残飯少女の皿洗い
過信などしていない。その、はずだった。
己の実力、周囲の人々の力量、周辺の魔物の能力。それらを把握した上で、「負けるはずがない」と結論を出した。
それがどうだ。腕を競い合った同期や、無口ながらも優しかったギルドマスター、新人いびりなどしつつも実は一倍新人に気をかけていたおっさん。魔王の配下の魔物へと勇敢に挑んだ彼らはただの血や肉となり散らばっている。
小要塞などと呼ばれつつも、普段は冒険者達の喧騒で活気溢れるギルドも、今やただの瓦礫と化した。俺自身も、戦い続けられない程の傷を負い、青く澄んだ屋根を見上げていた。
「詰み、か……」
かつて受付だった所に目を移す。俺によくしてくれた銀髪の受付嬢が、物陰に隠れ震えている。このギルド……いや、この街で俺を除く唯一の生き残りかもしれない。まあ、どうせ俺の次は彼女が殺されるのだろう。このままでは。
しかし、神がそれを許さない。
「すまない……次は、たす……ける……」
魔力が集う。
空へと伸ばされた手からは、聖とも邪とも異なる魔力が糸となり伸ばされる。
集いし魔力は手を伝い、糸を通して天へと昇る。
「再転生。【口直し】」
世界を照らす光は消えた。
理解など出来るはずもなかった。しかし、魔物に敗れた少年が、光となって消えた。その事実は依然として変わることなく突きつけられる。きっと彼なら、彼なら何かしらの奴を倒す手段があるのだろうと。
最後に縋る藁すらも、神は与えてはくれなかった。
少女は、震えて死を待つことしか出来ない。同期の受付嬢のように、犯され、腹わたから喰われるのだろうか。毎日顔を見せた新人のように、四肢を喰われて捨てられるのだろうか。共に過ごした仲間達の、脳裏に焼き付けられた最期ばかりが脳裏を巡る。
獲物を失った魔物の意識が、ついに少女の方へと向いた。ああ、ここで死ぬのか。不思議と、冷静に判断するも体は恐怖で動かない。既に怪我の痛みや下半身を伝う温もりも感じられず、一歩、また一歩と近付く魔物をただ見つめる。
「死の危機を迎えると、時間が止まったかのように感じるんだ」という、理解するつもりもなかったベテラン冒険者の言葉を思い出す。
とうとう、目の前まで魔物が迫った。辛うじて人型といえるそれは、二チャリとした笑みのようなものを浮かべ、丸太のように太い腕を天へと掲げる。ついに頂点へと到達し、その腕を振り下ろしーーーー
「チッ、遅かったか」
ーーーー空を舞う。人の力ではどうすることも出来ないかのように思えたその腕は、血を飛ばしながら地へ落ちる。
返す一閃。腰から半分に斬られた魔物は、断末魔すら上げることなく泡となって消え去った。
男は少女へ語りかける。
「君の友を助けられなかった。すまない」
男によって魔法で精神を安定させられ、汚れてしまった制服から、今は亡き同僚の制服へと袖を通した少女へと男が向き合う。
漆黒の鎧に兜を被り、これまた漆黒の大剣を背負う。少女の知る限り、著名な冒険者にこのような身なりの男はいない。かといって、どこかの所属をあらわすような紋章なども身につけてはいなかった。普段であればとてもじゃないが怪しくて近寄りもしないような男だが、命の恩人相手にそうも言ってはいられない。何やら話し始めた男へと耳を傾ける。
「ついさっきまで、ダイチという男がいたはずだ。俺は奴を追ってこの世界へとやってきた」
ダイチ。この国でもトップクラスの冒険者で、僅か1年足らずでAランクへと到達した、今最もSランクに近いと呼ばれる男。つい先程、魔物に敗れ光となって消えた男。そんな彼を追ってきたという。
「奴は、神に魔王討伐という使命を貰いこの世界へとやってきた。その際、一つの力を授かった。『やり直し』だ」
「やり直し?」
「ああ。新たにここと似た世界。住む人間も、土地も、歴史もコピーし、そっくりそのまま作り出した世界。その新たに作った世界で、任意の時間まで巻き戻し、己の好きなように世界を変える、そんな力だ。君のいるこの世界は、所詮奴の食べ残した残飯に過ぎない」
なんと恐ろしい力だ。そう思いつつも、少女は当然とも言える疑問を抱く。
「その、残された世界はどうなるのですか?」
「世界のバランスを保つ役割を果たす英雄がいない世界など滅ぶ未来しかないだろう。今までの世界は、8割程度救うことが出来た。だが、それも今回で終わりだ……」
鎧の男は遥か遠くへと目を向ける。
「奴を殺す。このループを止めるには、それしかあるまい」
「知らないだけって可能性はないんですか? もしかして、ただ時間を巻き戻しただけと思ってるのかも……」
「関係ない。それに、一度溺れた力だ。葛藤しながら、罪悪感に悶えながらも使ってしまうものだ」
それはもう決めたことだと打ち切り、男は話を変える。
「私がこの世界を救っていては奴を倒すのに間に合わない。それで、だ。君に頼みたいことがある」
「頼みたいこと?」
「力を授ける。魔王を倒し、この世界の長となれ」
まさかな、とは思った少女だが、いざそのまさかをぶつけられるとやはり面食らうものだ。魔物どころか、武器を握ったことすらないと男に告げる。
「問題ない。本を置いておく。それを読んで私の力を修めてくれ」
なんて無茶な。
「時間がない。では、またいつか」
一陣の風を残し、鎧の男は掻き消えた。
さあ、これからどうしようか。本を手に取りつつ、少女は思考を巡らせる。
例え、彼に力を授かったとはいえ、私に魔王討伐なんて出来るのだろうか。
少女の心を満たすのは、先への不安と生への安堵。だがしかし、その均衡は新たな勢力の台頭により崩れ去る。
どうせ、あの場で失った命だ、出来るかどうかなど関係ない。とにかく死ぬ気でやればいいのだ、と。
命の恩人の頼みの一つや二つくらい、叶えてあげたいじゃないか、と。
実質的な死を経験した少女は、既に恐怖への耐性が出来ていた。それがなければ考慮すらしなかったであろう決断。
か弱き少女はもういない。意志を心に漲らせ、胸のプレートを弾いて誓う。
「シャリア・ホルダート。必ずや、皆の仇を……魔王の首を!」
仇討ちを誓ったシャリアがまず始めにしたことは、やはり本を読むところからだった。受付嬢として、魔物の知識、土地の特性、金の稼ぎ方などを熟知している。後は力を得て経験さえ積めばあれば、冒険者として一流になることなど苦ではない。
「さて、最初のページですが……」
瓦礫に腰掛けページを捲る。ざっと目次に目を通し、基礎の前段階である力の確認を行う。
「そなたの思いはそなたの力。思いは集いて鋼となりて、思いのままに操れり……。古語なのか現代語なのかはっきりしてほしいわね」
愚痴りつつも考察する。文のままに考えるのなら、己の意思で鋼が生み出せ、好きなように操れる、ということだろう。ならば、と。シャリアは早速試してみる。
「いでよ、鋼!」
ゴトンッ! と。
ギルドの訓練所であった床に一塊の鋼が落ちる。どこから見ても鋼であり、軽く蹴飛ばし、スカスカのハリボテではないと確認した。
ならば次は。ページを捲る。一章二項、変形。
思い出すは、かつて見たSランク冒険者の愛槍。鋼は細く捻じ曲がり、細く、鋭く、姿を変える。端から端まで細さは変わらぬものの、二本の鋼を捻って束ねたことにより強度を増している。ああ、こんなパンあるよなぁ、などと場違いなことを思いつつ、次なるステージへと踏み出す。
「私はこんな重たい槍など持てませんし……ならば、浮け!」
鋼の槍は思いのままに、シャリアの手元で浮かんで止まる。
標的、瓦礫。司令官にでもなったつもりで、腕を掲げて振り下ろす。
轟音。
暫くして、風で舞う粉塵が飛ばされた後に確認出来たのは、細かく砕けた瓦礫と、地面に刺さり球体のような形に圧縮された槍であった。
「鋼の強度が課題ねぇ。それと本数、速度」
軽く能力を検証した結果、シャリアは現状の戦闘スタイルを定める。
大量の鋼を用いて、圧倒的物量で叩き潰す。
小さな鋼の弾丸で、視認すらさせず射殺する。
鋼で壁や足場を作り、自分有利に場を作る。
本の後半には付与だなんだと書いてはあるが、それらは徐々に覚えるとして、まずは基本となる戦闘スタイルを身に付けよう。
次は今後の動き方だ。ひとまず冒険者になることは確定だろう。比較的自由に動け、各地を巡っても不審がられることもない。また、様々な魔物と相対するため、魔王討伐の為の特訓にもなる。
「王都は滅びましたし、隣国へ行った方が良さそうですね」
王族も一人残らず生き絶えたであろうこの国が復興することは恐らくない。精々隣国に吸収されるか、両隣の国による戦の舞台となるだろう。ならば早いうちに移動するのが得策か。
「夜は魔物の世界。さっさと移動しましょう」
対してこの国に愛着などなかった。目的のため、いや、目の前で見た残状を忘れたい為、少女は己にそう言い聞かせその国を立ち去ったのだった。