停止世界の救世主
壁が迫っている。もう村人は一人も残っていない、俺もそろそろ出発しよう。
時の壁、ある村に発生した巨大な壁だ。時の壁に触れた物は時間が止まってしまう。俺の両親は壁に触れてしまい、静止した世界に閉じ込められた。それを、目の前で見た。
その壁はゆっくり、本当にゆっくり動く。徒歩の何百倍も遅い、しかし止まらない。何十年、何百年、何千年後かはわからないが、いつか世界中の時間が止まってしまうだろう。俗にいう世界の終わりだ。
俺は両親のような被害者を出さないよう、避難していない村や街を探しては避難を呼びかけている。
それに、俺の力を使えば壁に触れてすぐの人ならば救うことができる。だから、リスクのある時の壁の傍での生活を続けている。
「ほんと、意味わからねぇ」
小石を時の壁に向かって放る。壁にぶつかった小石は空中で止まり、じわじわと壁の内側に入っていく。いや、停止した小石を時の壁が飲み込んだのだ。石は動いていない。
時の壁に背を向けて、次の村を目指して歩く。俺にできることは、目の前の誰かを助けることだけだ。俺の力では全員を救うことはできないから。
* * *
三ヶ月後には時の壁に飲まれるであろう土地を歩き続けた。二年近く旅をしているので、壁との距離であとどれ程この土地に猶予があるのかがわかるのだ。
道中、村を見つけた。空っぽの村を二つ。誰もいない、食料だって残ってやしない。住民は随分昔に村を離れたらしい。
数日後、村を見つけた。今度は人がいる村だ。本来は見つからない方が良いのだろうが、人を見ただけで少し安心してしまった自分がいる。
「こんにちは」
「おお、旅人さんかな。何も無い村だけど、ゆっくりしていってくれ」
村に入り、村人に話しかける。大きな荷物や泥のついた服を見た村人は、俺を旅人と判断したようだ。
「ありがとうございます。この村の村長さんに会いたいのですが、家を教えていただけませんか?」
毎回同じことを言っている。村長さんに会いたいのですが、家の場所を教えていただけませんか。ずっとこれだ。
村長宅に行き、名を名乗った。『セノ』と。
「時の壁がすぐそばまで来ています、避難の予定はあるのですか?」
「近いうちに、王都へ移住するつもりなんです。危険だから急いで避難した方がいいとは思うんですけどね、皆どうしてもギリギリまでこの村に居たいと言い出しまして」
避難をしない村はこの理由が多い。村に愛着があり、最後の最後まで村に居座ろうとする。
村と一緒に死ぬ覚悟があるのなら止めるつもりはないが、そうでないものが大半だ。時間が経てば経つほど時の壁に触れてしまうリスクが高くなるので、長く居座られるのは困る。
「なるほど。あと三ヶ月ほどでこの村は時の壁に侵食され始めます。時の壁は少しでも触れたらアウト、助けられません。いつでも移住ができるようにという呼びかけをお願いします」
「……ええ。わかりました」
村人達が——とはいいつつ、この村長にも思うところはあるのだろう。少し悲しそうな表情をしている。
「それと、少しの間この村付近に住むことにします。誰かが壁に触れないよう、見守りたいので」
「構わないですよ。しかしお若いのに立派な方だ」
「いえ、そんな大したものじゃないですよ」
「ははは、フォトも見習って欲しいものですな」
「フォト?」
気になったので聞いてみると、村にフォトという娘がいることがわかった。少し危なっかしいところがあるという話なので注意人物として頭に入れておくことにする。
話は終わったので、外に出て村を眺めることにした。村は平和で、お年寄りから子供まで楽しそうに過ごしている。こんな平和な村でも後三ヶ月経ったら時が止まってしまう。
時の壁に触れてしまった人間の声を、今でも鮮明に覚えている。父と母は叫んだ、逃げろと。ある村の青年は言った、助けてくれと。
そのどちらも、俺は救えなかった。目の前で嫌だと叫びながら飲まれていく人間の悲鳴が頭から離れない。
あの時、力が宿っていれば助けられたのに。
日向ぼっこをしていると、子供が近づいてきた。知らない人に関わっちゃいけないと言われていないのだろうか。
「お兄ちゃん、だれー?」
「俺はセノ、旅をしながらみんなをあの壁から守ってるんだ」
西の空は灰色に染っている。時の壁の向こう側は時が止まり、色が消えた世界が広がっている。
「壁?」
「あれなにー?」
集まってきた村の子供達に時の壁について説明してやった。とにかく時の壁は危険なんだと言い聞かせることにより、子供を時の壁に近づけさせないようにするという作戦だ。子供は聞き分けがよくて助かる。
「おーい! みんな何してるの?」
「あ、フォトお姉ちゃん」
フォトお姉ちゃんと呼ばれた赤髪を方程ま伸ばした少女は、子供達の間に入り俺の顔を見た。不思議そうな顔をした後、子供に俺について聞く。
「この人は?」
「セノお兄ちゃん、旅人なんだって」
ああ、この少女が村長の言っていたおてんば娘か。確かに、活発そうな雰囲気がある。
「あたしはフォト。よろしくね」
「セノだ。村長から話は聞いてる、危なっかしい奴だってな」
「むぅ……まあいいや。旅人なんだっけ? 旅の話とか聞かせて欲しいな」
「別に構わないけど……」
旅の話、少し思い出してみたが、あまりいい思い出はない。今までに会った変わった村人の話でもしようかな。
「おーいガキ共、飯の時間だよ」
大きな建物から小太りの女性がフライパンを持ちながら出てきた。気づけば空は夕焼け、もうそんな時間だったか。
「はーい! またねお兄ちゃん!」
「またねー!」
「おーう、行ってこい行ってこい」
いい子達だ。俺はやりたいことがあったらそっちを優先してしまう子供だったな。ほんと自分のことばっかりだった。人のことなんてほとんど考えてなかった。
「急に静かになっちゃったね。ねえ、行くとこないならうちで食べていかない?」
「いいのか?」
「もちろん。旅の話、聞かせてね」
ひょんなことからフォトの家で夕食をとることになった。しばらく野宿だったため、家の中で食事ができるのはとても嬉しい。
フォトの家に入る。綺麗な木造の家だ。
「少し待っててね、今パンを持ってくるから。……うわぁっ!」
フォトが何も無いところでコケた。急ごうとして自分の足に引っかかったのだ。村長の言っていた危なっかしいところが垣間見えた気がした。食べ物を持っていなくて本当によかった。
「そんなに急ぐなって」
「あ、あはは……」
パンにベリーのジャムをつけて食べながら、俺はこれまでの旅の話をした。拠点を転々としながら旅をしていること、その旅を二年近く続けていること。
こんな話をして面白いのかは俺にはわからない。でも、フォトは面白いと言ってくれた。俺は話を続けた。
自分ばかり話をするのもアレなので、俺はフォトに話を振ることにした。家に入ってから、いや、家に招かれた時から気になっていたことを。
「フォトの親御さんは今どこにいるんだ? 仕事か?」
「……わからない。私、捨て子だから」
捨て子、この村の誰かに拾われたということだ。親が誰なのかもわからない赤子。俺自身も何人かの捨て子を村に預けたことがある。
無神経なことを聞いてしまった。最低だな、俺。
「それは……ごめん、無神経だった」
「ううん、家に私一人だったら誰だって気になるんだから仕方ないよ」
気まずい雰囲気が流れる。重い空気から抜け出すために、話題を変えることにした。
「明日、何か予定はあるのか?」
「明日はね、ベリーを集めにいくの。ほら、ジャムがなくなっちゃったでしょ?」
リンゴンベリーのジャムは今回の食事で全て使い切ってしまった。リンゴンベリーのジャムはどこの村でも重宝されている、保存がきくので冬を越すには必要不可欠な食材だ。
「悪いな、俺のせいで減っちまって」
「全然全然、全部使い切れてちょうどよかったくらいだもん」
優しいんだな、フォトは。
家に泊まっても良いということで、お言葉に甘えて泊めてもらうことにした。何から何まで甘えてしまったな。明日、何かしらお礼をしようか。
* * *
目を覚まし、空を見る。この日は雲が多い。空が覆われていると時の壁を視認しにくくなるから、俺は曇りが苦手だ。
かなり長く寝てしまったようだ。野宿ではやはり疲労が取れないのだろう。
村の広場に行くと村人が集まっていた。この人数は、全員だろうか。いや、少し足りないか。村長がいたので、状況を聞く。
「どうしました?」
「ああ、セノさん。移住の話をするために村人を集めたのですが、数人の子供達が見当たらないのです……」
「子供たちが……?」
集まっている子供を確認する。少ない、昨日はもっといたのに。それに、フォトもいない。
そういえば、昨日フォトがベリーを採取しに行くと言っていた。なら、ここで待っていれば戻ってくるはずだ。そう村長に伝えた後、念の為時の壁を見に行く。
「セノお兄ちゃん!」
小走りで時の壁に向かう途中、向かいから子供達が走ってきた。よかった、無事だ。……ベリーを取りに行ったはずなのに、子供達の手にはカゴが見当たらない。
それに……。
——フォトがいない。
「よかった! フォトは?」
「フォトお姉ちゃんが……フォトお姉ちゃんが……!」
「あの壁に触っちゃって、動けなくなって……」
その言葉を聞いた瞬間、俺は全力で時の壁目指して走り出していた。