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死神のように見える聖人の誠実

 扉の先にある景色について、私はそれが開ききるまでの短い時間、想像をしていた。



 それは彼方自由太による凄惨血みどろの殺戮ショーであったり、あるいはその逆で彼方自由太本人が凄惨血みどろになっていたりと、とにかく赤くて残酷な情景だった。



 複数人を殺した人間である私にとって、そういう情景は好ましくはないものの、怖じ気づくような要素はない。そもそも、女は血に強いのだ。何より、豚男との一戦に勝るグロテスクはそうないだろうと高をくくっていたし、どちらにしても彼方自由太の生存については無根拠の確信さえあった。



 ところが。



 私は思わず固まってしまう。別の意味で。間違って男子トイレに入ってしまった、思春期の少女みたいに。



 一言で表せば、バイオレンス系メロドラマ。



 屋上の真ん中で男と女が抱き合っていた。左手、フェンスで仕切られた配伝盤の前には、それを呆然と眺めるヤクザ風の男が二人。右手、屋上の縁に近いところに、膝をついて頭を垂れている黒いコートに身を包んだ長髪の男。



 そして彼方自由太は、抱き合う男女の傍らでうつ伏せに倒れていた。手に短刀のようなものを握りしめているのがわかる。



 これ、何よ?



 私に気がつく者はいなかった。しかし、それは好都合というわけでもない。次にとるべき行動が、まるで思い浮かばないのだ。むしろ誰かに声をかけて欲しいとさえ思う。解説が欲しい。いきなりエンディングを見せられても、筋書きが解らなければ、感想さえ出てこない。



『あの人……』とハネがいう。



 ハネのいう《あの人》は彼方自由太ではなく、メロドラマの中心人物である、女を抱く男だ。



『前に【アクタリ】で見てる』



 そういわれて、私は記憶を辿ってみる。男の出で立ち――濃紺のスーツ。体格はスマートだ。髪は耳に僅かにかかる程度の長さで、前髪を上げている。顔には捉えどころがない。強いていうなら、どこにでもいるサラリーマン風。



「思い出せないわ」



『ほら、先々月。仕事の打ち合わせの時にさ、急に訊ねてきた人がいたでしょ?』



 そういわれて、私はようやく思い出す。先々月、私は百千万が担当する案件のフォローに入るため、その打ち合わせを飲食店としての営業時間前の【アクタリ】で行っていた。ターゲットは確か、年配の極道だった。



 百千万は【アクタリ】における最高峰の殺し屋だった。したがって彼が担当する案件はいずれも難易度が高い。彼のフォローに入るということは【アクタリ】の殺し屋としては名誉だが、実際のところ私は百千という男が苦手で、この抜擢についてうんざりしていた。



 打ち合わせ自体は至極簡潔にすまされた。私が行うフォローとは、ターゲットを護衛するであろう人間の排除。生死は問わない、とのことだったので、致命傷を避けて無力化しようという腹積もりだった。ハネの気持ちを配慮して。



 打ち合わせが終わろうという直前、芥川に来客があった。それが目の前のドラマの主人公である、彼だ。



 あの時は私服――コーディネートが思い出せない――で、前髪を下ろしていた。大学生かフリーター、そんな感じに見えたのを覚えている。今とは印象が随分違う。



 彼の来訪によって打ち合わせは流れ、私は帰宅を許された。ほとんど終了していたので問題なかったが、結局この案件は白紙になったと後日芥川から伝えられた。



 そこではっとする。そういえば、この案件のターゲットの殺害予定日、今日じゃなかった?



 そして場所も、この辺り――、というか。



 あの、ビルじゃない? 爆発のあった。



 この符号は偶然?



 そんなわけない。世の中には偶然という厄介な代物が少なからずはびこっている、けれど。



 これは紛うことなく必然。断言できる材料は揃ってるもの。とすれば、あの男は殺し屋? でも【アクタリ】の人間ではない。芥川が外部に委託した? でも外部って? プロを扱う会社は【アクタリ】か【レスト・イン・ピース】だけのはず。両社の状況を鑑みれば、芥川が【レスト・イン・ピース】に仕事を振るとは思えない。かといって本来百千が担当する予定だった高難度の案件を、アマチュアに任せるとも思えない。



 何者かしら、あの男――。



 立ち尽くし、答えを模索している私に、その男が気付いてしまう。



「今日は不確定要素が多い」と、男はいった。鎌を持った死神の像が男に重なり、私の心拍数がはねあがる。



「例えば、鴉」と、黒いコートの長髪の男を指差し――何故、こんなにドキドキするの?



「例えば、彼」と、彼方自由太を指差し――私の呼吸は乱れ。



「例えば、彼女」と、直前まで抱き合っていた女――黒のタンクトップにジーンズ。茶髪の二十歳前後――を指差し。



 私は、これが恐怖であることを悟り始める。



「そして、あなた」と、私が指差されるころには私と男の距離は死神の鎌が首にかかる近さになっていた。それが視覚化されるほど、男の存在感は圧倒的なのだ。印象の希薄さとは裏腹に。



 私は動けない。口を開くことも出来ない。生殺与奪の権利はじめ、私に関する全てのイニシアチブはこの男に握られているという感覚。極めて不愉快で、極めて怖い。



【アクタリ】で見た時には、こんな気持ちにはならなかったのに。ハネも明らかに萎縮していた。



「怖がることはない」と男がいった。



「私に敵対しようとしない限りは」



 なるほど。この男には具体的に脅迫する必要すらないのだ。ただ、私を殺せるという存在の誇示だけすればいい。私は豚男のSMルームで、全裸のまま鎖に繋がれた時と似た屈辱を感じていた。



「敵対の意志は?」と男は訊ねてくる。不思議とプレッシャーが小さくなり、声帯が震えだす。



「ありま、せん」



 無意識に敬語になってしまう悔しさに、私は唇を噛み締めた。



「よろしい」と男がいう。すると完全にプレッシャーが体から抜け、死神が舌打ちして虚空へと消えた。私は脱力感にその場にへたり込んでしまいそうな体に、意志の鞭を叩きつけた。



「あなたは見たことがある。【アクタリ】の殺し屋だ」



 覚えて頂けて光栄ね、それであなたは何者なの? と、いつもの私ならこう返すはずなのに。



「はい」と、従順な奴隷の返事しか出来ない。



「ここへは、どのような要件で?」



 彼方自由太を追って――、そう答えるべきなのか。でも、けど――。



「芥川さんの指示ですか?」と男が先ほどまでと打って変わって紳士的な問いかけをしてくるので、少し安堵する。



「違います」と私は答える。



「それ以上のことは、答えたくない?」



「できれば」と私はなんとか返す。



「わかりました。もう結構です」と男はいう。



「どうぞ、あなたの目的を果たしてください」



 開いた口が塞がらない。男は踵を返し、再び女の方へ歩き出していった。先ほどまでの重厚かつ強健な殺意のプレッシャーは、その後ろ姿からは微塵にも感じられなくなっている。そのせいか、よせばいいのに、私は男に、ちょっと、と声を掛けてしまう。



「なにか?」と男は首だけで振り返って私に視線を合わせた。なにか? なんだろう? 確かに声をかけたものの、私はこの男に何を尋ねようというのだろう。



「ええと、その……」と口ごもり、あろうことか私が選択したクエッションは。



「もう、いいんですか?」という、あまりに間抜けなものだった。



「あなたは私に敵対していない。そして【アクタリ】もまた、私に敵対していない」と男はいった。



「少なくとも、今のところは。ならば問題ありません。先ほどは失礼なことをした。怖がらせるつもりはなかったのです。ただ、いささか状況が、というよりもタイミングが悪かった。私はどうやら狙われているらしいのです。相手が個人なのか、法人なのか、それはわかりませんが、この数十分の間、二人の人間が私を殺そうとやってきた。それは別段、構いません。しかしここには無関係な方が三名いる。その方達を巻き込みたくなかったのです。あなたが仮に私を狙っていたとして、その方達に不利益をもたらす可能性があったら迅速に排除しようと、そのような算段が私にはありました。したがって、脅迫じみた言葉を口にしたのです。失礼いたしました」



「はぁ」いまいち要領を得ない答えに、ため息が相槌と一緒にでた。



「とにかく、あなたは私の敵ではない。したがって私もあなたの敵ではない。すなわち我々は偶然同じ場所に居合わせた、赤の他人同士だ。これ以上の干渉は必要ありません。ここはお互い、目下達成すべき最優先の事柄を着々と推し進めるべきでしょう」



 なんて淡泊で嫌みにすら思える正論なんだろう。でも、私が嘘をついているという可能性を、この男はまったく検討していなかった。実際、嘘はついてないけれど、そうだと断定するには、判断材料が乏しすぎるんじゃないかしら。



 私の疑問を見透かしたように男はいう。



「多くの人は私の前で嘘をつかない。だから、私も、なるべく誠実でいるよう、心掛けてはいるんです」

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