ファイルNo.1 パンドラボックス 58
――私は、これからもお兄ちゃんと一緒に生き続けるの。たとえ会えなくても。だから、お兄ちゃん。目を覚まして。もう二度と、千尋の為に死のうと思わないで。そんなのでお兄ちゃんが死んだって、千尋は全然嬉しくないんだから。
千尋と言うのが、東大寺の死んだ妹の名前だということは、巴は、東大寺がSGAに入るに当たって調査済みで知っている。
愛美は懇願するように、東大寺に語りかけた。
そして一息吐くと、今度は先ほどとはうってかわった静かな調子で、東大寺の耳許にゆっくりと囁きかけた。
――東大寺さん。目を開けて、あなたを待っている人がいる。あなたを必要としている人がいる。ここがあなたの生きる場所よ。目が覚めたら、お早うって言って。それはただいまと同じ意味よ。戻ってきて、東大寺さん。
暫く何の反応もなかった。巴はそれで当り前だと思った。そんな言葉だけで、東大寺が目覚めたらそれこそ奇跡だ。
巴が溜め息を吐こうとしたのと、愛美が立ち上がったのは同時だった。そして、お早うと、東大寺に向かって言ったのだ。
長い間声を出していなかった為に、東大寺の声は潰れていてとても聞きとりにくかったが、東大寺は確かに何か答えたようだった。
お早うと言ったらしい。
巴は目を見張って、愛美を見ていた。
愛美は小さな子供に言い聞かせるように、東大寺に二言三言言った後、巴を振り返ってウィンクして見せた。
「ハッピーエンド」
その瞬間、巴は疲れが一気に出て、目も開けていられなくなった。瞼に鉛を仕込まれたような感じとはよく言ったものだ。
徹夜には馴れていたが、いつもと違って、気分がずっと昂ぶっていたのだ。それから後は、さっき言った通りだった。
エレベーターで二人っきりになった巴は、数日前のことを思い出しながら、やはり合点のいかないものを抱えていた。
東大寺が目覚めたことは、勿論よかったが、どうして愛美が話しかけただけで目覚めることができたのだろう。
それほど、凄い言葉の魔術を使ったようにも思えない。
「お姉さんは、超能力者にも負けない催眠術師ですか。それとも女優かな。迫真の演技でした」
愛美も、誉められると満更でもないらしい。照れ臭そうに笑っている。
でも愛美自身は、演技をしていたつもりはない。
東大寺に話しかけている時は、本気でそう思っていた。
「東大寺さんが目を覚ましたのは、ただ単に、死ぬ理由がなくなったからよ。人はね。弱いけど、強い生き物なの」




