お茶会
目を覚ます。閉め切ったカーテンからは朝日が漏れていて、少し眩しい。今日は休日で小学校も休みだから、もう少し眠ろうかな? 私は寝返りを打つ。
カサリ。
「ん?」
枕の下から紙が擦れる音がする。寝る前に何かを入れたという記憶もない。こういう場合は考えるより調べた方が早い。私は枕の下に手を突っ込んでゴソゴソと探る。
「お手紙?」
枕の下から出てきたのは、白い封筒だった。封はされていない。中をそっと確認する。中には淡い水色のカードが入っていた。カードに何かつけているらしく、花の香りがふわりと漂う。
『本日ティーパーティーに御招待』
「ティーパーティー?」
たった一文だけ書かれたカードを見て、私は首を傾げる。文章的に招待状なのだろう。だが、時間と場所が書かれていない。これでどうやって行けば良いんだろう? でもなぜか直感的にこのティーパーティーには行かなくてはいけない、そう思った。取り敢えず、タンスの中から一番よそ行きの白いワンピースを選び、身支度を整える。
お父さんとお母さんは休日も仕事だから、リビングに誰もいない。もう何年も続けている生活だけれども、やっぱり少し寂しい。テーブルの上にラップをかけて置いてある朝食を片付けて、私は行ってきます、と誰もいない家に小さく呟いて外を出た。
さて、これからどうしようか? とか考える暇もなかった。
「撫子様、お待ちしておりました」
家の門の前にぬいぐるみの熊の頭をした、スカート丈の長いメイド服を着た女の人が立っていた。メイドさんは丁寧な口調で私に挨拶をして、深く一礼をする。私もメイドさんにつられるように慌ててピョコンとお辞儀をする。
「あ、あの、この招待状の人ですか?」
私がワンピースのポケットから水色の招待状を出すと、メイドさんは大きく頷いた。
「左様でございます。お嬢様が心待ちにしておりますよ」
"お嬢様"! なんだか素敵な響きだ。この招待状をくれた人は一体どんな人なんだろう?
「それでは失礼いたします」
メイドさんの手が私の瞼を覆う。メイドさんの手はひんやりスベスベしていて気持ちが良かった。でも、なんで急に目隠しを?
「あ、あの……」
「到着いたしました」
私が質問をするより早く、目隠しが外される。それより、到着したって……? 私は家の前から一歩も動いていない。私は恐る恐る周囲を見渡す。
「えっ!?」
私は見慣れた住宅街の中ではなく、静かな手入れの良く行き届いた庭園の中に立っていた。庭園には見たことのない木が色んな形に剪定されていて、花は咲き乱れて良い香りが充満している。花に誘われて来た蝶も見たことのない種類ばかりだ。そんな庭園の一番奥、白い花を沢山咲かせた木の下に"お嬢様"が立っていた。彼女はとても綺麗で気品漂う人だった。年齢は正確には分からないが、まだ二十歳にはなっていないだろう。金色の髪を前髪は目の少し上で切り揃え、巻き毛を右側の低い位置でくくっている。目は大きく透き通った色をしていて、睫毛は長すぎて影を落としている。ドレスもレースやフリルがふんだんに使われた、彼女によく似合うデザインの鮮やかだけど上品な赤色のものだった。
「お待ちしておりましたわ」
"お嬢様"は私の元に駆け寄ってくると、わざわざ膝を地面について目線を合わせてくれる。
「あの! お、お招きいただき誠にありゅっ、ありがとうございます!」
"お嬢様"に失礼があってはいけないから、テレビや本からの知識を掻き集めて、最大限丁寧な言葉でお礼を言う。ちょっと噛んでしまったのは仕方がない。だって綺麗な彼女に緊張してしまったから。そんな私の一杯一杯な様子に彼女はクスクスと笑う。
「そう固くならないでもっとリラックスして下さいな。ああ、そうだわ。私の事はローザと呼んで下さい。撫子様の事も撫子ちゃんと呼んでよろしいですか?」
「う、うん……ローザ、ちゃん」
彼女を呼び捨てになんて出来ない。ちゃん付けで呼ぶと、彼女はそれはそれは嬉しそうに柔らかく微笑んだ。
「お嬢様」
「ええ。では撫子ちゃん、行きましょうか」
熊の頭のメイドさんがローザちゃんに声をかけると、彼女は私の手を引いて薔薇のアーチがいくつも連なった道を歩く。
「わあっ……!」
アーチを抜けた先にはお茶とお菓子が並んだ白いテーブルと椅子が置いてあった。
「さあ、ティーパーティーを始めましょう?」
そこからは夢のような時間だった。まるで映画に出てくるようなティーセットに美味しいお菓子。ビードロの笛を吹いたり、色々な遊びをしたけど、一番楽しかったのは、ローザちゃんとのお喋り。彼女は聞き上手で話し上手だった。彼女のお話はどれも聞いたことのないもので、面白かったし、私の話も楽しそうに聞いてくれた。その頃には私も彼女も随分砕けた口調で喋れるようになっていた。
それにしても、一つ疑問が残る。
「ねえ、ローザちゃん。なんで私なんかをここに招待してくれたの?」
別に私じゃなくてもよかったんじゃないだろうか? 私みたいな子供じゃなくて、もっと大人の可愛い人の方がローザちゃんにお似合いだろう。
「撫子ちゃん。私は撫子ちゃんを一目見て、貴女が良いと思ったのよ。誰でもない、撫子ちゃんが」
ローザちゃんが両手で私の顔を挟んで、優しい声でそう言ってくれた。優しく、何度も何度も繰り返し。こんな風に"私"だけを見てくれたのは彼女が初めてだ。誰でも良い、とか思ってしまった私はなんて馬鹿なんだろう。
「…………ローザちゃん、ありがとう」
「お嬢様」
どうやら楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまうらしい。メイドさんがティーパーティーの終わりの時間を告げに来る。
「あら、もうそんな時間なの? 撫子ちゃん、今日はありがとう。……撫子ちゃん?」
お別れの挨拶をしようとするローザちゃんのドレスの袖を無言でぎゅっと握る。
「帰りたくないよ……」
いつも一人ぼっちでいるあっちと、私を見てくれるローザちゃんがいるこっち。どちらが良いか、なんて考えるまでもない。それに私はローザちゃんの事を……。そう告げると、彼女は困ったような、嬉しそうな、何とも言えない顔をした。
「撫子ちゃん、私だって貴女ともっと一緒にいたいわ。でも、駄目。ここはまだ子供の撫子ちゃんには危ないの。でもそうね…………七年後の撫子ちゃんの十七歳の誕生日に、まだ私の事を覚えていてくれたら……その時は必ず迎えに行くわ」
「本当に?」
「本当よ。私は撫子ちゃんが大好きなんだから」
ローザちゃんが私を抱きしめて、そう約束してくれた。
****
月日は流れ、私は今日、十七歳になる。それは私とローザちゃんの約束の日だという事だ。七年前のあの日から一日だって彼女を忘れた事はなかった。ずっとずっとこの日を楽しみにしてきた。
私は七年前と同じように枕の下を探る。…………あった。白い封筒。その中には淡い水色のカードが入っている。
『約束を果たしに参りますわ』
私はそれを読むと、急いで身支度を整えるとリビングに行く。もう父も母も最早会社に住んでいるような状態で、家にはずっと帰っていない。
私はもうこの家には帰らないだろう。だが、それでもいい。私は、私を見て、私を求めてくれるローザちゃんと一緒になりたい。
「さようなら」
私はそう言い残すと、家を出た。