たまには降りなきゃ餌を食えない
「しかし、なるほどな」と鴉森は私の顔を覗き込むように見て、いった。
「何よ」
「あんた、波照間の件があったから、こんなに時間をかけたんだな」
「否定はしないわ。あなたに殺される可能性を恐れていた」
「もう、その心配はないと?」
「あら、ここまで話させて、やっぱり殺す気?」
私は冗談っぽく身構えた。鴉森にそんな気がないことは、一連の会話で解っている。
「いや、そうじゃない。あれだけ迷って、何故話す決心をしたのか。それが気になってな」
「ハネが、私のパートナーが話しても大丈夫だって、そういってくれたのよ。実のところ、ハネの言葉がなかったら、夜が明けても躊躇してた」
鴉森は視線を私の胸元に移した。とっさに両手でかばう。
「そういう場所を見るときは、もう少し遠慮してもらえない?」
と、いいつつも、鴉森の眼には、いやらしさのかけらもなく、むしろ優しさに溢れていて、思わず私も鴉森に視線を合わせる。
「なに、よ?」
「あんたのパートナー、ハネっていうのか」
「そう、だけど?」
「いい、名前だ。九郎が気に入ったわけだ」
ややあって、鴉森は私から離れ、彼方自由太を担ぎ上げてから、こちらに手を差し伸べてきた。
「まだまだ目覚めそうもない。女のあんたじゃ、こいつを連れて歩くのは難しいだろ。送ってやる」
え――、と戸惑う暇もなく、鴉森は私を引き寄せ、逞しい右腕を腰に回してきた。
「飛ぶぞ。高いところが苦手なら、目を瞑れ」
それって、どういう――。
意味を考える前に、鴉森は屋上の縁の方へ走り出す。伴われた私は、抵抗できず、歯を食いしばった。
「や、め……」
て――縁に、鴉森の足が。
かかり、視界が上下に揺れ。
私は地上に真っ逆様に――。
ならない。
ならない?
「九郎は、鴉だ。俺はこの黒いコートを九郎の翼に見立てている」
ひるがえされ、バサバサと揺れて夜の闇に溶けるそのロングコートは、確かに鴉の翼に見えなくもない。
でも、そんなことより――。
「飛んで、る?」
眼下に広がる、東京の夜景は、これから先、どのような高所で見たとしても。
今に勝ることはありえない。
美しすぎる――何故?
『すごい、姉さん。これが』
真の《羽根》を持つ者のみが捉えることの出来る情景。
大地に置きざりにされた《卵》が、本来なら見ることを許されない至高の景色。だからこそ、美しい。だからこそ愛おしい。
涙が、溢れる。《ハネが飛んだ》あの瞬間が、雷光のようにフラッシュバックしていく。
光の一粒一粒が、極上の宝石に見えた。私はそれを、《あの瞬間のハネ》にプレゼントしてあげたくなる。
そして両手いっぱいに、ハネを抱きしめてこういうの。
「あなたは、何度だって、羽ばたける」
『姉さん? どうしたの?』
「何でも、ない」
鴉森が飛行のスピードを上げると、光の宝石はその様相を流れる大河へと変えていく。死ぬ時は、この河に溺れて死にたいな、などと、いい年をして馬鹿な考えが頭をよぎった。
「鴉森さん」
「なんだ」
「感謝するわ」
「気にするな。あんたの相棒に、空を見せてやりたくなっただけだ」
「素直に羨ましいわ、空を飛べるなんて」と私は涙をふきながらいう。
「どこまでも、自由でいられる」
「そんなことはない」と鴉森はいう。
「どんな鳥だって、いつかは地上で死ぬ。永遠に飛び続けられるわけじゃない。それに」と鴉森はどこか寂しそうに言葉を区切った。
「え?」
「《たまには降りなきゃ、餌を食えない》」




