ダイニングバー【アクタリ】の不可解
「わりぃな、遅れちまったぜ」と貝原晴雨は悪びれずにいう。
四十後半に差し掛かっているはずだがやたらと格好が若い。髪の毛は茶色でハリネズミみたいに尖っているし、赤いシャツもジーンズもダボダボだった。シャツにびっしょりと汗が染みているところを見ると、彼もそれなりに急いできたんだろう。
僕たちは窓際のボックス席に座っている。通りには昼休みのサラリーマンやOL、何かのチラシを配っている女の子や路上で弁当を販売しているおばさんの姿が見える。
「早速、ジョブ的な話をしたいんだがな、おれさ、めちゃくちゃ汗かいてるだろ?」貝原は掌で顔を扇いでいる。
「つまりさ、急いできたんだよ、ここまで」
ふと、貝原が窓の方へ視線を向けた。反対車線の路肩に、なにやら怪しげな黒いハイエースが停まっているのが見える。
「急いできたのに、一時間も遅れちまった。さて、この矛盾をどう解明するよ自由太?」
「つまり」と僕がいって『追われてたんでしょ?』とロココが付け足す。
「パーフェクト!」
貝原は愉快そうに人差し指と親指で丸をつくる。
「で、逃げてきたんだけど、まききることが出来なかった?」
「パーフェクト、ツー!」
「で、その後始末を僕とロココに任せようと?」
「パーフェクト、スリー!」
僕は頭を掻いてしまう。【レスト・イン・ピース】は喫茶店であると同時に殺し屋の詰め所だ。控え室には数名の殺し屋が常駐して依頼を待っている。
今日は月曜――確か波照間南魅と鴉森楚々倶の当番だったはず。二人とも、相当な手練れだ。ロココはこの二名の実力を《洋モノの男優》と評している。波照間は女だけれど。
「波照間さんと、鴉森さんは?」
「テルとカラは、指名があってな。すぐ出張んなきゃならんのよ。もう、お前だけが頼りなんだぜ自由太!」
笑顔で親指を立てられても、ため息しか返せない。僕は今日、非番だったので得物は我が家に置いてきてある。
「敵は、やっぱり?」
「あぁ。【アクタリ】の連中だろな」
ダイニングバー【アクタリ】。同業他社だ。殺し屋業界では喫茶【レスト・イン・ピース】と並んで二大メジャーと呼ばれている。
「彼らから、どんな恨みをかったんです?」
「さぁ。俺は覚えがないぞ。まぁ色んなことに覚えがないのが俺の長所で短所なんだが」
ここのところ、【レスト・イン・ピース】は【アクタリ】からの嫌がらせを頻繁に受けている。殺し屋の不正な引き抜き、ウエイトレスへの《いたずら》などだ。
元々、会社同士の仲が良かったわけではないが、とりたてて諍いがあったわけでもない。うまく共存していたのだ。異変が起こったのは、ここ数週間の話。
「なんにせよ」と貝原がいう。
「やられっぱなしって、ちょっとしゃくだろ?」
悪ガキめいた貝原のスマイルに、ま、一理あるかなと僕も頷く。ここ最近、実戦不足だったので、体もやや鈍り気味だ。ひとつ、鍛錬の意味を踏まえて、貝原の尻拭いに協力するのも一興かもしれない。
僕は、強くならなければならないのだ。
「ところで、これ時間外勤務ですよね? 手当ては?」
「考えとくよ。きゃつらをどの程度上手くあしらえるか、お手並みルックさせてもらいましょ」
僕は肩をすくめて、立ち上がった。すっかり氷も溶けてしまったグラスからストローを取り、それから貝原に「あ、ペン貸してもらえませんか?」という。赤いマーカーペンを受け取って、胸ポケットに差しておく。
「とりあえず、アイスティー代は奢りってことで」
レジの前から一応、貝原に確認しておく。返事の代わりに、彼が右拳を頭上に突き上げる。と同時に、ウエイトレスが「ありがとうございました」という。僕は彼女に会釈して、【レスト・イン・ピース】を出る。
さて、久しぶりのショータイムに僕の血は湧き肉は踊る。『ちょっと落ち着いて自由太』とロココがまったをかけてくる。
『なんかテンションあがってない? 精通したてのチェリーみたい』
「そりゃ、まー、ね」
七月の空気で肺を満たしながら答えた。伸びをしつつ、さりげなく対岸のハイエースを注視しておく。
「久しぶりだろ、こういうの。やっぱり、たまには実証する機会が欲しいんだよ。自分にいま、どの程度のスキルがあるのかなって」
僕が殺そうとしている男に、果たしてどれほど近づけているのか。
『別に貝原さん、殺せとはいってなかったじゃん』
もちろん、こんな真っ昼間の往来で殺人をやらかすわけにはいかない。それに、いくら嫌がらせを受けているとはいえ、その程度の理由で【アクタリ】の人間を殺害したら、両社の関係は【レスト・イン・ピース】にとって分が悪いものになってしまうだろう。何よりそもそも、これは《殺しの仕事》じゃない。
「だからさ、殺さないけど」と僕は笑ってしまう。
「少しくらいの損壊とか、破損はいいだろ?」
『ちょ、こわ! 自由太さ、こういう時、人変わりすぎ』
そりゃそうだ。誰だってオンとオフの切り替えで人生に折り合いをつけている。
怖いのは、どちらの僕がオンで、どちらの僕がオフなのか、時々、判らなくなることだった。
「それで」と僕はロココに尋ねる。
「敵の戦力は?」
『ちょっと待って~』
ロココがそれについて調べているうちに、僕はチラシを配っている女の子に近づいた。どうやら新規出展した弁当屋チェーンのクーポンらしい。
濃紺のバンダナとエプロンをつけて、「さぁどうぞ、お弁当屋デリシャス・屋台、本日よりニューオープンです」と声高に宣伝している。
僕はチラシを一枚受け取る。ちょうどいいことに、裏は白紙だった。
『……はいオッケー』
「さすが。それで?」
『えっとね、運転席に一人《やっつけ仕事なピストン運動》。後部座席に二人《素人童貞》がいる』
ロココは敵の戦闘能力をセックスにおける技巧、もしくは性に関連する俗称で表現する癖がある。
ちなみにこの場合、《やっつけ仕事なピストン運動》は殺し屋として下級、《素人童貞》はアマチュア、つまりは問題外であることを示している。
妙だな、と僕は思う。【アクタリ】は僕ら【レスト・イン・ピース】と同様のプロ集団だ。アマチュアに門戸を開いているような二流じゃない。仮にも二大メジャーなのだ。
確かに、下請け会社のアマチュアを臨時に雇うことはなくもない。しかし、貝原はあれでも【レスト・イン・ピース】の代表なのだ。彼を尾行するのに、アマチュアを使うというのは、どうにも解せない。社運を賭けた一大事業にインターンの学生を起用するようなものだ。
ふぅむ。不可解なことがたくさんあるが、まぁいずれにせよ。
「訊いてみないと、わからないよな」
僕は先ほど受け取ったチラシの裏に、貝原のマーカーペンでメッセージを書き込んだ。少し先の交差点まで歩いて、横断歩道を渡る。
『ねぇ、丸腰じゃ危なくない?』
「大丈夫だよ。僕にはロココがついてるから」
『……急にそうゆうこといわないでよ。なんか照れるし』
「本心だよ。さ、《超・思春期》の展開よろしく」
『まかせて。あたしの自由太に、指一本触れさせないから!』
今日のロココは調子がいい。僕はハイエースのお尻を眺めながら、さて、何分で排除できるかな、なんて、のんきなことを考えている。