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「一生に一度のお願い」

「一生に一度のお願いだから──」


 病で自由に動けない体になってしまった彼女は、僕と僕の幼なじみと一緒に北海道のラベンダー畑へ行きたい、と言った。

 彼女のお願いをどうしても叶えたかった。無理を承知で医者や彼女の親にも相談した。

 誰も彼女の願いを否定しなかった。彼女の一生に一度のお願いを、叶えようとした。


 ただ一つ、運命を除いて。



 気づいた時には沢山の人が、彼女のベッドを囲んでいた。

 彼女の親と幼なじみは彼女の意識を呼び戻そうと必死に呼びかけ、医者は迅速に救命活動を行うが、臨床モニタのアラームが鳴り止む気配は無い。


 しかし、その時の僕は何もせず、その様子をただ見ている事しかできなかった。


 彼女の生を心の中で祈っていた訳ではない。彼女の事を信じて待っていた訳でもない。彼女の名前を呼ぼうにも、口から嗚咽が漏れるだけだった。

 何も考えられない、何も考えたくない。


 現実から目を背けた僕は、何もできなかったのだ。



 ──その後、彼女の臨床モニタが生命反応を示すことは無く、願いが叶うこともなかった。



 ◇ ◇ ◇



 誰も居なくなった放課後の教室。

 時刻はもうすぐ日の入りの時間だと言うのに、夕日が薄暗い教室を照らすことは無く、五月雨の雨音だけが静かに響いていた。


 別にどうってことの無い、雨の日の光景。でも僕はこの教室から見る、雨に打たれている紫陽花が特に好きなのだ。

 こんなに暗い世界の中で綺麗に咲き誇る花に、僕はいつだって見蕩れてしまう。


 それから暫く窓から景色を見ていた時だった。


陽翔(あきと)。ここに居たんだね」


 教室のドアが開く音がするのと同時に、誰かが可憐な声で僕の名前を呼ぶ。聞き覚えしかない声だ。あの時、僕の隣で彼女の名前を叫んでいた時と殆ど変わらない。

 振り返れば肩まで伸ばされた綺麗な黒髪と、少し幼くも見える可愛らしい顔をした幼なじみがこちらに手を振っていた。


「どうした?」


「部活が終わったから、一緒に帰ろうって思って」


「わかった」


 それから僕は少し体を伸ばし、カバンを背負って教室を出た。


咲妃(さき)

「陽翔」


 教室の鍵を閉めながら話をしようとすると、幼なじみの咲妃も声を掛けてくる。


「……そっちからでいいよ」


 そう言ってくれたのは咲妃だった。僕はその言葉に甘え、話しを続ける。


「来週の日曜日、雛の命日なんだが、咲妃は予定を開けてるか?」


「私もそれを言おうとしたの。私は大丈夫、陽翔は?」


 大丈夫だ、と返すと咲妃はじゃあ次は明るい話をしようよ、と切り出した。

 鍵を返し終えると、彼女は楽しそうに話し始める。最近あった授業中や部活中の出来事を、僕に面白おかしく話してくれる。

 その時の咲妃の顔はとても明るくて、眩しい。

 少し気持ち悪いかもしれないが、僕はそんな彼女を見るのも好きだ。


「ねえ、ちゃんと聞いてる?」


「ごめん、あんまり聞いてなかった」


 も〜、と言いながら顔を顰める彼女も、僕は好きだ。


 彼女がこうして僕に積極的に話してくれるのには理由がある。

 当時九歳だったが、僕にとっては耐え難い苦痛となったあの日の出来事。

 いつも遊んでいたのに、今はもう居ない。この先もずっと居ないという喪失感に、僕は心を少しずつ閉ざしていった。


 でも、咲妃はそうではなかった。

 それは決して咲妃が人を思えない、という訳では無い。寧ろ人情深い性格だ。

 おそらく咲妃には落ち込む事よりも、僕を励ます事を優先したのであろう。それに気づき始めたのは中学生になってからだった。

 彼女は僕を励まそうと、その日あった面白い話を会う度に話してくれた。僕はそれを聞くのが楽しみで。いや、それを楽しそうに語る咲妃を見るのが好きで。

 そしてこの好きが、異性としてのものだと理解したのは、一年も前の話だ。


「そういえば、もうちょっとでラベンダーの季節だよね」


「ん、そうだな。七月くらいが一番綺麗に見れた筈だ」


 僕は八年前に調べた、拙い記憶を辿って彼女に答える。

 そうだよね、と彼女は言うと、頬を指で掻きながらこんな提案をした。


「ねえ、陽翔。今度、二人で北海道のラベンダー畑、見に行かない?」


 正直、戸惑った。

 お互いもうそろそろ大学の進路を決めるべき年齢で、異性としての意識が一番大きく出やすい時期なのだ。当然、僕は少し意識してしまったし、それ以外にも色々理由はある。


「あの時、色々忙しくなって、結局行けなかったじゃない?それに夏に北海道に涼みに行くっていうの、嫌いじゃないでしょ?」


 彼女は微笑みながら言った。

 当然、ラベンダー畑は見に行きたいし、涼みに行くというのは嫌いではない。むしろ好きだ。故にこの誘いを断る理由は無い。


「勿論行こう。……雛にも感想を伝えられるといいな」


 しかし、ただ行こうと言えば良いだけのものを、僕は照れ隠しで言葉数を増やしてしまった。

 咲妃は少し暗い声でそうだね、と答えると、暫くの間二人の間で交わされる言葉が無くなった。


 少し気まずい帰路も終わり、咲妃の家の前に着くと、彼女は少し遠慮気味に口を開いた。


「来週の日曜日、雛の御参りをしてから陽翔の家で旅行計画をたてたいんだけど、大丈夫?」


「大丈夫だよ」


「約束ね」


 それだけを言うと、彼女は家へと入っていく。僕はそれを見届ける事なく、彼女の隣にある自分の家に入っていく。

 少し失敗をしたな、と思いながら自分の家の敷地を跨ごうとした時だ。


「陽翔!」


 家から出てきた咲妃が僕のことを呼んだ。その時の彼女の顔は、少し複雑な表情をしていた。


「あのね、お願いがあるの」


 それから彼女は少し目を伏せた。そして決心をしたのか、僕に向かってこう言った。


「ラベンダー畑の旅行の時は、私の事だけを見て欲しいの」


 青春真っ盛りの女子高生の、大胆なお願い事だった。彼女自身もそれを口に出すのは恥ずかしかっただろうし、苦労もしただろう。

 それでも彼女はまだ言葉を紡ぐ。


「雛の事を陽翔がずっと想っているのは分かってる。でも、旅行の時だけは、私の事だけを想って欲しいの。

 ──()()()()()()()()()だから」


 突如発せられた言葉をトリガーに、昔の記憶が走馬灯のように頭を駆け巡った。

 聞き慣れたはずの、使い古された決まり文句。雛が最期に言った、僕がこの世界で最も忌み嫌う言葉。彼女の一生だけを奪っていった、悪魔の言葉。それが彼女の口から零れたのだ。


 彼女も僕がこの言葉をどう思っているのか、知っていたのだろう。言う前に辛そうな顔をしていた。

 事実、僕は彼女が「一生に一度のお願い」なんて言うとは思わなく、彼女が顔を伏せて家へ去っていくのをただ見ている事しかできなかった。

 彼女があんな表情をする理由は分かっている。だからこそ、僕は彼女を励ます事ができた筈なのに。何かしてあげたい、と思っている筈なのに、体は感情の波に抗う事は出来ない。


 あの時と同じだ。僕は咲妃に、何もしてやれなかったのだ。



  ◇ ◇ ◇



「突然だが、昨日から源咲妃はアメリカへ引っ越した。本人があまり知らせたくなかったようなので、事後報告にはなったが、今後もメールやSNSで彼女と会話してやって欲しい」


 次の日だった。朝のホームルームで担任が咲妃は誰にも知らせずアメリカへ旅立った事を伝えた。

 昨日の事について、今度こそ咲妃の為に何かできれば、と思ったその矢先だった。


「そして松井陽翔。話があるので後で俺の元に来るように」


 先生が僕を呼び出すと同時にチャイムが鳴り、各々が次の授業の準備を始める。それを横目に僕は担任の元へ赴くと、担任は手早くこう言った。


「源から伝言だ。『約束は必ず守る』という事だ。お前にこう言えば伝わると言われたので、これ以外は聞いてない。以上だ」


 要件を伝え終わった担任は出席簿と授業の道具を持つと教壇を降りようとする。その時、僕は少し勇気を出して担任に聞いてみた。


「あの、先生。差し支えなければ、源がアメリカへ行った理由を教えてくれませんか」


 それから担任は特に出し渋ることも無く、いいぞと答えた。きっと咲妃がそうなるよう手を回していたのだろう。


「源は──しに行った」


 その言葉を聞いた時、僕は昨日のように暫く動けなくなった。

 担任は早く授業の準備をしろよと言って教室を出て行ったが、僕にそんな余裕はない。何故なら、担任は咲妃の言葉の意味を理解していなくて、彼女の過去を知らないが、僕はそれ知っているからだ。

 しかし、焦った脳はできている筈の考察を感情というものでひた隠しにする。

 当然だ。何故ならそれは、僕にとっては地球が破壊される事よりも酷な事なのだから。


 しかし時間が過ぎると同時に、頭も次第に冷え始め、改めて自分の考察と向き合う。


 もし。

 もし、咲妃の『一生に一度のお願い』が、雛の時と同じ意味を成すのなら。担任の言った通り、()()しに行ったのなら。


 だけども、今の僕に何かできるわけではない。

 ただ、彼女が約束をした来週の日曜日まで待つしかなかった。

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