷲掴みにして画面に映る海に向かって呟いた。




「何て子なの・・・」







バチッ!!


颯太が腕に止まった蚊を叩いた。


「・・・・・・」


ゆっくり手を離してみたが、そこにはペシャンコに潰れた蚊もいなければ、吸われた血の跡も何もない。

えも言えぬむず痒さと、叩いた時のヒリつく痛みだけが腕に残っていた。


「だー!!このっ!!」

颯太は両手をブンブン振り回して、顔のそばを飛んでいる蚊をはたき落とそうとした。


激しく振り回す両手は空しく空を切るばかりで、何の手応えも付いてこない。


蚊はそんな颯太を嘲笑うかのように、不快な音を立てながら上下左右を気ままに飛んで、自分の存在を鬱陶しい程アピールしてくる。


「ムキーッ!!!!」

「ちょっと!!!!」

すっかり蚊に翻弄された颯太が奇声を上げると、すかさず夏海から叱責の声が飛んだ。


「まったく・・・・・・うん、もう少ししたら帰るから・・・うん」

夏海はスマホを肩と頬の間に挟み、濡れたスカートの裾をきつく絞りながら母親と話をしていた。


颯太は夏海の視界からコソコソ外れると、前よりずっと静かに腕を振り回して蚊を追い払った。


そんな二人をよそに、仲良くベンチに腰掛けた海と紘が先程から何やら随分楽しげに話し込んでいる。


「そうか、稲葉君は昨日の試合を見てたんだね・・・」

「うん、だからそう思ったんだけどな・・・やっぱ勘違いなのかな・・・」

「そうそう!!稲葉君の勘違いだよ、絶対!!!!」

いきなり会話に飛び込んできた颯太が力強く断言する。


「・・・それって勘違いじゃないと思うよ、稲葉君」

「へ!?どういう事!?」

「僕はね・・・ドリブルしてる時が一番速く走れるんだよ・・・ゴールに向かってる時がね・・・」

脈絡の無い颯太を無視するように、海がそう言いながら紘に笑ってみせた。


「ドリブルしてる方が速いなんて・・・んなアホな・・・負け惜しみだろ?」

「普通はそうだね・・・普通は」

颯太が馬鹿にしたように鼻で笑うと、海は何かを含ませてそう言った。


「・・・うちの監督に言われてね・・・前に一度ドリブルしながら50mのタイム測ってみたんだ・・・とてもドリブルなんて呼べる代物じゃなかったけどね」

「それで・・・タイムは?」

母親との電話を終えた夏海が興味津々に聞いた。






新入部員同士の紅白戦の翌日、練習開始前のグラウンドでの事だった。


「海、ちょっと来て・・・」

渡井が海を呼びつけた。


「昨日の紅白戦見てて思ったんだ・・・ちょっと確かめてみたくてさ、まぁまだ半信半疑だけど」

「・・・はぁ」

海が力なく反応する。


「そこのカラーコーンからセンターラインまでがちょうど50mだ」

そう言って2m程の間隔で置かれた2つのカラーコーンを指差す。

「あのカラーコーンがスタート位置ね、良い?」

「はい・・・あの・・・センターラインまで走れば良いんですか?」

「うん、最初はね・・・後でもう1本走ってもらうけど」

「?・・・最初はって・・・2本目は何か違うんですか?」

「まぁね、まずは1本走ってみてよ・・・」

「・・・はい」



多分・・・

フォームの事でも言われるんだろうな・・・


今さら直せないんだよね・・・



海は渡井がその場から離れると、面倒くさそうな顔をして溜め息をついた。


「おーし!!いいぞー!!」


「何?」

「島崎が50のタイム測るみたいだよ」

「また?何で?」

「斎藤先輩がチラッと言ってたんだけどさ・・・ゴニョゴニョ・・・」

「・・・マジで?」

渡井がゴール地点から声を掛けると、他の部員達も自ずと海に注目し始めた。


「6,4じゃ許さないんだってよ、スーパースター」

「じゃあ6秒切れば良いの?無理なんだけど」

またもスターターを務める斉藤に冗談ぽく愚痴った。


「いや、無理じゃねえ・・・多分な」

「斉藤君・・・それ真面目に言ってる?」

「あぁ、俺は何時だって大真面目だ・・・」

いつもどこか飄々としている斎藤が珍しく真剣な眼差しを向けている。



って言われても・・・

6,4て自己ベストだったんだけどな・・・





「・・・・・・よーし、ナイスラン!!・・・と6,6・・・さすが!!やっぱり速いなぁ」

「ハァ、ハァ・・・もう一本ですよね?」

「うん、ちょっと休んでね」

タイムもまずまず、我ながら悪くない走りだったと海は思った。

渡井も海に向けて、分かりやすい位に満足気な笑みを浮かべている。


「よし、次はちょっとやり方変えるよ」

「・・・・・・はい」

少し休んで息が整ってくると渡井がそう言った。



・・・嫌だなぁ


どうせ、もっと上体を起こせとか、顔を上げろとか何とか言われるんだろうけど・・・


走りづらいんだよな・・・



「よし、次はドリブルね、ドリブルで駆け抜けるんだ」

「あぁ何だ、ドリブルでね、はいはい・・・え!?」

渡井があまりにもさらっと言うのでうっかり聞き逃してしまうところだった。



・・・今何か変な事言ってなかったか?



「何だ?そんな面白い顔して・・・早く準備しろって」

「今・・・もしかしてドリブルでって言いました?」

「うん、言ったけど・・・何で?」

ポカンとしたままの海とは対照的に、渡井はずっと爽やかな笑顔を崩さない。


「いや、まぁ別に・・・ドリブルで、ですね・・・分かりました」

海は予想外の渡井の指示に困惑しつつ、首をかしげながらスタートラインまで戻っていった。


「綺麗にドリブルしようなんて思うなよ、スピードだよスピード、お前のトップスピードが知りたいんだよ」

斎藤が足下にあったボールを海にパスして言った。


「え!?・・・斎藤君これやるって知ってたの!?」

「昨日監督とちらっと話してね・・・アイツは普通に走るよりボール持ってた方が速いって言ったんだよ」

「ハハ・・・そんな事あるわけないじゃん・・・よっと・・・」

海は転がってきたボールを跳ね上げ、斎藤に見せつけるようにリフティングしてみせた。


「おぉ、スゲェ・・・まぁとりあえずやってみろって」

海の曲芸じみたリフティングを目で追って、感心しながら斎藤が言った。


「・・・とりあえずね」

海はやれやれと言ったような表情を見せながら、再びスタート地点に入った。

今度はボールと一緒に。





「もっともっと!!!!スピード!!スピード上げろ!!・・・・・・おーし!!・・・・・・」


「ハァ・・・ハァ・・・タイムは?」

ゴールしてから一呼吸置いて海が尋ねた。


「えーとね・・・・・・7,1・・・いや、これでも相当速いけどな」

そう言いながらも渡井が納得していないのは、その口振りから明らかだった。


「ハァ・・・ハァ・・・ドリブルの方が・・・ハァ・・・ハァ・・・速いだなんて・・・あるわけ・・・」

海はその場にペタッと座り込み、肩で息をしながら思っていた事をついつい口に出していた。



そりゃあ海の言う通りなんだけどな・・・



やっぱり気のせいだったのかなぁ・・・



ドリブルしてるとフォームが良くなるなんてな・・・



まぁ、普通に考えたらそんな事あるわけ・・・



「監督、もう一本良いッスか?」

首を捻って考え込むようにしている渡井に駆け寄ってきた斎藤が言った。


「うーん、俺は良いけど・・・海は?いける?」

「ハァ・・・ハァ・・・もう一本くらいなら大丈夫ですけど・・・ハァ・・・多分そんなに変わりませんよ・・・」

「おし!!決まり!!今度は俺のパスに合わせてドリブルな」

「ハァ・・・ハァ・・・うん・・・了解」


「おーし、じゃあラストなー!!終わったら練習始めるからなー!!」

ゴール地点から渡井が声を上げる。


「海・・・俺から見てもお前の実力は未知数だ、ハッキリ言ってまるで底が見えてねぇ・・・さっきは多分って言ったがありゃ訂正だ・・・お前なら絶対に出来る」

「!!!!」

スタート地点へと向かいながら斎藤が言った言葉に、海は思わず耳を疑った。


それもその筈だった。


海と斎藤はとあるフットサルスクールで知り合い、それからおよそ2年程が経っていた。


その間海は彼が他人を褒めたりする所などまるで見た事が無かった。


只の一度も。


もし仮に彼が誰かを褒めたり、手を叩いて称賛するような事があったとしても、それはただのポーズで、きっと本心では人を小馬鹿にしているだろう、そんなイメージしかなかった。


そんな彼が最高の賛辞とも取れる言葉を掛けてきたのだ。

それも面と向かって、しかもいつもからかってばかりの自分に。


「そんな・・・それにさっきだって・・・」

「全力だったんだろ?もちろん分かってる・・・」

「じゃあ何で・・・」

それでも海は自分に対してどうしても否定的だった。


これ以上出来る筈がない

僕は間違いなく全力だった・・・


なのに・・・


「お前はまだ自分の本当の力に気付いてねぇ・・・」

「・・・本当の力って・・・そんな大袈裟な・・・」

まるで漫画のようなセリフに海はつい息を漏らして笑ったが、斎藤の方はクスリともしていない。

いつもとは明らかに違うその様子に、海は戸惑いながらも姿勢を正すしかなかった。


「ボールに関わってる時だ、お前が一番速いのは・・・

タイムを測るために走ってる時じゃねぇ・・・」

「・・・・・・」

海は黙って斎藤の話に耳を傾け、自分の汗ばんだ掌をじっと見つめた。


「ボールを持った瞬間、稲妻みたいになるんだ・・・

そうなったらお前には誰も追い付けねぇ・・・」


斎藤の言葉が、見つめる掌に不思議と熱を感じさせる。

目には見えない小さな炎が揺れているようだった。


炎は次第に大きく、そして激しくなっていき、その勢いに併せるかのように海の胸が段々と高まっていく。


「毎回じゃないけどな・・・何がスイッチなのかは分からないが・・・そういう時があるんだ・・・昔からお前を見てた俺が言うんだ、一つ騙されたと思ってやってみろ」


見えない炎がその掌には収まりきらない程大きくなると、深く長い呼吸を一つして、開かれたままのその指を一気に力強く握り込んだ。


「さぁラストだ・・・ここにいる全員を驚かせてこい!!スーパースター!!!!」

そう言って斎藤は海の背中をバシッと叩いた。


スタート地点に入った海は、心身共に最高の状態だった。

全身が得体の知れない熱気に包まれていたが、それでいて心は随分穏やかだった。


周りはこんなにもざわついているのに・・・

僕は凄く静かだ・・・



でも、熱くなる・・・抑えきれない位・・・



こんな感覚何時以来だろう・・・



あぁ、そうだ・・・あれは去年の・・・



スタート失敗して大泣きしてたアイツ・・・

アイツと走った時以来かなぁ・・・



・・・あれ?・・・どんな奴だったっけ・・・?



まぁいいや・・・今はとにかく・・・



やってやる!!!!



「準備良いぞー!!!!」

「おし、行くぞ!!」

「うん!!」

渡井の声が聞こえると斎藤が海に一声掛け、二人は一気に呼吸を合わせた。


並び立つ斎藤が真っ正面を見据えた瞬間、海がスタートラインを飛び出す。


上半身が前のめりの独特なスタイルのままグングン加速していく。


その海を追い越す程のスピードで、斎藤の右足からは強烈なパスが繰り出された。


目の前に飛び出してきたそのボールに反応し、何とか喰らい付こうと海の腕と足の回転が上がっていく。


そしてそれは起こった。


海が自分から遠ざかっていくボールをその目で追い続けると、それまでほぼ真下に向けられていた目線が徐々に上がり始め、遂にはそれと連動して上半身までもが自然と起き上がっていたのだ。


加速を後押しするための完璧なフォームだった。


その勢いで触れたボールは足元へ収めきれずにあらぬ方向へと飛んで行ったが、ゴールの瞬間まで海のフォームは崩れないままだった。



「ハハハ・・・信じられない、お前ちょっと変だよ・・・いや相当変だ・・・マジか・・・」

走り終えたばかりの海に渡井がストップウォッチを見て真顔で言った。



「ハァ・・・ハァ・・・何秒ですか?」

「・・・6秒ジャストだよ・・・・・・ハハハ」

「!!!!・・・ハァ・・・ハァ・・・ほんとに!?」

「・・・こっちのセリフなんだけどな」


速く走ろうと考えるよりも、とにかく無我夢中でボールに触れる事だけ考えて走った結果だった。



誰よりも先にボールに触るんだ・・・


誰よりも・・・一番に!!!!



試合中海はいつもそう思っていた。


そのシンプルで強い想いこそが、誰にも追い付けない驚異的な加速を生み出していたのだ。


そして、その事実にずっと前から気付いていたのは、他の誰でもない、スタート地点から海に向かって親指を立てている斎藤だけだった。


「ハハハ・・・凄い、斎藤君の言った通りだ・・・」

自分でも信じられないような結果に、海はその場に座り込んでただただ笑うしかなかった。






「って・・・嘘でしょ・・・颯太だって6,3なのに・・・」

「すげぇ・・・やっぱ俺の勘違いじゃなかったんだ」

「・・・・・・」

「6秒ジャストはその時の一回きりだったんだけどね・・・でも、そうやって神がかり的に速くなる時があるんだ、試合の時は特にね・・・」

海は満天の星空を見上げながら、遠い記憶でも回顧するかのように言った。


「さっきから聞いてたけど・・・シマザキ君さ、それって結局何が言いたいんだよ?」

それまで黙って海の話を聞いていた颯太が突然口を開いた。


「何がって・・・今言った通りさ、それだけだよ・・・」

「え?・・・じゃあ何ですか?本当はもっとスゴイのに僕はサッカーしてる時じゃないと速く走れませんって事ですか?」

「・・・・・・」

「そういう事言ってるんですよね?ねえ!!黙ってちゃ分からないじゃないですか・・・」

颯太が口を尖らせて馬鹿にしたように言ったが、海は何も反応せずにただ黙っていた。


「・・・おい、俺に負けるかもしれないからって変な言い訳するんじゃねーよ!!!!」

「ちょっと颯太やめなよ!!」

「小川君落ち着けって!!」

颯太がいきなり海の胸ぐらを掴んで、自分の方へと強引に引き寄せた。


「悪いけど・・・本当なんだ、ボールを持ったら僕は誰にも負けない・・・君だって圧倒してみせる!!!!」

海は締め付ける颯太の両手を振りほどいて言った。


「じゃあ・・・もしまた勝負して、俺がお前に勝ったって、お前は実力じゃ敗けてないとでも言うつもりなのかよ!?それともあれか?今度はドリブルしながら俺と勝負するつもりか?ふざけんな!!!!」

「そうじゃない!!でも、何て言ったらいいか・・・

とにかくちょっと黙ってくれよ!!!!」

興奮状態の颯太を前に、海の口調も段々荒くなっていく。


「言ってることはそういう事じゃねえか!!」

「だからちょっと考えをまとめさせてくれって!!」

「そうじゃねえだろ!!言い訳っですて認めろよ!!」

「あーもう!!!!このわからず屋め!!!!」

「なっ!!!!なんだこの外人面!!!!」

「!!・・・何だと!!このイガグリ!!!!」

「いが・・・!!てめえ、このパッチリ二重野郎!!」

「この・・・◯▲□%・・・!!!」

「うるせえ・・・▲%$□・・・!!!」



「・・・まぁ、颯太の気持ちも分かるけどね・・・」

「負けず嫌いというか、島崎君も引かないな・・・」

夏海と紘は、目も当てられない程低レベルな言い争いを繰り広げる二人からそっと距離を置いた。



「・・・この□$▲%の$%%□野郎が!!!!」

「・・・・・・」

「□%□%が□%$+=みたいなんだよ!!」

「・・・・・・」

「この・・・ハァ・・・ハァ・・・?・・・何だ?もう言い返せないのか?俺はまだまだ行けるぞ!!」

「・・・いい加減・・・」

海は何かを言い掛けたが、そこから先を言おうとせず急に押し黙ってしまった。


「いい加減?いい加減の続きはどうしたんだよ!?」

颯太はすっかり頭に血が登り、今にも海に噛みつきそうな勢いだった。


「おい、何とか言えってば!!ほら!!黙ってないで何とか言えって!!」

それでも海はただ黙って下を向き、最早颯太と目を合わせる事すらしなかった。


「何だよ、まったく・・・」

うつ向いたままで何の反応も無い海に、颯太のテンションも自ずと下がっていった。


このまま暫く、この膠着状態が続くかと思われた矢先だった。



『小川君!!!!』


「!!!!」


突然颯太の耳元で海が叫んだ。

鼓膜が破れるかと思うほどのボリュームだった。


いきなりの事に流石の颯太も面食らったが、次に海の口から飛び出た言葉は颯太だけでなく、夏海と紘さえも驚愕させる一言だった。



「・・・いい加減ちょっとぐらい話聞いてくれよ!!!!


僕は一度で良い・・・


君と・・・・・・


君とサッカーで戦ってみたいんだ!!!!」



『!!!?』




「・・・稲葉君、島崎君今何て言ったの・・・?」

「・・・ちょっと待って・・・少し混乱しちゃって、確か・・・頭にサが付いてたような・・・サ・・・サ・・・サ何とかで戦いたいとか何とか・・・」

夏海は口をポッカリと大きく開き、紘は人差し指で額を叩きながら、喉元から上手く出てこないその言葉を必死に引き出そうとしている。


「サッカーだと!!!?何をいきなり・・・」

一瞬は戸惑ったものの、颯太が直ぐ様大声で聞き返した。


「あ、まただ!!またちょっとだけ聞こえた!!サ・・・サ・・・サ・・・何だろう?・・・凄く聞き覚えのあるような・・・無いような・・・??」

「稲葉君・・・もういいよ、あたしの聞き間違えじゃなかったみたい・・・」




「小川君・・・僕は、今まで誰かと勝負してこんな気持ちになったことなんて一度だってなかった・・・君と勝負してると自分でも訳が分からない位に熱くなる・・・理由はよく分からないけど・・・とにかく君にだけは絶対負けたくない・・・そんな気持ちになるんだ・・・」


「お前・・・・・・」


颯太も海とまったく同じだった。

勝負は結局有耶無耶になったが、一つのレースにあれほど熱くなれた事など今までに一度もなかった。


彼が吐き出すように言った言葉に、颯太はどうしようもないくらい胸が熱くなっていた。


これ程までに自分という存在を認めてくれている。

それも・・・間違いなくライバルとして。

自分には叶わなかった、日本一というタイトルを手にした男が。


シマザキカイ・・・

そうか・・・

こんなにも俺の事を・・・


胸ばかりでなく、目頭までもが熱くなった。


彼に何か言わなければ・・・


だが、どうにもこの気持ちを上手く言葉にできない。

言葉ではとても伝えきれるものではない。


どうしたものか・・・


ハッ・・・!!


何も無理して上手く伝える必要なんて無いじゃないか・・・


俺たちに言葉なんて要らない・・・


きっと分かり合える・・・


なぁ、そうだろ?シマザキカイ・・・


「シマザキ君・・・」

何かを伝える代わりに、熱い握手を交わそうと海に手を差し出したその時だった。



「小川君・・・」

海がポツリと言った。


「ん?何だい?シマザキ君・・・・」

「僕はね、小川君・・・」

「うんうん・・・僕は?」



「僕は・・・サッカーなら実力以上のものが出せる・・・そこで僕は君と戦って・・・・・・君を・・・君を思う存分叩き潰したいんだよ!!!!完膚なきまで!!!!ぐうの音も出ない位圧倒的に!!!!とにかく捩じ伏せたいんだ!!!!この手で!!!!君を!!!!」


「!!!!」


またも突然だった。


海の奥底に眠っていた感情が、とうとう抑えきれない程までに溢れ出し、ついにそれはけたたましい叫びとなってこの狭い公園中に響き渡った。


激しいジェスチャーと共に捲し立てるその様は、さながらどこぞのミュージカル俳優が魅せる演目、正しくそれだった。


「島崎君て・・・意外とキテるわね・・・」

「うん、ちょっと・・・いや・・・かなり・・・」

夏海と紘は思わず海から目を反らし、眉をひそめながらコソコソささやき合った。

二人とも、何だかとても見てはいけないものを見てしまったような心境に陥っていた。


「・・・・・・」

颯太も海のあまりの豹変ぶりに言葉を失い、差し出していたその手をサッと引っ込めた。


「どうだい?小川君・・・やる気になってくれた?」

一方の海は全ての膿を出し切ったかのように、いつもの爽やかな笑顔に戻っている。


「ハッ・・・爽やかな顔してるくせに随分とエグい事言うじゃねぇか・・・通りで笑顔が嘘臭い訳だ・・・」

海から漂う異様な空気を颯太は一瞬で笑い飛ばした。

握手しようとしていたその手は、今やすっかりきつく握り込まれ、ガチガチに固まった鉄拳と化していた。


「!!・・・小川君、君だって本当は望んでるんじゃないのか?最高の僕と戦いたいって!!!!そうだろ!?」

もう一度海が颯太の心に訴え掛ける。

例のごとく芝居がかった身振りで。


「・・・残念、見え見えだよ・・・そうやって俺を焚き付けて、自分の得意なフィールドに誘い込む気だろ!?分かってんだよ、シマザキカイ!!!!」

力の籠った拳を海に見せつけ颯太が吠えた。


「そうよ、颯太!!ここはハッキリ言うのよ!!」


何か嫌な予感がする・・・

とてつもなく・・・

たまらず夏海も声を張った。


「おう、任せとけ!!・・・上等だよ、シマザキカイ!!サッカーだろうと何だろうと関係ねえっ!!受けて立ってやる!!必ずお前を返り討ちにしてやるぜ!!!!」



「!!!!・・・へぇ、楽しみだな・・・」




颯太の放った強烈な決め台詞に、夏海と紘が白目をむいて石像のように固まったのとほぼ同時刻、田代家の玄関では脱ぎ散らかした靴を片付けながら百合がポツリと呟いた。



「天才島崎海・・・彼を止めるには彼と同等・・・いえ、彼以上のスピードスターが必要ね・・・」





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