ドライブ→対決
ハイエースに乗り込んでから三十分ほど経つ。僕は後部座席の真ん中で、《素人童貞》二人に挟まれながら座っている。
《やっつけ仕事なピストン運動》は名前を蓬田卵と名乗った。「可愛らしい名前だね」と僕は本心からそういったのだけれども、彼女はどうやらふてくされてしまったらしい。
「で、どこへ連れていくの?」
先ほどから数回同じ質問を投げかけているのだが、蓬田卵は答えない。後ろへ流れていく景色は馬鹿の一つ覚えみたいにオフィスビルばかりだ。そろそろ退屈になってきた。
「蓬田さんてば」
『左の《素人童貞》。裏拳、自由太の鼻っ柱を狙ってる。あと一秒』
僕はきっかり一秒後、《素人童貞》の裏拳を左手で受け止めた。うぉっ! とか《素人童貞》がいう。多分、「無駄口を叩くな」的な意味合いで放った攻撃なんだろうけど、どちらかといえば無駄なのは僕の口より彼の拳と、このドライブだ。
僕は彼の拳を掴んだまま、ルームミラーの中の蓬田にもう一度問いかける。
「どこへ行くのか知らないけどさ」
蓬田はやや困惑気味に表情を曇らせていた。
『右の《素人童貞》、左を助けようとしてる。自由太の左腕に手刀、五秒後』
「とりあえず」――一秒。
「どこかに」――二秒。右手をポケットにいれる。ストローが入っている。
「停まって」――三秒。ストローを握る。右の《素人童貞》が左手をぎこちなく震わせている。
「話さない?」――四秒。彼が手刀のモーションに入ろうとする。
その直前に、彼の左目にストローを刺す。五秒。「ぎぃや、痛ぇ!」と右の彼が叫び、僕は左の《素人童貞》の拳を離す。
「彼の治療の為にも」といいながら、抜いたストローを、今度はあっけにとられて隙だらけな左の彼の右目にジョイント。
「ごめん、彼らになっちゃった」
蓬田の額に脂汗が浮かんだ。怖がらないでいいんだよ、とはいわないでおく。
蓬田はハイエースを手頃に見つけた総合ディスカウントショップの地下駐車場に停めた。平日の昼間だからか、だだっ広い駐車場に他の車はまばらだった。都合がとてもよろしい。
《素人童貞》たちは後ろのドアを開けて荷台の縁に腰掛け、積んであった救急箱で応急処置をしている。僕は背もたれの上辺に両腕を重ね、その上に顎を置いて二人の背中を眺めていた。治療が一通り終わるのを待ったあと、彼らの首筋にささっと手刀をプレゼントして眠ってもらう。
「あれ? 止めなかったね」と運転席の蓬田にいう。
「……確かに、アマチュアは数に入れるべきでなかったわ」
「それじゃ出ようか。ここじゃ狭いでしょ」
「出て何をするの?」
「君たちが、貝原さんを尾行していた理由と、さっきのあれ、先に仕掛けたのが僕らだって話。聞かせてもらいたくって」
「余裕なのね。大人しく教えると?」
「だから、外でその気になってもらおうかなってさ」
「……いいわ」
蓬田はゆっくりとロックを外し、外へ足を出した。僕もそれにならう。
隣りの駐車スペースには三台分の空きがある。その上、防犯カメラの死角でもあった。というわけで、僕と蓬田はそこで対決することにした。
ここへきて初めて、僕は蓬田の立ち姿を目撃したが、非常にスマートだった。胸は小ぶりだが、とにかくあらゆる部位が引き締まっているのがスーツの上からでもわかる。
僕は両腕を広げる。おいでのジェスチャー。と同時に、ロココに何手先まで読める? と小声で訊いておく。
『三手かな。あの女、思ったよりはできるかも』
「あなた、私のこと舐めてるでしょう?」と右手を後ろに回しながら蓬田はいう。
「私、男に舐められるの、嫌いなの」
「僕は舐められるの好きだけど」と、くだらない下ネタで返してみた。『馬鹿じゃないの!?』とロココが怒る。蓬田も顔を赤らめて怒る。
「あなた」と蓬田。
『一手目はナイフ投げ。避けやすい軌道で自由太の右頬を狙ってる。でも、これはフェイント』
「馬鹿に」と蓬田。
『二手目は自由太が左へ避けたところに、これもナイフ投げ。二本一緒にくるよ。今度は両足狙い。これは跳んでかわすしかない。やっぱりフェイント』
「するのも」と蓬田。
『三手目が本命。跳び上がってかわしようがなくなったところに、額めがけてとどめの一発』
「いい加減にして!」
蓬田が攻撃動作に入った。僕は左のかかとをスニーカーから少し浮かせておく。
ロココの読み通り、蓬田の放ったナイフ――細長い柄と細長い刃で、それは間違いなく投げることを目的に造られた種類のナイフだった――は、僕の右頬に、吸い込まれるように、向かってきている。
予想を超えて、速かった。首だけでかわそう――。そういう余裕をいくらか振り切っていく速さで、僕の上半身は反射的に左に傾き、それに伴って左の膝が《く》の字の形に折れ曲がった。右足を地面に踏ん張って体勢を崩さない努力をしておく。
右頬をかすめたナイフが後方の壁に刺さる音。これには驚かざるを得なかった。蓬田のナイフはコンクリートの強度を上回っている。
間髪入れず、二発目がきた。蓬田の表情に余裕が戻ってきている。やっぱり、男なんてちょろいのよ、と顔に書いてあった。
不利では少し足りない。絶望にはまだまだ余る、僕が置かれているのはそういう状況――アドレナリンが沸いてきた。
跳び上がる――足下に突き刺さる二本のナイフ。
蓬田のとどめ――流麗なアンダースローのナイフ投げ。僕の額に一直線。
明日天気に――願いを込めながら、左のスニーカーを蓬田のナイフの軌道に合わせ。
なれ――インステップで飛ばす。
『わお』とロココがいう――空中でスニーカーがナイフを弾き、お互いくるくる回りながら、地に落ちる。
呆気にとられて口を開けている蓬田は無視して、僕は着地後すぐに、足元に刺さっている二本のナイフを抜いてみた。刃渡りは十センチほどだが、重い。何で出来てるんだこれ?
「次の手は?」
『打ち止めみたいだよ』
「オッケー」と僕はいい、二本のナイフをちらつかせながら蓬田に歩み寄っていった。その途中、今回の戦闘における最大の功労者にもかかわらず、地べたでわりかし惨めな様子で裏がえっているスニーカー(残念ながら明日は雨みたいだ)に謝辞を(頭の中で)述べて、履き直しておく。