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ライトニング  作者: TAKEX
4/9

第4章 スピードスター 前編

「春樹、海はどうした?」

「サボりです、サボり、帰っちゃったらしーですよ」

「さ・・・さぼり!!!?」

斎藤の言葉を聞いた瞬間、島崎洋一はその血圧が一気に上がり、思わず額に手を当て天を仰いだ。


「うぅ・・・アイツめ、いつまで小学生気分で・・・

スー・・・ハァー・・・スー・・・ハァー・・・」

洋一は、深呼吸で動悸を押さえながらそう憤っていた。


「プッ」

「・・・・!?」

斎藤が込み上げてくる笑いを必死に堪え、駆け足で洋一から離れていく。


「フゥ、フゥ・・・・・・時間が惜しい、テツ!!お前が海の位置に入って紅白戦だ!!すぐ始めろ」

洋一は呼吸が落ち着くと、苛立ったままの口調で部員達に指示を出し、コート脇のベンチにドカッと腰を下ろした。


「まったく・・・・・・」

グラウンドに出てまだ数分しか経っていないにも関わらず彼の疲労は凄まじかった。



島崎洋一


上州学園高等部の教師であり島崎海の父である。

40歳にして上州学園サッカー部の総監督を務める。

普段は高等部で指揮を執るため、今回のように大会期間中でもない限り中等部の練習に顔を出すことはまずない。


海が彼の血を色濃く引き継いでいるのはその容姿からも明らかであり、端正なルックスに斎藤すら上回る高身長、更には頭脳明晰という、まるで欠点らしい欠点が見当たらない誰もが羨むような人物であった。

強いて欠点を挙げるとすれば、異常な程神経質な為人よりも心労に感じる事が多く、最近特に白髪が目立ち始め急に老け込んだようになった事位だろうか。



「ヘイ!!」

トップ下に位置する斎藤が中央でパスを受けると、あっという間に敵陣深くまでボールを運んで行った。

文字通り視野の高い斎藤には俯瞰でピッチ全体を見渡すことなど容易く、ゴールまでの道筋がありありと見えているのだ。

へばり付いていたDFのマークをあっさり外すと何の迷いもなくその右足を振り抜いた。



ガツン・・・



放ったシュートはポスト右上に当たり、鈍い音と共に枠外へと弾かれていく。


「あのスロースターターが今日はどうしたんですかね!?」

にこやかな笑顔の青年がそう言いながら洋一の隣に腰を下ろすと、ゴール前で頭を抱えていた斎藤に向かってナイスシュートと親指を立てた。


青年の名は渡井一也 29歳、島崎にも引けを取らない高身長且つ笑顔のまぶしい好青年、上州学園サッカー中等部の外部監督である。

上州学園サッカー部を統括する洋一とは古くから師弟関係にあった。


徹底した管理下での選手育成をモットーとする洋一とは相反し、渡井の指導方法は完全なる放任主義、部員達の自主性を重んじるというものだった。

性格も大雑把で細かい事は気にしない、何から何まで正反対の二人だったが不思議と彼等は馬が合った。


「おう、お疲れ・・・昨日の試合で何か刺激になる事でもあったか?」

「まぁ1年の海にあれだけ活躍されたら・・・上級生は皆尻に火が付いたんじゃないですかね!?」

渡井が笑顔のままで答える。


「静和の7番はどうだった?確か・・・姫野とか言ったな」

「彼ならあの点差で最後までよくやってましたよ・・・ウチにはああいったガツガツした子がいませんからね、春樹も海も何度か弾き飛ばされてましたよ」

「アイツは少しくらい痛い目に合った方が良い・・・にしても春樹まで吹っ飛ばすなんてな・・・」

「圧が半端ないですよ、カードが出ても気にしないって感じでしたね・・・おっ!!・・・あぁ、また外した」


「ダーーーッ!!!!クソ!!!!」


「はるきーーー!!良いぞ!!グッド、グッド!!あそこでシュートまで持っていけたんだ、気にするな!!」

渡井は立ち上がると再びゴール前で悔しさを表現していた斉藤にそう声を掛けた。


「ほんと今日は何か違うなぁ・・・そう言えば海は!?テツの様子見ですか!?」

周りを隈無く見渡して渡井が尋ねると、洋一は眉間に深いシワを作って溜め息をついた。


「サボりだ・・・サボり、まったく・・・誰に似たんだか」

「へ!!!?」





「ヘブッ!!!!」


颯太に睨まれたままの海がノーモーションでくしゃみをした。


「風邪か!?」

颯太が気遣った。


「・・・いや、きっと誰かが僕の噂でもしてたのさ」

「そうか・・・」



「・・・・・・」



「シマザキカイ!!!!」

「なっ、何!?」

一瞬二人の間に漂った妙な空気を破るように、再び颯太が海の名前を叫んだ。


「俺と・・・俺ともう一度勝負して下さい!!!!」

「!!!?勝負!!!?」

「お願いします!!!!」

「!?・・・えーっと・・・・・・」

颯太は深々とお辞儀するが、海は困ったように頭をポリポリ掻くばかりだった。


「久しぶりだね、島崎君・・・」

夏海が海にボールを手渡して言った。


「!?・・・あっ、もしかして大場さん!?」

「良かったー!!覚えててくれた!!そう、大場さんです・・・全国大会以来だね、その様子だと颯太の事なんて覚えてないでしょ?まぁ無理もないけど・・・」

「そんな馬鹿な事あるかよ!!なぁシマザキ君!!」

嫌みっぽく言う夏海を笑い飛ばして颯太は虚勢を張るように声高に言った。


「!!!?・・・あぁ、もちろんだよ・・・えーっと・・・その・・・ハハハ・・・」

「!!!!」

どうにも思い出せていないのは流石の颯太の目にも明らかだった。


「君ほんとに凄いね!!もう一回リフティングやってみせてよ!!」

紘は固まったまま全身をプルプル震わせている颯太を強引に押し退けると、羨望の眼差しを向けながら海にせがんだ。


「え!?あぁ、いいよ・・・ちょっと離れてくれる?」

そう言って海が足下のボールを真上に跳ね上げると、その球体は翼が生えたように夕焼けの空を自由に舞いだした。


「凄い、ほんと凄い!!」

「ハハッ、ありがとっ・・・よっ、ほっ」

絶賛する紘に気を良くしたのか、海の動きが段々と大きくそしてアクロバティックになっていく。

紘は目の前で繰り出される大技の数々に溜め息を漏らすばかりだった。


「空気ね、完全に」

「ぐぬぬっ・・・!!!!」

夏海は意地の悪い笑みを浮かべ、颯太に追い討ちを掛けるように言った。




「・・・・・・感動だよ・・・マジで凄すぎ!!ほんとありがとう!!」

「そんな大袈裟な・・・練習すれば誰だってできるよ」

ひとしきり技を見せ終わると海は興奮冷めやらぬ紘にそう言って笑った。



「シマザキ君!!!!俺と勝負してください!!!!」



「・・・・・・」



颯太なりに空気を読んでのタイミングだったが、またみんなの時が止まったようになってしまった。


「何言ってんだよ・・・忘れられてたくせに・・・こんなに良いもの見せてもらったんだからもう充分だろ!?」

紘がドスを利かせて颯太を睨み付けた。

今日一日の不満がここへ来て爆発したような、そんな感じだった。


「お、俺は別にリフティングなんか見たくてここまで来たわけじゃ・・・」

「おい・・・聞き分けろよ、島崎君はお前に付き合うほど暇じゃないんだよ!!」

「うぅ・・・」

あのつぶらでクリクリとしたチワワのような目は今やすっかりと荒んでしまい、その強烈な眼力は颯太を押し黙らせるほどだった。


「大場さん、ごめん・・・彼、一体誰なの?」

海が隙を見てこっそり夏海に助けを求めた。


「この!!この!!人に迷惑ばっかり掛けやがって!!謝れ!!島崎君にその無礼を謝れ!!」

「うぅ・・・ごめんなさい・・・」

紘は半べそになっている颯太の頭を押さえ付け、海に向かって無理矢理何度も下げさせた。



「・・・・・・の・・・で負けて・・・・・・・・」



「!!!!」




「そうか、ハハハ、何だ・・・あの 小川君(・・・)か、やっと思い出せたよ・・・いやー・・・ゴメンね」

ようやく頭にかかったモヤが取れると、スッキリとした爽やかな笑顔を見せて海が言った。


「!!・・・そ、それなら俺と・・・ぐえええっ!!」

「まだ言うか!!お前は!!このっ!!」

それ以上は言わせまいと、紘が颯太の首を締め上げた。


「ハハ、そんなにしたら彼死んじゃうよ!?・・・うん、そうだね・・・良いよ・・・やろうよ、せっかくここまで来てくれたんだ・・・小川君、もう一度僕と勝負しよう!!!!」




「!!!!」




「ありがたい・・・やっとだ・・・ずっとこの時を待ってたんだ・・・今度は俺がお前をぶっちぎってやる!!!!」

「へぇ・・・楽しみだな・・・」

メラメラと燃え上がる闘志を向き出しにする颯太を前に、海は1年前のあの日のようにそう言ってただ笑うだけだった。





「ねぇ、さっきからずっと何見てるの?」

「えっ!?あぁ・・・ゴメン、ゴメン・・・で・・・何だっけ?」

友人にそう言われて百合は慌ててスマホをテーブルの上に置いた。


夕食時のファミレスは平日にも関わらず多くの人々で賑わっている。

四方八方から様々な音が飛び交うこの状況では、ファッション、恋愛、お悩み相談、元々あまり興味の無い話が益々頭の中に入ってこなくなる。



「だからーーーなのよーーーでねーーーそれがーーー」

「ーーー彼氏がーーーでーーー怒ってーーー」



・・・結構動画上がってたわね・・・島崎海か・・・



同年代の子達とはスピードが全然違う・・・



それに伴う足元の技術も・・・



フリーでボールを受けたら確実に終わりね・・・



他の子達が決して遅い訳じゃない・・・



彼が速すぎる・・・



とにかくあのスピードは次元が違いすぎる・・・



彼を止めるには・・・きっと彼と同等の・・・



「また聞いてない!!!!」


「!!!!ご、ゴメン、ちょっと仕事の事で悩んじゃって・・・アハハ」


「アンタほんと考え事すると上の空なんだから!!」

「アハハ・・・気を付けます・・・」

百合はシュンとしてアイスコーヒーに口を付けた。


仕事帰りに同年代の友人達とファミレスでダラダラお喋り、飽きるまで。

百合の年代の女性なら何の変哲もない普通の光景で、それが何よりも有意義な時間である筈だった。


ただ、どうしても今の百合にはその時間すら煩わしかった。


コーチを引き受けると決めた時からずっと胸の高鳴りが止まらない。


どれだけの間自分に嘘をついてきたのだろう、やっぱり私はサッカーが大好きだ・・・


冷めたポテトを一口かじりながら友人の中身の無い話に何となく相槌を打つ。



あー、早く帰ってサッカーの事だけ考えたい・・・





「あの・・・ホントにその格好でいいの?」

海は学生服からしっかりとサッカー部の練習着へ着替え、万全な態勢で颯太との勝負に臨もうとしていた。


対する颯太はと言うと、

「ああ、格好で実力が変わるなんて偽物さ!!」

学生服姿のままそう海に笑ってみせた。


「着替えた僕が馬鹿みたいなんだけど・・・」

「持ってきてないんだ、体操服!!」

「・・・あぁ、そう・・・ハハ・・・」



ほんとマイペースな奴だな・・・

まぁ靴は・・・運動靴みたいだけど・・・




・・・・・・馬鹿なのかな?



「じゃあ大場さんのとこまでね」

スターターの紘がそう言い夏海はおおよそ100m程離れた所でこちらに手を振っている。


辺りが急に暗くなり始めた。

夏の空はそういうもので、突如として今が夜だと告げてくる。

見渡せど田んぼばかりで車もろくに通らない、年代物の外灯だけが夏海まで続く一本道を頼りなく照らしていた。


「君に勝って・・・俺は日本一早い男になる・・・」

「・・・その格好で言われてもな・・・まぁ敗けた時の言い訳にはなるね」

「言ってろ・・・今度は俺の背中を君に見せてやる!!」

軽く体をほぐしながら二人の舌戦が始まった。


「本気で僕に勝てるつもりでいるみたいだね・・・1年間どんなトレーニングをしてきたのかは知らないけれど」

「1年間・・・長かったよ・・・この日をずっと俺は待ってた!!!!」

「ならその1年間は無駄な努力で終わ・・・」


チリンチリンチリンチリンチリンチリン


『邪魔!!!!道路の真ん中で!!!!』


睨み合う二人の間を、自転車に乗った主婦がベルをかき鳴らしながら通って行く。


「・・・・・・」


颯太、海、紘の三人は、自転車が通り過ぎていくのを黙ってじっと見送った。


「・・・小川君」

「!?・・・何?」

「僕は過去に君に勝ってる・・・それなのにもう一度勝負を受けてる・・・敗ける可能性だってあるのに・・・」

「うん、良い人だ!!ありがとう!!感謝してるよ!!」

「じゃなくて!!」

「じゃあ何ですか?」

「鈍いな・・・」

「・・・メリットが無いって事じゃないのかな?多分」

紘が割って入った。


「そう、それだよ・・・僕が勝負を受けてる時点で君は得しかしてないだろ?それは僕から見たらフェアじゃない・・・君にも何かしらリスクを背負ってもらわないと」

「!!!!・・・そうか、言われれば君の言う通りだ、

それなら俺はどうしたら良い!?」

そう言われて海は少し考え込んだ。


「・・・・・・そうだ!!じゃあもし僕が勝ったら大場さ」

「わかった!!!!」

「・・・え!?」


「わかったって言ったんだよ・・・もし・・・君が勝ったら・・・俺は・・・俺はもう二度と走らない!!!!それで良いな!!!!」


『!!!!』


「い、いやいや・・・そんな大袈裟なやつじゃなくてさ、もっと軽い感じのやつにしようよ!!ほら、大場さんとデートとか・・・」

「そうそう!!!!二度と走らないだなんてそれはちょっと重すぎるって!!!!」

予想を遥かに越えた回答に、海も紘も取り乱しながら必死に颯太を説得した。


「全然スタートしないなぁ・・・」

夏海がゴール地点を過ぎていく自転車を見送りながら呟いた。




「ハァー、君ホントに全然人の話聞かないな・・・じゃあもうそれでいいや!!!!・・・でも君が今後走る走らないは僕には一切関係無いからな!!!!」

「ああ!!そのくらいの覚悟は出来てる!!!!」

折れない颯太に業を煮やして、最後にもう一度だけ確認すると海はクラウチングスタートの態勢を取った。


「えぇっ!?ほんと!?ほんとに良いの!?」

「だから良いって!!敗けなきゃ良いんだから!!」

「で、でも!!」

「彼が良いって言ってるんだ、やろうよ!!!!」

どうにも踏み切れない紘を海が焚き付ける。


「うぅ・・・どうなっても知らないからな!!!!」

「おう!!!!」

颯太も両手と片ヒザを地面に着け、その目をギュッと固く閉じた。


颯太の脳裏にあの日の光景が色濃く甦ってくる。



無い筈の声援が聞こえ、一気に胸が高鳴る・・・



隣の海もまた同じだった。



あの時はスタート前にアイツの顔を見て・・・

それで・・・

スタートに失敗したんだ・・・


今回は大丈夫・・・

緊張だってそんなにしてない・・・



最高の俺の走りを見せてやる!!!!




今ハッキリ思い出した・・・

あの時斉藤君に言われたっけ・・・

もし・・・

もし、こいつのスタートが上手くいっていたらって・・・



証明してやる・・・

どんな状況でも僕が敗ける筈ないって!!!!






「ヨーーーーイ・・・」



颯太の目がカッと大きく見開いた。



俺が勝つ!!!!



「ドン!!!!」



紘の合図と同時に二人が弾丸のように飛び出した。


颯太のスタートはこれ以上ないくらいに素晴らしいものだった。

だが、それは海もまったく同じだった。


田んぼばかりが広がる真っ直ぐな田舎道を、二人の少年が全力で駆け抜けていく。


差が出始めたのはスタートしてすぐの事だった。



始まった!!

やっぱり初速が凄く速い・・・

走り方は独特だけど・・・



夏海が僅かに先行する海を見て思った。



コイツ・・・


やっぱスゲェ・・・



目の前で風を切る海の背中に、改めてその凄さを感じた。



大地を力強く蹴り上げる音が二人の加速を更に速める。



「速ッ・・・・・・」

紘はあっという間に遠ざかっていく二人に口が開きっぱなしになった。



シマザキカイ・・・


スゲェ・・・


ホントにスゲェ・・・



けど・・・




俺の勝ちだ!!!!



中盤に差し掛かり颯太のギアが一つまた一つと上がり、グングン加速していく。

一方の海はスタートこそ素晴らしかったものの、颯太に比べると明らかに伸びが少なかった。


100m走小学生日本一、海の才能は間違いなくトップクラスだったが、短距離走の本格的なトレーニングをした事など無いに等しい。

才能だけで勝ち取ったタイトルだった。


一方、同じ位の才能に溢れ、純粋に走りだけを極めるトレーニングをしてきた颯太・・・


二人のこの差が徐々に現れてきた。



捉えた!!!!



あの日届かなかった背中が颯太のすぐ目の前に迫ってきた。



颯太・・・


勝てる、勝てるよ・・・



夏海の目にも既に勝敗が見えていた。



残り20m程だろうか、加速し続ける颯太が遂に海と並んだ。


いや・・・並ぼうとしていた時だった。



嘘だろ・・・


コイツ・・・



速すぎる・・・



抜かれる・・・


僕が敗ける・・・


こんな奴に・・・



こんな奴に!!!!





シマザキカイ・・・


悪いな・・・



俺の勝ちだ!!!!




颯太の足先が海に差し掛かった時にそれは起こった。



まさに颯太が海を抜きに掛かろうとした瞬間だった。



ん!?



颯太の視界に映つる夏海の姿が急に斜めになった。



・・・アレ?何で?



どうやら斜めなのは夏海ではなく自分の視界だった。


それに斜めなのは視界だけではないらしい。

手が、足が、頭が、体全体が斜めになっている。


前だけを見続ける颯太の肩越しに、いきなり何か重いものがぶつかり、そこから一気に体制を崩したのだ。



颯太はその勢いのまま道路から飛び出すと、水を張った田んぼに頭から突っ込み、そのまま田んぼの中をゴロゴロと転がっていった。



「嘘でしょ・・・!!!?」

夏海は目の前で起きたあまりの光景に白目を向いて固まった。


「ゲッ・・・・・・な、何やってんの!!!?」

スタート地点にいた紘も夏海と同じ心境だった。



海はその場に立ち尽くし、田んぼの中で仰向けになってピクリとも動かない颯汰を睨み付けていた。


海の左肩には骨の芯までじんわり響く痺れがあった。


颯太を弾き飛ばした時のその衝撃がまだ残っていたのだ。


「颯太!!!!」

夏海がためらう事なく田んぼに入って颯太に駆け寄った。


「大丈夫!?怪我は!?」

夏海はぬかるみの中腰を下ろすと、泥にまみれた颯太を抱え上げその大きな体を激しく揺さぶった。


「う・・・一体何がどうなって・・・」

「良かった・・・」

すぐに目を開けた颯太を見て、夏海はホッと胸を撫で下ろした。


「痛てて・・・転がった先が田んぼで良かったぜ・・・ついてた」

「ほんとそうだね・・・やだ、颯太顔凄い汚いよ・・・顔って言うか・・・全部」

「・・・何だよ、自分だって泥まみれじゃんか・・・」

「あたしは・・・アンタが倒れたまんまだったから心配して来てやったんでしょ」

「別に俺は助けてなんて頼んで・・・」



ゲコ・・・ゲコ・・・



颯太の頭に雨蛙が飛び乗った。



「颯太・・・頭にカエル乗ってる・・・気持ち悪ッ」

「えっ!?マジか!?うおっ!?気持ち悪い!!とってくれ!!」

「嫌だよ!!あたしだって触れないんだから!!」

「ひゃー!!!!助けてー!!!!」

「ちょっとやだ!!こっち来ないでよ!!!!」

田んぼの中でカエルを頭に乗せたまま、颯太が夏海を追い回す。


「うひゃー!!!!とってくれよおおおー!!!!」

「来ないでー!!!!」

「あ・・・あの・・・大丈夫?」

追いかけっこに夢中な二人に、海が恐る恐る声を掛けた。


「うおおおおっ!!!!シマザキ君頼むよ!!!!カエルとってカエル!!!!」

「・・・え!?・・・あぁ・・・良かった、大丈夫そうだね」


海が手を近づけるとピョコンと跳び跳ね、カエルはあっさり逃げていった。

「・・・はい、とったよ」



「いやぁ、ありがとう・・・ほんと昔からカエルが苦手でさ・・・・・・」

「・・・あ・・・あぁ、そうなんだね」

「助かったよ・・・」

「い、いや・・・ハハハ」

「ホントよ、ホント・・・ビビリ過ぎなのよ、カエルくらいで慌てちゃってさ・・・プッ」

夏海が吹き出したのを皮切りに、三人は何とも爽やかに笑いあった。


「島崎君一体何してんだよ!!!!酷いじゃんか!!!!小川君体は大丈夫なの!?怪我は!?」

ようやく紘が駆けつけると、すっかり和んでいた海を指差し糾弾した。



「・・・・・・・」



「ってうおおおおおおおおおおおおおおおおい!!!!何すんだ!!!!シマザキカイ!!!!」

「ホントよ!!!!ホント!!!!正気なの!!!?」

「うぅ・・・ホントにごめんなさい」





「ったくよ・・・ビショビショじゃねーか・・・」

「あたしもスカートが・・・うぅ・・・気色悪い」

「ホントにごめんなさい・・・」

公園の水道で泥を落としながら、颯太と夏海は不満をタラタラとこぼした。

海は紘と共に備え付けのベンチに腰を下ろし、一人頭を抱えている。


「でもまぁ・・・怪我が無くて良かったよ・・・所で勝負はどうなったの?」

紘が当然のように聞いてきた。


「あぁ・・・それは・・・もちろん僕の反則負け・・・」

「ダメッ!!あんなの勝負だったなんて認めない!!!!もう一度日を改めて俺と勝負して下さい!!!!」

「それは・・・まぁそうよね・・・」

「小川君の気が済むなら僕はそれで・・・それで許してもらえる?」

「ああ、もちろんだ!!男と男の勝負なんだ・・・血が登ってカッとなる時だってあるよ!!」

「・・・・・・カッとなって田んぼにねぇ・・・」

颯太が笑顔で答えると紘がボソッと呟いた。


「でも島崎君はやっぱり凄いよ・・・あのフォームであそこまで速いなんて・・・」

夏海が持っていたタオルで頭を拭きながら言った。


「フォームか・・・やっぱり陸上やってる人から見ると変だよね?」

「陸上やってなくても変だよ、普通は段々上体が起き上がるんだぜ・・・あのフォームであんなに速いなんてあり得ない・・・」

「そう・・・島崎君のフォームってずっと頭が下がってる・・・前傾姿勢気味なんだよね、スタートからずっと同じ・・・でも・・・それで日本一になれたんだからやっぱり凄いよ!!」

「ハハ・・・それって誉めらてるのかな?でも・・・二人にそう言われると何だか凄く嬉しいな・・・」

すっかり落ち込んでいた海にようやく笑顔が戻った。



「でもさ、島崎君今日は本気じゃなかったんだよね?」


紘の何気ない一言だった。

その一言に、その場にいた全員が固まった。



「・・・おいおい・・・本気じゃないってそりゃあないだろハハハ・・・何を根拠にそんな事言うんだい?」

颯太が引きつりながらも、何とか強引に笑い飛ばした。



「いや、本気だったよ・・・調子だって悪くないし・・・もちろん手だって抜いてないよ・・・」

「そら見ろ!!!!君は何だってそんな事言うんだよ!!!!」


「うーん・・・そうかなぁ??」

海は穏やかに否定したが、紘にはそれがどうにも納得が出来なかった。


どこかしらわだかまりの残ったままの彼らを煽るように、無関係で身勝手なカエル達の鳴き声がそこら一帯に延々と鳴り響いていた。






「じゃあまたねー!!今度合コン誘うからー!!」

「うん、またー」

ファミレスの駐車場、百合は車の中から友人達に手を振った。


「ハァー、合コンか・・・苦手だな・・・」

運転席で一人、ついこぼしてしまった。



あ、そうだ・・・


百合は思い出したようにスマホを取り出すと、もう一度海の動画を検索しだした。


映し出されたのは、小学生時代の海がドリブルをしながら一気に左サイドを駆け上がっていく映像だった。


喰らい付いてくるDFを、その圧倒的なスピードで引き離していく。


こんなに浅い位置から仕掛けるのね・・・それにしても本当に凄いスピード・・・



「・・・・・・」



確かに速い・・・



でもどこか変な感じがする・・・




何だろう・・・




見落としちゃいけない何かがあるような・・・




ほんの少し観るだけのつもりだった。

だが、偶然選んで観たその映像に、どうにも拭えない違和感を感じてしまった。


消化不良のように何かがずっと胸につかえている。

先程から、一刻も早くそのつかえを取ってしまいたいという欲求が止まらない。


同時に、プロサッカー選手にまで登り詰めた百合の直感が、彼女自信に告げていた。



島崎海・・・


彼のプレーは私の知るサッカーとはどこか違う・・・


何かが・・・



次に百合は U12 島崎海 スーパープレイ そう銘打った別の動画を観始めた。



ほんと個性的な走り方・・・



これでよくあんなスピードが・・・



「!?・・・え!?」



突然やって来たあるシーンに、百合は思わずその目を奪われた。



それは、明らかに目測を誤ったスルーパスだった。


ボールはDFとDFの間を綺麗に両断し、左サイド側へと鋭く突き抜けていった。

だが、受け手との間に存在するその距離は、誰の目にもそれが絶望的だと一目で分かる程のものだった。


おそらく、このまま誰にも触れる事なくボールはラインを割るだろう。


相手DFもそのまま見送るようなボールだったが、ただ一人そのパスに反応する者がいた。


受け手である海だった。


絶望的だと思われたボールとの距離を、あっという間に埋める程のスピードだった。


パスミスだと思われたそれは、海からすれば最高のパスだったのだ。


圧巻なのはボールを受けてからだった。


完全にフリーな状態でボールを持った海は、そのスピードを緩めるどころか更に加速させながらゴールへと向かって行く。


誰の手にも届かない領域に入った海は、ためらう事無くそのまま鮮やかにゴールを奪い去っていった。


その一連の流れが、全て一瞬の出来事のようだった。




ちょっとこれ・・・・・・嘘でしょ!?



ボールを持った瞬間・・・

間違いなくギアが一つ上がってる・・・



そんなバカな・・・



こんな事・・・あり得ない・・・



あまりの衝撃に思わず背筋が震える程だった。



それから何度も何度も、そのシーンだけを見返した。

繰り返し繰り返し、それこそ目を閉じても瞼の裏に映像が焼き付いて残る程。



駐車場に車を停めたまま、かれこれ30分近くは経っていただろうか。

百合はスマホを助手席に置き、シートベルトを締めると、ようやくハンドルに手を掛けた。


「やっぱり・・・この子・・・・・・」

そう言って百合は、何かを悟ったような表情で助手席のスマホに目をやった。


暗闇の中で煌々とした輝きを放つその液晶画面には、満面の笑みで仲間達と抱き合う海の姿が映し出されていた。



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