ファイルNo.2 真夏の夜の夢 33
〈キク>くどいようだけど、トモエってなんでつけたの。初恋の女の名前とか?〉
時間も食うが、最近顔を出し始めたメンフィスとどっこいどっこいと言ったところだろう。巴が知っている中で、一番うまいのは誰だろうか。
フジタさんはパソコン歴は長いが、サイファーが一番だ。勿論自分と、そしてもう亡くなった巴の師匠を除いての話だが。
女の子は結構時間をとる。でもうまい子は滅茶苦茶にうまい。アネゴンがそうだ。OLだと言うから、パソコン慣れしているのだろう。
〈トモエ>名字がトモエ、巴御前の巴〉
いつも説明する通りに答えた。
〈キク>巴午前?〉
〈トモエ>おーいー?ww〉
〈キク>くっ、御前〉
変換に思わず苦笑する。
初めて巴御前の名を聞いたのは、小学校に入ったばかりの頃だった。
入学式の後、クラスで生徒の名前を名簿で読み上げながら、女の担任は巴の名のところで一旦読むのを止めた。そして、いい名字ねと呟いた。
先生は少し口ごもって考えた後、昔の女のお侍さんに巴という人がいたのよと言った。
子供にも分かるようにとの配慮だったのだろう。
二、三の騒がしい男児が、女の侍なんて変なのと口々に言った。
子供は無知だからこそ、残酷という意味も知らない。無知は無恥だ。
先生は、無関心そうにしていてその実、動揺している巴をひどく悲しげな瞳で見た。
自分の不用意な言葉を恥じているようだった。
巴はそれから暫くの間、当然のこととして名前のことでからかわれた。その担任は、二ケ月後、妊娠を理由に教職を退き副担が穴を埋めた。
もしあの先生がずっと担任であったなら、巴も少しは違った子供になっていたかもしれない。知能指数ではなく、巴を巴として見ようとした唯一の教師だから。
いや、付き合った期間が短かったから、そう思うだけかもしれない。もう、名前も忘れてしまったが。
〈トモエ>知らない? 平安末期の女武将が巴って言うんだ〉
これもまた慣れた説明である。
慣れ過ぎてうんざりするとともに、そう軽々しく言われたくない名ではあった。あの人を思い出すから。
〈キク>何それ。そんなん授業で出たかな。〉
画面に文字が現れるのを、根気よく待つ。そして、
〈トモエ>授業ではやんないと思うけど、一応有名な話だぜ。木曽義仲の愛妾の巴御前って〉
一気にそこまで打ち上げて送る。
巴御前と言えば、有名な話ではある。木曽義仲と共に、戦場に打って出た勇猛果敢なる美しく聡明なる半伝説の女武将だ。




