竜と赤子
小鳥のさえずりと、風に揺れる木の音が聞こえるいつもの退屈な日常。だが、退屈と言っても変化を望む気になれない日常である。そんな、日常の中、一つだけいつもと違う音が聞こえてきた。
ほかの生物では気づくことができないであろう、高貴なる種族である我だけが、気づくことができるような小さく、遠い泣き声であった。
もしも、我が惰眠を貪る地竜どもや、全く小さいものには気付かない繊細さのかけらもない火竜どもであったり、無駄にプライドが高い水竜だったなら、この声には気付けなかったか、気付いても気に留めたりはしなかっただろう。だが、我は優しく、繊細な風竜である。風に流れてくる声を聞き逃すなどということはあるまい。その気になれば例え、千里離れていようとも聞き逃すことはあるまい。
まぁ、そのような事は置いておき、泣き声の主のところへ向かうとしよう。
寝床である洞窟から出ていき、外の空気を肺に送り込む。まだ、春ということもあり冷たいが心地のいい空気がいまだに微睡んでいる我を現実へ浮上させていく。
それと同時に体の方も目覚めたのか腹が大きな音を立てて空腹だということを伝えてくる。だが、それよりも先に、いまだに泣いている者に会いに行かなければならない。
そうして、寝床から数分ほど歩くと――翼を使えば数秒で着いたのだが、森の生物たちに迷惑をかけるのは良くないので、歩くことにした――声の主にたどり着いた。
声の主は木で編まれたかごの中に手紙、毛布と一緒に入っていた。その声の主は、我を呼んでいたのか分からないが我が近づくと泣くのをやめて、すぅすぅと寝息を立てて眠ってしまった。
いくら風竜である我の魔力が他の竜よりも優しいとしても、その量はかの魔王とて恐れるほどのものである。それを前にして眠りに入るとは、この赤ん坊は化け物なのであろうか……。
さて、赤ん坊のことはひとまず置いておき、かごの中の手紙を読むとする。
だが、我の躰は巨大であり、小さい手紙を読むことはできない。いつもなら、別の者に読ませるのだが、今ここには我と赤ん坊しかおらず、我が自身で読むしかない。
これをすると、体の違和感があるので、あまりしたくないがするしかないだろう。体内の魔力を練り上げ、自らが望むものをイメージし、言葉を発する。
『人化』
そう言葉を紡いだ瞬間、我の躰はあっという間に縮んでいき、翼が無くなり、爪も牙も無くなっていく。そのような変化が終わると、我の躰――いや、体は鱗も鋭い爪も無い貧弱そうな姿へ変わっていた。いや、変わっているはずだ。
そんな我よりも、貧弱である赤ん坊の隣にある手紙に手を伸ばし、手紙をとる。手紙は一枚の紙であり、今は二つ折りにされていて中を見ることはかなわない。そんな手紙を広げ、中の文字を読む。
――まず初めに、懺悔をさせてください。私は今日の夜、私の子を捨てます。
本当は捨てたくないのです。信じてください。しかし、私の夫はこの呪われている子を捨てろと言ってきます。
そういわれると、私にはどうすることもできないのです。
夫はどうしてもこの子を殺したいのでしょう。あの森に行って帰ってこれるのは、B級以上の冒険者でないと不可能と言われているのですから。
ですから、こんな小さな子供が万が一にでも帰ってくることは無いのですわ。あぁ、神よこのような私を許してください。それが叶わないのであれば、この子をどうか見守ってあげてください。
長々と失礼しました。もし、少しでも同情していただけたのなら、この先も読んでください。
この手紙を読んでいるあなたは、さぞかし有名な冒険者様なんでしょう。どうかお願いです。この子を育ててください。子を捨てた親が言うのはおかしいと思っています。ですが、お願いさせてください。この子に未来を与えてあげてください。どうかお願いです。
かごの中に宝石を二つ入れてあります。しかるべきところに持って行けば、子供一人の食費ぐらいは賄えると思います――
そうして、手紙は終わっていた。
手紙の最後に書かれていた通りに、かごの中には赤色と青色の二つの宝石が入っていた。
しかし、驚いた。ただの人間の赤子が、この森で一晩生き延びただと?
手紙にも書いてあった通り、この森はある程度の実力者でないと、生き残るのは不可能である。手紙に書いてあった、呪われている子というのが関係しているのだろうか……。
まぁ、いい。取り敢えず、洞窟に帰ってから考えるとしよう。
赤ん坊の入ったかごを手に持ち、人の姿のまま、洞窟へと戻る。
特に問題が起こることもなく、洞窟へとたどり着き、中へ入ると人がいた。
暗い洞窟の中でも光を放っているかのようなまばゆい金色の髪とツンととんがった耳を持ったイケメンである。このイケメンは、この森に住み着き、我を崇めているエルフどもの族長で、毎朝、我の世話をしに来ているのだ。
「竜様、本日は人の姿で朝から散歩でしょうか? ところで、竜様、その右手に下げているかごの中には何が入っているのでしょうか? 小さい魔力を感じるのですが……」
こんな小さな魔力まで感知できるとはさすが、魔法に長けた種族であるエルフの族長である。
「あぁ、これはさっき拾ったのだ」
そう言うと、エルフのイケメン――アギィルは、目を大きく開けて驚いている。
それから、事態を整理できたのか口を開く。
「それで、育てるつもりなのですか? 種族は? 性別は? そもそもただの生物が竜様の魔力に当てられ平気だとでも?」
ぐ……。なんだこいつは、我を崇めているのでは無いのか?
「種族は恐らく人間で、我の魔力に関しては、問題ないであろう。先程から気持ち良さそうに寝ているからな。性別は不明で、育てるかどうかは考えていない」
「人間!? あの卑しくて卑怯で、同族だろうと自らのために殺すような人間ですよ!? いや、それも驚きましたが、竜様の魔力に当てられながら寝ているんですか!?」
アギィルが大声で畳みかけてくる。
本当にこいつは我のことを敬っているのであろうか……。
さて、たしかにこの赤ん坊を持ち帰ったのはいいが、これからどうしよう。さすがに、今から捨てるのは心が痛むし、風竜としてそのような事はできまい。もう、いっそのこと育てよう。
「アギィル、我はその赤ん坊を育てようと――、お前、何やってるんだ?」
我が赤ん坊を育てると言おうとすると、アギィルが我の右手にあるかごから赤ん坊を持ち出し、赤ん坊の股間を見ていた。
「あ、竜様、これはですね、えーと、特にやましいことをしていた訳ではなくですねぇ……」
「そ、そうか」
百年以上の付き合いがあったのだが、まさかそんな趣味があったとは思わなかった。
「え、違いますからね!? ただ、性別を確認していただけです!」
怪しい……。エルフは長命な種族であるからか、恋愛をするのに年齢をあまり気にしないと聞くが、流石にこれは気にしなさすぎではないだろうか……。
「お、おう。それで、男か女どちらなのだ?」
アギィルがジト目をこちらの方へ向けてくる。いや、ジト目を向けるべきなのは我の方であろう……。
「えーと、特になんも付いていなかったので、女だと思います」
ふむ、女の子であったか。
「それで、竜様、名前はどうするんですか?」
そうか、この娘には名前がないのか。
「しかし、名前をつけるといっても、どんな
ものがいいのか分からないのだが……」
生まれてこの方、親になったことは、一度も無く、名づけをしたことは一度も無い。
「人間では、親の名前から一部を取ってきて名づけることがあるらしいですよ。この子の親は竜様ということになるのですから、竜様の名前からとってはいかがでしょうか?」
ふむ、我の名前からとればいいのか。
「では、ニルというのは、どうであろうか?」
「ニルですか、それで、いいと思います。きっとこの子は、竜様のように強く誇り高い竜になるでしょう」
我がニルに名前を付けると、我から光のようなものがニルの体へ吸い込まれていった。我がその光景に驚いていると、アギィルが説明してきた。
「これは、命名の儀というもので、竜様の魔力がニルに刻まれたのです」
なに、それは大丈夫なのだろうか。人の体に竜のしかも我の魔力が入っても平気でいられるのだろうか……。
「ところで、竜様は子供の育て方は知っているのでしょうか?」
いくら、親になったことがない我とて竜の子供の育て方ならばわかる。基本的に、放っておくだけだからな。だが、人の育て方はさっぱりわからない。
「いや、人の子の育て方はさっぱりわからぬ。竜と同じように放っておくだけということはあるまい」
そう我が言うと、アギィルはやはりといった風な顔を見せる。
「人の子は弱く、脆いのです。もし、竜と同じように育てでもしたら、一日もたたず死んでしまいますよ!? はぁ……。私もエルフの子の育て方しか分かりませんが、竜様よりかはわかると思うので、色々と教えますよ」
そんな感じで、竜の我が人の子を育てる物語が始まった。




