ファイルNo.2 真夏の夜の夢 29
コップの液体は三分の一ほど残っている。あまり酒の強い人ではない。
乱れた髪を直すでもなく、顔を起こした母親は、投げやりな言葉を巴に投げかけた。
「食事はしたの?」
目が赤い。
泣いていたのか、それとも酔っている所為か。仕事で嫌なことでもあったのか。
母は、綾瀬より少し年上なだけだろうが、仕事の疲労が彼女を老け込ませていた。
嫌なことがあって一人で台所で酒を飲みながらなく母は、我が親ながら醜いと思う。
巴はそんな感情はおくびにも出さず「ええ」と答えて、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルをとり出した。
「おやすみなさい」
――ええ、おやすみなさい。
母は疲れた声を出した。
子供として巴には自分を気遣って欲しいのかも知れないが、そんなものしてやる義理はない。
母は、巴に自分のイメージを押しつけ、そして与えられないことで落胆する。
欲しがるばかりで、そして自分でもそれが正当な要求ではないと分かっているから、両親は巴に何も言わない。
何も言わなくても、言わないことで巴にプレッシャーをかけていることは気付いていない。
キッチンを出る際、振り向くと母親はまたテーブルに頭を落としていた。
(あなたは何も知らずに、自分のことで精一杯になっていればいいんだ。今更、親子ごっこなんて馬鹿らしいだけだもの)
クーラの利いた自分の子供部屋に戻ると、ホッとした。
キッチンには、夏の熱気と母の香水と酒の臭気がこもっていて、巴を肺呼吸のできない陸にあげられた魚に変えた。
ようやく水に帰された気分だ。
部屋の電気を消すと、パソコンの画面だけが白く光っていた。その光は、室内を薄ぼんやりと照らしている。
水槽の中にいるかのようだ。
巴は、二件のメールに気付いた。一通は、フジタさんから。
お早うだと? 今、どこにいるのだろう。海外出張先ははっきり聞いたことがない。
巴は、返事を書こうとしたが、もう一通に先に目を通すことにした。もう一通は、キクだ。
〈就職がないなら大学って言うより、勉強したい奴が大学行くって言うのが本当だよな。でもさ、あんたは勉強したかった? それとも親とか教師とかに言われて、進路決めた訳。今やってることって、本当にやりたいこと?〉
巴はヒヤリとしたものを感じた。
常々感じていること。いや、考えないようにしていることを、こんなふうに言われると、自分と比定して考えてしまう。
別に、巴の現状を知っている訳ではない。
思春期の青少年が、進路や未来のことで悩むというあれだ。




