矛盾の真意
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ちっ、またあいつ遅刻かよ。遅れるならあらかじめ連絡をよこせってんだ。
約束破りっていうのは、たとえ表に出なくでも、裏ではかなりの敵愾心をあおるものだ。嘘をつく奴には厳罰を、と考える人も少なくはない。
だが、今はまだ優しめな時代かもしれん。昔は約束、その上位の「誓い」ともなれば、安易に背くことは許されなかった。今よりも人の命が簡単に、されど敬意を持って扱われていた時代には、「誓い」を巡って恐ろしいことが起きることがあったという。
あいつが来るまでの間で、その話を聞いてみないか?
約束を結ぶにせよ誓いを立てるにせよ、当然だが、承認する相手の存在が必要になる。神々を相手とするのは、これら約することの最上だろうが、神霊はおいそれと目で見て、手で触れられる存在ではない。
そこで象徴たる物品を用意し、それを神仏の代わりとする。像から武具まで様々なものが採用され、後者で有名なものといえば戦国時代の武田氏が神格化した、「御旗と楯無」だろうな。
今回、話すのは戦国時代のとある家にあったといわれる、これもまた誓いを果たすための象徴についての話だ。
その家では「御旗と楯無」までとはいわずとも、先祖伝来かつ霊力を持つものと伝わる武具があった。元をたどると鎌倉時代に将軍から与えられた、武具とのこと。
それは銅製の長い矛と、小柄な者なら裏側にすっぽりと隠れられてしまうほどの大楯。出陣の折には諸将の下へ引き出されて、このたびの戦いが義に殉ずるものであることを伝え、それを貫く覚悟を述べるのが通例だった。
「この矛と楯の前には、筋の通らぬことは許されん。常に堂々たれ」
その家にずっと昔から伝わる、家訓だった。しかし、これはまだ将軍に奉公することが至上とされていた、鎌倉時代に定められたこと。すでに時が移り、はかりごとを巡らせる戦国の世にあって、堂々と臨んで得られるもの、得られる機会は非常に限られたものだった。
他国へ兵を送るのは侵略ではなく、保護のため。援兵を乞われた時のみだったため、表向きは義理堅い家として、評判を挙げていたらしい。助けてもらった結果、一部の城や領土を差し出して傘下に収まる家もあり、その勢力は着実に伸びていた。
だが、侵略を是とする国に比べれば、成長は緩やかなもの。特に少し離れた国が、近年、自国内を統一し、周辺諸国を併呑する動きを見せている。まだ正面衝突まで時間があるとはいえ、現在、防波堤のごとき役割を担っている小国まで滅ぼされたりすると、国力が逆転しかねない。
――早く力を蓄えねばならない。純粋な領土の広さで見た上でも。
頭を悩ませていた現当主だが、ついに思い立って、現在の秘書役にあたる祐筆を呼び寄せ、とある指示を出したんだ。
一年余りが立った時。件の小国から援兵を乞う使いがやってきた。城が一揆勢に囲まれて苦戦しており、力を貸していただきたいとのこと。
現当主は、これまでと同じ通りに快諾。すぐさま派兵の準備にかかったものの、心は重い。
この度の一揆は、一年前から自分が仕込み、扇動したものだからだ。他国へ堂々と踏み込む大義名分を得て、煽った一揆を自分の手で打ち破り、恩を着せる。すぐには打ち倒さず、時間をかけて元の国主の力、支持を弱まらせることを忘れない。
その後で追加の援軍を送り、一気に一揆を鎮圧。独力で事態を早期解決できなかった領主の人望低下につけ込み、自分たちによる統治へ移行しやすくする……という策だったんだ。
義の皮を被った茶番。家の中でも気づいている者はいるだろうが、表からも裏からも非難の声は上がらなかった。それほど彼らは、迫る相手の姿に危機感を覚えていたといえる。
数日後。第一軍の編成が終わる。彼らは一揆と戦いながら拮抗状態を演出する、引き伸ばしのための部隊。援兵を乞うた彼らを、完全には助けない。
それでもならわしは守らねばと、当主は家臣たちを矛と楯の下に集めて宣誓する。
「矛も楯も照覧あれ! 我らの戦を!」
何度も告げてきた言葉だ。家臣たちも同じ言葉を口にし、ほどなく兵たちが出発する。長く続く列を城の中から見下ろしつつ、現当主は苦い笑いが浮かびそうになるのを噛み潰していた。
この程度の騙しで心がこたえていては、乱世を生きてはいけないぞと自分を叱ってみせるが、どうにも身体に力が入らない。その日の政務は他の者たちに任せると、現当主は早めに床についたんだ。
その晩、当主は不思議な夢を見る。
自分は暗闇の空間の中、両手両足を大の字にし、ほぼ全裸の状態で磔にされていた。だが背後にたたずみ、当主の背中を預かるものは、男の磔刑の時に用いられる「キ」の字をした柱ではない。
大きく四角い楯だった。金物が放つ、震えるような冷えを背中一面に受ける当主の頭上から、重々しい声が降ってくる。
「わが楯の堅きこと、よくとおすものなきなり」
声が途切れるや、正面の闇の中から、ぬっと一本の矛が飛び出してきた。銀色に輝くその刃は、あやまたず当主の額へ吸い込まれる。
激痛が走る当主だったが、それも刹那の間のみ。ほどなく「があん」と長く耳鳴りする音を出しながら、矛の刃先が額から飛び出してくる。その刃は飛んできた時と変わらぬ銀色のまま、向きを変えずに闇の中へと引っ込んでいった。
背後の揺れが収まりかけると、またあの声が告げる。
「わが矛の利きこと、物においてとおさざるなきなり」
再び矛が一本、闇の中から飛んできた。今度は右足の甲。中心を貫いた槍は、今度も音を立てたものの、すぐには抜けない。ぐりぐりと刺さり具合を確かめるように、矛の柄の部分が揺さぶられている。誰の手を借りることもなく、ひとりでに。
当主の足に、今度は痛みの満ち引きが、延々と繰り返される。だんだん痛みが鈍くなるも、完全に麻痺する前に引き抜かれた。矛はまた、闇の中へと消えていく。
「子の矛をもって、子の盾をとおさばいかん」
まだ痛みの抜けない当主に、三度、矛。左の肩口に刺さり、また楯が鳴る音と共に矛の先が弾かれた。
矛はもう、奥へ引っ込むことはしなかった。当主に刃先を見せると、また声と共に身体を刺してくるんだ。
声も長々とは話さない。一刺しのたびにただ一言。「いかん」と。
そのたび、当主の身体は箇所を問わず、矛の先に食いつかれた。時に背後の楯が弾き、時に貫いた槍が手ごたえを確かめるように、ねじられる。だが、矛はまだ満足しない。
「いかん」
口を。
「いかん」
太ももを。
「いかん」
手のひらを。
次々に刺されていく。
痛みに慣れていたはずの当主も、意識がもうろうとしてきた。
だが引きかけた痛みのところへ、思い出させるかのように矛が突っ込んできて、落ちることを許さないんだ。このままだと気は確かなまま、永遠に矛で刺され続けることになりかねない。
――罰なのか。義の意思を通さずはかりごとに走った、罰なのか。
「いかん」
のどが狙われた。額や口をやられた時と同じように、突き刺さる勢いのまま楯に後頭部を打ち付けられる。貫かれたところはまた、矛がぐりぐりとねじり込まれた。
これほどに刺されても、血はまったく出てこない。ただ痛みのみが響き、残るだけ。そして未だ、刺されていない箇所が残っている。
胸の奥。今、あふれんばかりの痛みと後悔に、耳の内側からあふれそうなほど拍動を強めた脈の、中心点だ。
今また、喉から外れた矛先は、左のわき腹へと吸い込まれる。すでに数えきれないほど刺しているにも関わらず、だ。
――心を試している。試されているんだ。奥の奥にある真意を、おのずとさらけ出せるかどうかを。
そう察した当主は、残された気力を振り絞って、矛先を見極める。手足を狙うものは無視し、ついに脇下を目掛ける一閃がひらめきかけた時。
ぐいっと当主は半身をねじる。縛られているはずなのに、予想以上に傾いだ胸は、その脈の中心を矛の前に捧げたんだ。
ずぶりと、思いもよらない近さで響く。
矛が突き刺さる。盾は鳴ったが弾く様子を見せず、かといって矛も、これまでのようにねじり込む気配がない。そして例の中心点からは、他の刺された箇所の感触とは違う、温かいものがあふれてくる感覚があった。
ポタリと、身体の全面から生えた矛の柄から、水が垂れ落ちる音。そして背中にはこれまでの楯の冷たさとは、異なる熱が、胸のあたりからじわじわと広がっていった。そのぬくもりが届いたところから、順に痛みが引いていく。
はっきりしていた意識が遠のき始める。久しく触れていなかったまどろみが、当主の身体をおもむろに包み始めた。自然と重たくなるまぶたに身を任せる直前、何度も自分に尋ねてきた声がささやく。
「子の矛、子の楯はとおす、とおさざるにあらず。刺し、広がるべきものなり」
当主が目を覚ましたのは、まだ自分がさほど寝入っていない、夜半のことだったという。
翌日、慌ただしく手勢をまとめた当主は、第一軍の後を追う。早馬によって当初の予定が変わったことに面食らった第一軍だが、「一揆を長引かせては、件の国の横やりが入るかもしれぬ」という言葉に、一応の納得をする。
当主と合流した援兵は、すぐさま一揆勢とまみえた。元より、自分たち相手には無理に攻めかかるなと示し合わせていた者たち。こちらが最初から押してかかると、算を乱して逃げ出してしまう。
損害はほとんどなし。茶番とは知らない援兵を乞うた城主たちには、多大に感謝をされたが、その後の統治計画は真っ白な状態に戻ってしまったらしい。
それからは手法を変え、外交で件の勢力に包囲網を貼ることにした当主たち。しかし、数年後にはそれを打ち破られ、戦国大名としての当家は途絶えてしまったとか。
血そのものはかろうじてつながったが、例の当主が夢の中で胸を貫かれた際、何を思ったかについては、誰も知らないとのことだ。