ファイルNo.2 真夏の夜の夢 40
愛美は、サイドボードの下に、白い陶器の花瓶があったことを思い出して、薔薇をそこに生けることにした。
紫苑に、花瓶に水を汲んでくれるように花瓶を差し出しながら、
「巴君は、少し前まではここによく来てたんだけど。忙しくなったのか、最近全然顔を見せてくれないの。寂しいな、なんて。まあ、昨日も綾瀬さんの所で会うには会ったんだけどね」
紫苑が微笑みを浮かべて、少し茶目っ気を含んだ調子で言う。
「私に会えないのも、寂しいと思って戴けていましたか?」
愛美が頷いて、水の入った花瓶を受け取ろうとすると、横から東大寺が手を出した。
東大寺が、寂しいなんてもんちゃうかったでと、力んで答える。愛美が声を上げて笑った。
東大寺の場合、紫苑に会いたいと言うより、紫苑の作る料理にこの上ない愛情を寄せているのは、分かり切ったことだ。
紫苑は、それはどうもとすげない返事を返した。愛美も東大寺ももう聞いてはいない。
「あいつがここに用があるなんてこと、ない筈やけどな。愛美ちゃんが来る前、俺がここに住んでた頃かて、俺が嫌われとることもあるやろうけど、殆どきてへんかったしな」
愛美は、花束を包んでいたセロファンの上でバラすと、鋏で余分な葉を落として、水の入った花瓶に差していく。
「そう言えば、最初の頃はあんまり来なかったような?」
手を止めて考えている愛美をその場に残し、東大寺はまたキッチンカウンターの方に戻っていく。
落ち着きがない。
空腹を持て余しているのだろう。
そう言えば、愛美がここで暮らすようになって十ケ月にはなるが、巴とここで顔を合わせることは滅多になかった。
長門に用があるのだと言って来たのが、一度か二度あっただけ。ちょくちょく顔を出すようになったのは最近のこと。
それも、東大寺が関係した『パンドラの匣』のゲームの件があった前後からだ。ごく最近のことと言っていい。
「来て、ここで何しとんの?」
愛美は、花瓶を少し離れて見て、軽く茎の流れを整えた。薔薇の花は三十本はあるだろう。
一本五百円で計算しても、幾らになる?
(ええっと、一万五千円か……!?)
(一万五千円!)
後でドライフラワーにして、とっておこうと愛美は思う。恋人や婚約者でもあるまいに、こんな高価なプレゼントをもらうことなど、これから一生涯ないだろう。
豪華絢爛で華やかな花は、マンションのシックな調度によくあっている。
「何って、巴君は真面目に宿題してるし、終わったら一緒に夕食にしたり。ただそれだけよ。姉弟ごっこみたいで、なんかホッとするの」




