ファイルNo.2 真夏の夜の夢 9
「そうですよ。例え水鏡に何が映ろうと、パンドラの箱の中に何があったとしてもね」
愛美は、自分を引き合いに出しているのか、言葉に迷いが見られた。
自分なら、果たしてどうか。それは、なってみなければ分からないだろう。しかし、愛美なら…… 。
二人の会話に、巴が立ち入ることはできない。
巴は透明人間なのだ。この場にいる存在意義は皆無だ。
「色々考えられて良かったんかもな。いつかは向き合う必要があったんや。妹のことだけやなく、妹が死んでから俺がやったこと、やらんかったことを見据える時がな。はっきり言うて、苦しかった。嫌気さして死にたくなった。もう死んでもええと思った時、声が聞こえた。俺を必要としている人の声が聞こえた。こんな俺を、そのまま受け入れてくれる人の声がな」
ランドセルを背負い二人に背を向けた巴の肩が、いつも以上に小さく見えた。
愛美は、すっかり東大寺の言葉に心を奪われている。巴の姿はもう目に入っていないようだ。
そして感慨深げに言った。
「人って繋がってるんですね。私は、あの時、私は私だと言ってくれた紫苑さんによって救われて、それを東大寺さんに繋ぐことができた」
ちょっと自意識過剰かなと、茶目っ気たっぷりに首を傾げながら、愛美は付け加えた。自分の言葉に、自分で照れているらしい。
東大寺も、いつもの不真面目さはどこへやら、人の胸を打つ相槌を返した。
「俺だけやなく、他の人にも届いてる筈や。俺らもさ、色々な人に支えられて生きとるんや。同じように、それを他の誰かに伝えていかなな。そうやって人は繋がっていくんちゃうかな」
東大寺の声を聞きながら、巴は、そっとダイニングの扉を閉ざした。
繋がりは希薄な方がいい。必要最低限に人と関わるだけでいい。これまでもそうだったように、これからもそれは変わらない。
巴は、例えようもなく一人だった。
*
巴の家は、都心から離れた所にある。ほんの申し訳程度の庭がついた、二階建てだ。それでも中流の家庭には高価な買物であることに、代わりはない。
巴は、首からさげた鍵で、ドアを開けて中に入る。
人気もなくシンとした家、両親は共働きで夜遅くまで帰ってこない。
台所の冷蔵庫からミニペットボトルの水をとり出して、二階の自分の部屋へと上がる。
そこで初めて、巴は自分が家に帰ったと実感する。
いの一番に机の上のパソコンの電源を入れるとともに、リモコンでクーラーをつけた。




