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時の渡り人

 八割の諦観と、二割の焦燥。

 それが、現在私の胸にある感情のすべてだった。

 ――どうして。

 人気のない、学院の魔術学科棟で、私の五感は遠い悲鳴もかすかな煙の臭いも、すべて捉えていた。

 窓から見えるやや遠い王都の街並みは、いたるところから火の手が上がり、黒い煙が空を覆っていた。


 ――どうして、先生。


 私は私の仕事を、責任を持ってこなしていた。それは確かだ。だから全ての元凶とされた先生が処刑されたことでこの事件はもう終わって、魔族の侵攻が逼迫した案件ではなくなっていたと、そう思っていたのだ。


 だが、それは今日、何者かの手によって王都のすぐ横に魔法陣が現れ、魔族が一斉に王都に侵攻してきたことで、完全に覆された。


 絨毯に吸収されているはずの足音さえ聞こえるような、魔術学科棟の三階。その廊下に、ドアを開ける音が響く。

 それは、主のいない、物だってほとんどない、ほこりだけがその時間を体現している、そんな部屋。

 そして、私が一番大切に思っていた先生の居室だった場所。


 とても、懐かしい、香りがした。


 宙を舞うほこりによって出てきたものじゃない、感情に呼応した涙で視界がぼやけていく。部屋に唯一残された、先生が日々の休息に使っていた寝椅子に腰かけると、部屋のほこりも私の動きに合わせて動いていく。それと同時に、先生の匂いが、一層強くなった。この部屋に来るのはほとんど一年ぶりだった。


「せん、せい……」


 服が汚れるのも鼻が不快感を訴えてくるのも今はどうでもよかった。パタリ。寝椅子に倒れる。

 ――私の目の前に、鍵付きの本があった。

 勿論この部屋に無防備に残っていたはずもない。だから先生が私に向けて生前に仕込んでいたのだろう。だって、先生の部屋に入るのは、きっと私だけだ。そう思って、入れなかった一年を見なかったことにして、本を手に取った。


「備忘録……」


 本を裏返すと、思った通り、エドガー・オーストン・グレイと刻まれていた。

 先生のことだから魔術的な鍵だと思うけれど、解き方に心当たりはない。今は開きそうになかった。

 ある決心のもとに、私は倒していた体を起こす。ずっとここにいたかった。先生が長く過ごしたこの場所でなら先生の許に迷わず逝けるような気がしたから。でも、それじゃ、ダメなのだ。

 町を襲う戦火を放り出し、私一人だけ満足して死のうだなんて、先生はきっといい顔をしない。

 だって先生は――大罪人だと言われるけれど――私にとっては、尊敬できる師なのだから。それに、先生が本当に――ああ、そうか。

 法学科棟の最上階に向かいながら、簡単で、それでいて最悪な推論を思いつく。


「いったい何を……いや、どこから間違えていたんだろうなあ」


 きっと最初からというより他ないのだろうけれど、と自嘲しながら、それでもとめどなくあふれる涙をぬぐい、私は先を急ぐ。

 今日この時間帯にこの国で瞬時に動かせる軍は、平常時よりも少なかった。つまり事件の背後にそれを知る人物がいる可能性があるということ。

 ……それでも。

 どこかでは、信じていたのだ。

 この国はまだ大丈夫だと。


「……王宮が、燃えている……?」


 にわかには信じがたい光景を、たどり着いた屋上から呆然と眺める。

 王宮には何重にも結界が張ってあるのに。

 ああ、でも、奴らならあるいはそんな結界など一撃で粉砕せしめてしまうのかもしれない。だって、あり得ない――。


 誰かに否定して欲しかった。この国の人をこれ以上疑いたくないのだ。

 それでも王宮は燃えている。月の出る遅い時間まで陛下が執務をしておられる王宮が。

 もう、推論が真実だと考えるしかなかった。


 炎が、涙の膜の向こうで揺らぐ。にじみ、かすんだ赤い火は、まるでこの国を襲う獣の大群のように見えた。


 ――先生が死なない道もあったのかもしれないなあ。


 過ぎたことをいつまでも引きずっていてはいけない、なんてわかっているけれど、向き合わずに生きていた私に、清算することを強要しているのだと思った。

 魔力が暴走しかかっていることに気付いて、あわてて心を落ち着かせる。大切な形見の、胸のペンダントを掴んだら、先生が力を貸してくれているような気がした。


「シャーロット!」


 不意に呼ばれた名前に、肩が跳ねる。


「……ジョゼフ? どうしてここに? 陛下は? 無事なの?」

「ああ、送り届けたさ、この学院に。シャーロットもここにいたんだな」


 そう言いながら私の隣に立つ彼は、陛下の護衛をしているはずの知り合い。


「そっか……良かった」

「そうだシャーロット、街に向かって一つ大きいのを頼む。民はもう避難済みだからな」

「民も……そう」


 皆がすでに避難しているのなら、巻き込むことを恐れなくていい。ふとすれば箍が外れてしまいそうになるこの濁流を解放して、あの蛆虫どもに引導を渡せる。

 そんな思いでどうにか道を作り、無秩序だった魔力を導く。


「水よ! 王都から禍を消し飛ばして!」


 瞬間、体の周りを渦巻くように出現した水が際限なく掲げた右手の先へ向かう。大蛇のようにうねりながら街を覆った水たちの動揺が、私に伝わった。――遠い、爆発音。そして続く、たくさんの悲鳴。


「え、」

「はは、本当に馬鹿だなあ、シャーロット特殊兵殿は」


 それは、まるで、まるで、とても、たのしいように、歪んで――嫌な記憶と、緊張で、体がこわばる。


「ジョゼ、フ……?」


 私の意志に反して体から力が抜けていく。この感じは……魔力が、なくなっている?

 魔力が、使えない。何もできない。あの時と同じ。嫌。怖い。

 焦りと混乱で頭がおかしくなりそうだった。壊れそうだった。いっそ壊れてしまえばいいと思った。


「嘘だよ。全部嘘だ。君を生け捕りにして、ついでに “善良な” 市民を排除するための。宰相閣下は――いいや、我らが新王は、若く美しい女をご所望だからな」


 しかし、君の絶望した顔は面白いなあ……。そう嘯いたジョゼフの顔には変わらずあの笑みが張り付いている。


「い、つ、……いや、ど、して」

「さあねえ。君に教える義理はない。ああそうだ。君のおかげで邪魔なグレイも排除できたんだ。礼を言おう」

「な……!」

「あの愚か者は、あろうことかフィルマー陛下の意向に従わなかったんだ。だから陛下に具申した。奴はもういらないとね。アイツは自分の往生際の悪さに殺されたのさ」


 すべて、つながった。

 声を出して笑う目の前の男も、すべての元凶らしい宰相閣下も、魔族に魂を売ったのだと、もうあちら側に堕ちてしまったのだと、そうとしか思えなかった。今までジョゼフと交わした言葉は全て、きっと唯の虚構だったのだ。


 でも。


 ――つながった、けれど。


 ああ、もう、……手遅れだ。


 私が殺したようなもの、そう言っているに等しい。

 そうだ。

 先生は、先生は、もうここにはいない。私が殺した。私が裏切ったから、私を守ったから、先生は処刑された。

 先生の性格なんて、ずっとそばで見ていた私は知っていたのに。だから、先生が人を殺すなんてあり得ないって断言できたはずなのに。目の前の証拠に踊らされたのは、私だ。


「あ、ああ、あ、あああああああ――!」


 胸元を、強く抱きしめる。

 縋ったそれは皮肉なことに、先生からの贈り物。――パキリ、と小さな音がした。


 それからすぐ、ジョゼフの声も、顔も、おそらく私のせいで火の勢いがますます強くなってしまった王都の街並みも、感じられるものの全てが銀色の膜に包まれて遠ざかっていく。


 時空魔法の気配だと気が付いたのは、意識が闇に落ちていく寸前だった。


 ***


 草の匂いに包まれている。懐かしさと安心感を覚えていた。


「君、どうしたんだ」


 やさしいまどろみの中で、聞き覚えがある気がする声がした。一瞬で蘇ってきたつい先ほどの記憶がなくなってしまえばいいのになんて思いながら記憶を探る。……ああ、グレイ先生の声に似ているのだ。

 ここは一体どこなのだろう。あの世というやつなのだろうか。それにしては、妙に現実味がある。


「とにかく、先生のところに連れていく。後で怒るなよ」


 そう言って、抱き上げられる。浮遊感に驚きながら、されるがままになっていた。


「ただいま戻りました。先生、あの」

「ああ、グレイか。さすがに早いな。採集はできた……か……その子は」

「あり得ないほどの濃厚な魔力の中心で倒れていました」

「……ああ、言いたいことは分かっている。こっちだ。マーティン、マーティン! 急患だ、ちょっと来い!」


 グレイ、という呼称にまさかという思いが強くなる。


「雨? こんなに晴れているのに珍しいね。やあケネス、急患って彼女かい? ……これは」

「そうだがマーティン、私はアムハーストだ。公私は分けろといつも……いや、その顔を見るに彼女は危険な状態らしいな。グレイ、天幕まで運んでやれ。報告は後だ」


 マーティン、それにアムハースト。聞き覚えは、ある。


『――アムハースト校長、また死人が出ました。今度は、三人』


 ――ああ。


『エドガー・グレイ。チャールズ・マーティン他十余名の殺害、及び外患誘致の罪により、国王の命に於いてここに処刑を実行する』


 ――ああ、そうか。


 チャールズ・マーティン。ケネス・ナタニエル・アムハースト。二人とも学院の教師だ。加えて言うと、養護教諭のマーティンの怪死は学院での調査が始まるきっかけ。つまり、私が知る頃にはもう既に死んでいた人間だ。


 ……私は、時の渡り人になったのかもしれない。

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