想われ人は付き合いたい
──アイツは歌うように語る。あどけない顔に哀愁を漂わせ、声に想いを乗せるため。
「結局わたしはこの街に戻る運命だったのね。一番近くにあった、大切なものを思い出すために……」
──アイツは踊るように歩く。ふわりと揺れる長い髪を揺らし、動きに心を込めるため。
「ああ、これだったんだね。わたしが忘れていた、家族というかけがえのない繋がり……」
──膝をつき、両手を空へ掲げる。そして、一筋の涙を流し──
「──よしオッケー! 良いじゃん成宮! 心に来るものがあったよ!」
講堂に監督のカットが響き渡る。それを聞いた成宮と呼ばれた女子、早奈は舞台袖に居た俺のもとへ一目散に駆けてきた。
「ねえ楓真! 今の良かったんじゃない?」
「おお、良かったと思うぞ。ただ最後は泣くだけじゃなくて泣き笑いの方が俺のイメージに近いな」
「わかった! 脚本家が言うんなら従わないわけにはいかないね!」
「脚本家ってまた仰々しいな。ただの高校の部活だろ?」
私立茅崎高校。この学校は演劇部が盛んで、早奈達演劇部員はこうして放課後に熱心に練習しているのだ。
「楓真も演劇部に入れば良いのに〜」
「やだよ面倒臭い。というか台本書いてるんだから別に良いだろ?」
「そんなこと言いつつちゃっかり練習見に来てるのに〜。なぁに、ツンデレなの?」
「お前がこの演技の解釈で合ってるのか気になるって言って俺を連れてきたんだろうが」
「怒んないでよー」
口を尖らせた早奈は逃げるようにふらりとその場を離れると、近くに居た監督(こいつも生徒だ。俺や早奈と同じ二年生)のもとへ向かった。多分褒めてもらいに行ったんだろうな。
「かーんとくっ! 今の演技どうだった?」
「流石成宮だよ! やっぱり名女優の娘なだけはあるなぁ」
「ありがとっ! でもそれを言うなら楓真もだよ?」
アイツ、またそのこと言いやがって……。あんまり知られたくないってのに。
「水瀬はほら、台本は書いてくれるけど演劇部じゃないから」
「でも楓真って本当は演技も凄いんだよ? 昔学芸会で演劇やって、あたしと楓真が主役のロミオとジュリエットやったんだけどね。どっちも入り込みすぎてラストシーンでチュウ──」
「いつの話してんだよ」
「あ痛っ」
ペシ、と早奈の頭を軽く叩く。ったく、また昔のこと引っ張り出してきやがって……。
「何さ! 別に良いでしょ、見に来てた人達もみんな大号泣してたんだから!」
「何一つ関係ねえよ」
「あ、そうそう今日は一緒に帰ろうね」
「相変わらず話題変更が突拍子もないな……。良いけど、何でまた?」
「今日真紀さん遅くなるから、ママが家でご飯食べてけーって」
真紀さんとは俺の母さんで、水瀬真紀と言えば名女優の一人として数えられる存在だ。母さんは瞳子さん(早奈のお母さんだ)と昔からの親友らしく、早奈とは家ぐるみで付き合いがある。いわゆる幼馴染みだ。
「何というか……、ご馳走様です」
「あ、ごめん監督! ほったらかしにしちゃって!」
「良いよ良いよ、僕は二人の夫婦漫才が見られて満足だから」
「夫婦漫才だって、楓真。わたし達夫婦だって」
「まあ早奈みたいな天真爛漫謎人間を御せるのは俺だけだろうから、あながち間違いでもなさそうだな」
「相変わらず楓真は素直じゃないなぁ〜。うりうり、素直にわたしのことを好きって言えよバカ〜」
「ウザ絡みすんなバカ」
「うん……やっぱりご馳走様」
監督は既に食傷気味な様子で、他の部員のところへよろよろと歩き出す。いつもこんなノリだからそろそろ慣れてくれても良いと思うんだけどな。
「早奈、この後の流れは?」
「今日はさっきの通し練習が終わったら自由解散だよ。今は自主練の時間?」
「ん、なら帰ろうぜ。どうせお前ならぶっつけでも出来んだろ」
「まあ天才だしね〜」
俺と早奈は部員のカバンを置いたところへと向かう。その間も早奈は黙ることなくペラペラとどうでもいいことを話していた。毎日一緒に居るってのに、よく話題が尽きないものだ。この演劇も来週が本番だってのに緊張一つしていない。
ま、どんな時でもいつも通りなのがこいつの良いところなんだけどな。
傾いた太陽に照らされる遊歩道。この時間の帰り道は夕陽によってオレンジに彩られる。
「〜♪」
早奈は鼻歌交じりに俺の隣を歩く。機嫌が良さそうで何よりだ。
「ねえ楓真ー?」
「どうした?」
コツンと俺の肩へ頭を預ける。必然、歩く速度は遅くなった。
「本番、来週だねー」
「新入部員が入るかどうかは茅崎だから良いとして、問題はAチームに入ってくれるかだな」
ここの演劇部はAチームとBチームの二つに分かれている。これは単に部員数が多いという理由だけでなく、競うことにより自分達だけで完結しない、より良いものを作れるからという理屈らしい。もう何十年も続く伝統で、かつては俺と早奈の母親ズも別チームでのライバルだったと聞く。
「俺はどうでも良いけど」
「むー、楓真だってもうAチームの一員みたいなものじゃん」
「台本は書いてやるから。それで我慢しとけ」
「だって楓真と一緒に帰りたいんだもん」
馬鹿げた理由だなぁ……。別に言ってくれたら帰りぐらい待つんだが、まあ俺から言うようなもんでもないな。
「だーかーら、ぎゅっ!」
「おっと、いきなり抱きついてくんなよ危ない」
「腕組んでるだけだしー」
俺の腕を身体全体でぎゅっと包む早奈。やっぱり女だけあってどこもかしこも柔らかい。それにふわりと柑橘系の香りもする。
「あんまこういうこと、男にすんなよ」
「楓真にしかしないからだいじょーぶ」
「俺以外にしたら幼馴染みやめるからな」
「ぷっ、何それ? 幼馴染みってそういうシステムじゃないでしょ」
「お前のそんなシーン見るくらいなら死んだ方がましだ」
「ふっふっふ、これはデレ期だね? 楓真ったら、あたしのこと大好きなんだから」
お前がそれを言うか。心の中でツッコミを入れる。
チラ、と花が植えられた花壇が目に入る。深い紅色の花。あれは確か。
「あっ、アネモネ! 綺麗だね、楓真!」
「だな」
「知ってる? アネモネの花言葉って辛いのが多いんだって。『悲しみ』とかさ」
「それ確か紫のアネモネのやつだろ。赤は『君を愛す』だ」
「へえー、何だかロマンチック。プロポーズの時にはあれちょうだいね!」
「付き合ってもないのに何言ってるんだよ……」
「今ので思い出したんだけど、脚本恋愛モノじゃなくて良かったの? 成長物語より簡単に共感得られると思うんだけど」
俺にぴったりとくっつきながら呟くように訊く。またころっと話を変えやがって。
にしても、共感か。共感は物語を語る上でとても重要な要素である。感動するにはその根拠が必要なわけで、その時の気持ちを理解出来るからこそもらい泣きをしてしまうこともあるのだ。
成長には過程が必要だが、恋愛には必ずしもそれが要るとは限らない。何故なら刹那的な恋愛なんて腐る程存在しているからだ。
「Bチームは恋愛モノだったよな」
「だねー。まあ練習場所違うから見たことないんだけど、恋愛モノとは聞いたよ」
「んじゃBチームと被らないようにするためだ。万が一にでも被ったら目も当てられないだろ?」
「んじゃ、って何さ! 絶対今考えたでしょー」
じとーっと俺を睨む。俺の方が頭一つ分くらい高いせいで必然的に上目遣いになる。
「あーあ、あたしも恋するヒロインとかやってみたいなぁ」
「じゃあ、もし仮に俺が恋愛モノを書いてAチームに渡すだろ。そしたらメインヒロインの役は誰がする?」
「そんなのあたししかいないでしょ。だってあたし天才だもん」
「だよな。俺もそう思う。じゃあ相手役は誰だ?」
「うーん……、わかんない。正直誰がやっても一緒なんじゃないかなぁ」
「嫌なんだよ。お前が誰かの女の役をやってるとかさ」
そう言った瞬間早奈は立ち止まり、腕を組まれているため俺はグイッと引っ張られた。急になんだ。
「……ふーん! 楓真ってホントあたしのこと好きだよねー! あーもー恥ずかしっ!」
「何だよ、照れたのか? 珍しいこともあるもんだな」
「あたしだって女の子だからね!?」
「とか言う割に腕は組んだままなんだな」
「……バカ!」
なんて悪態を吐きつつも、早奈が俺の腕を離す様子はない。いじらしいやつだ。
「……じゃあさ、楓真? そんなにあたしのことが好きならさ……? その、付き合う、とか……」
「ないな」
「何で!? こんなに良い雰囲気なのに!?」
「自分で言うなバカ。てかこの付き合わない理由って前にも言わなかったか?」
俺は空いてる手で頭をかく。早奈は桃色の唇をツンと尖らせて俺の目をじっと見ていた。
「俺はお前を誰よりも自由な名女優にするって決めてるんだ」
「それとどう関係があるの」
「人のもんになってお前の自由奔放さが薄れたら嫌じゃねえか」
「……誰かのものになっても、あたしはあたしだもん。まして相手は楓真なのに」
それでも納得がいかないのか、早奈はぽつりと呟く。それはまるで言い訳のようで。
「聞かなかったことにする」
「ふん、どうせすぐにあたしのことが好きになるよ」
くい、と腕を引かれて歩き出す。俺は小さく笑いながら早奈の隣を歩く。
早奈のむっとした顔は、こっちが恥ずかしくなるくらい赤みを帯びていた。夕陽に照らされたせい、なんて使い古されたフレーズが頭をよぎる。
「顔赤いな、早奈」
「つっこまないでよバカ!」