ツンデレパンデミック
朝起きると、目の前に母さんの顔があった。
「ハアハア。おはよう、悠人」
「うわあああ!?」
僕は慌てて立ち退こうとして、ベッドから転がり落ちる。
いたた、なんて言いながら見てみると、先ほどの光景は夢ではなかったらしく、ベッドには母さんが。
「母さん何やってんの!?」
「何って……」
母さんはベットから起き上がると、
「起こしに来てあげたんじゃない。ここまでしてあげてんだから、感謝しなさいよね」
「だからって息子のベットに潜り込む母親がいる!?」
なんかハアハア言ってるし、めちゃくちゃ気持ち悪いからね!? 言わないけど!
というかなんでツンデレみたいなこと言ってんの!?
「それより、いいの?」
「へ……?」
「もう八時過ぎよ?」
「えっ!?」
僕は、慌てて机にあったスマホで時間を確認する。
「うわあああ!? 寝坊したあああ!?」
もう遅刻寸前じゃん!? 皆勤賞もらえなくなったらどうしよう!?
何当たり前のこと言ってんの? とでも言いたげな母さんをスルーして、僕は大急ぎで制服に着替える。そのままカバンを手に階段を駆け下り玄関へ。
「ああ、もう! 行ってきます!」
「ちょっと待った。これ、お弁当よ」
「ああ、ありが……と、う?」
いつの間に用意したんだろう。母さんからお弁当受け取ると、妙にふわふわな触り心地。
不思議に思って見てみれば、渡されたのは一斤の食パンだった。
何にも包まれてない、一斤丸出しの食パン。
……これを持ってけと!?
「安心して。食ぱんの中は私の愛がたっぷり入ってるわよ」
「それのどこに安心する要素があるのさ!?」
って、こんなことしてる場合じゃなくて!
僕は渡された弁当もどき(食パン)を玄関に置いて、
「とりあえず行ってきます!」
「べ、別にあんたのために一斤も取っといたわけじゃないけど、持ってってくれるなら持ってってくれても──」
言いたいことはあったけど、そこをぐっと我慢して僕は家を後にした。
やっぱり、やけに母さんがツンデレっぽくなってる気がしたけど、気のせいだろう。いや、絶対に気のせいのはずだ。というか、気のせいってことにしとく!
「ああ、もう全力で走ってもギリギリだよ……」
なんて愚痴りながら、僕は全速力で学校へ向かった。
☆☆☆
一通り授業が終わって昼休み。僕は自分の机に突っ伏していた。
「やっと終わった……」
あの後、全力ダッシュの甲斐あって遅刻することなく学校に着き、僕の皆勤賞は守られた。代わりに、今日の体力が犠牲になったけど。
それでも皆勤賞のためなら安いものだ!
なんて一人でホクホクしていると、ガラリと扉が開いた。見てみれば、ゴリラのように巨体な動物──こほん。ゴリ先生が教室へ入ってきた。
ゴリ先生というのは、本人公認のあだ名だ。呼ばれると嬉しそうな顔をするし、このあだ名意外と気に入ってるのかも、とは最近の噂だ。
けど、ゴリ先生なんでこの教室に? まだ昼休みだし、特に用事とかなさそうだけど……。
「ああ、いたな羽島」
ゴリ先生は僕を見つけると、ドスンドスンと床を鳴らして、なぜかこちらへ向かってきた。
え、何ごと!?
「羽島。今朝は大変だったようだな」
「へ? あ、はい」
妙にすごみのある表情。
「体は、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です、けど……」
ゴリ先生は軽く頷き、急に黙り込んだ。
何をしたいのか分からず、素っ頓狂な反応しかできない。
「つまりその、だな」
すると、ゴリ先生は顔を真っ赤に染め上げて、
「これからも寝坊しないように、これでも食べて体力を付けるといい」
プロテインを渡してきた。
ずっしりと重い。多分一キロは軽く超えてる。
「お、俺の愛がたっぷり……ああ、いや。なんでもない」
何言ってんだこのオスゴリラ。
おっと、危ない危ない……気持ち悪すぎて口に出すところだった……。
「た、ただし! 遅刻したらタダじゃ済まないぞ。その時は二人きりで一日かけてみっちりと、指導してやるからな」
「は、はいぃ!」
絶対に遅刻なんてしないよう気をつけよう……。
しかし、なんだろう。ゴリ先生のこの反応。ゴリ先生はもっと無愛想だったはずだ。
さらに妙なことに、誰が見ても明らかにおかしいであろう行動をとるゴリ先生を見ても、周りの生徒は何も言わない。まるでいつもと同じ光景だ、とでも言わんばかりに。
「用事はそれだけだ。……それ、別に食べなくてもいいからな」
用事はそれだけだったのか、ゴリ先生やけに悲しそうな顔でそう言い残し、教室を後にした。
……そんな悲しそうな顔で言う?
ともかく、おかしいところしかなかったけど、これでようやく落ち着ける。
ふう、と気を抜いたのも束の間。再び扉が開き、
「羽島君はおるかの? べ、別に何か用ってわけではないのじゃが……」
今度は校長先生が教室に入ってきた。って、また僕に用事!?
……いや、よく見たらその後ろにも何人か。
最近来たばかりの教育実習生に、学校一有名な完璧美少女、購買部のおばちゃんまで!?
な、なんだろう。さっきのゴリ先生の件もあって、嫌な予感しかしない……。
『そ、その遅刻しそうって聞いたから様子を見に……じゃなくて! ちょっとストレスが溜まったからサンドバックに!』
『べ、別に心配とかじゃないけど、調子が悪いって聞いたから来てあげたのよ! 感謝しなさいよね!』
『キュキュ、キュッ!(俺の愛おしさに溺れさせてやろう! さあ、存分に愛でるが良い!)』
って、今気付いたけど、学校で飼ってるウサギのキーちゃんまでいるじゃないか!? もう異常事態どころじゃないよね!?
って、待て待て待て、待ってくれ! あの人たち全員の対応するの!? 冗談じゃないぞ!?
なんて心の中で愚痴っているうちに、僕目当てであろう人たちがぞろぞろと入ってくる。
そして今にも僕に話しかけようとした、次の瞬間。
──ピンポンパンポーン
『一年D組の羽島悠人君。至急化学室に来るように。繰り返します。一年D組の──』
だ、誰だかわからないけど助かった! たとえ叱るための呼び出しだったとしても、あんなの相手にするより百万倍マシだ!
「で、では呼び出しがあったようなので、僕はこれで……」
「ぬう……わしらのことよりも呼び出しを優先すると言うのか……?」
いや、当たり前でしょ。
「わし、校長なのに……」
……。
さ、さーて。呼び出しはどこだったかなー?
「まあよい。早く行くが良い。け、決して! 羽島君の評価を気にしているわけではないからの!」
……なんでそれ普通に言わないんだろう。
なんて思いつつ、未練がましい視線を尻目に、僕は一目散に教室から逃げ出した。
あんな居心地の悪い場所居られるか!
『……帰ってきたらサンドバックじゃ済まさないんだから(ぐすん)』
『せっかく百万円持ってきてあげたのに……』
『キュ……(けっ、使えないやつだぜ。べ、別に悲しくなんかねーけどな!)』
ふははは! そんな残念そうな声を出しても……ってちょっと待って。今百万円って聞こえてんだけど!? めちゃくちゃ欲しんだけど!?
けど、今更引き返すのはカッコ悪いしなあ……。
そうだ、次。次こそはちゃんと対応しよう! 別に百万円なんかのためじゃないけどね!
……それにしても、今日は一体どうしたんだろうか。みんなの僕に対する行動、どうも不可解だ。
母さんにゴリ先生。校長先生やキーちゃんもそうだ。
母親、教師、それと動物?
僕たちはごく普通の関係だったはず。間違っても、あんなツンデレ みたいな言動をされる間柄じゃあない。
考えてみて、やはりどこかおかしい。
が、いくら考えても原因などわかるはずもなく。いつの間にやら化学室の扉が目の前に。
ひとまず考えるのは後だ。まずはこの呼び出しを済ませてしまおう。
「失礼しまーす」
部屋に入ってすぐ目に入ったのは、百二十センチくらいの髪の長い幼女。純白の白衣を着て椅子の上に立っているが、サイズが大きいのか白衣の裾が地面についている。
そして、一際目を引くのは顔につけている奇妙な仮面。のっぺりとした真っ白い仮面に、亀甲縛りの柄が書いてある。
こんな小さい子の趣味がSM? 冗談だよね……?
「よぉーく来てくれましたね、悠人さん!」
「え、えーと……迷子になっちゃった?」
「ち、ちがわい! 私はここの生徒だ!」
って、ほんとだ。仮面に気を取られて気付かなかったけど、普通より二サイズくらい小さいうちの制服を着てる。
「それで。君、お名前は?」
「こ、子供扱いするなあ! ……こほん。私の名前は……そうですね。ミスXとでもしておきましょう!」
「はあ、ミスXちゃん……?」
この子、怪しさしかないんですけど。
「今日、あなたの周りで変なことが起こりませんでしたか?」
「変なこと……?」
めちゃくちゃ心当たりある。というか、心当たりしかない。
「ずばり! 今、あなたを中心に『ツンデレパンデミック』が起こっているのです」
「ツンデレ、パンデミック……?」
こうして、僕はいかにも怪しそうなミスXと名乗る幼女に、変な宣言をされたのだった。