アイスコーヒーか昼飯で死ねるか、あるいは殺せるか
「匕首を、お持ちかな」と聖人丈治は鴉の頭を踏みにじりながら、田所と新垣に声をかけた。
問いかけにしばし呆然としていた二人の極道は、思い出したように自らの懐を探りはじめると、ほとんど同時に匕首を出した。
「どちらでも構わない。そこから投げてください。近寄ってはいけません」
鴉は無力化してあるが、聖人丈治は油断しない。万が一、鴉が反撃の余力を残していた場合を想定しておく。それが観客に飛び火する可能性を排除する。己がいかに強靭であっても、観客はそれに追従出来ないからだ。立ち位置は常に守らせる。ましてショーとしての殺人は初めてだ。念は入れすぎるくらいがちょうどいい。
田所が投げた匕首を受け取ると、聖人丈治は華美に声をかけた。
「今から私は鴉を切り刻みます。先にいっておきますが、私は人に痛みを与えることについて不慣れです。今まで私の殺人には痛みが付随しなかった。それを感じる前に、対象が事切れているからです。つまり、加減がわからない。なるべく長い間、この男が地獄の苦しみにのたうち回るよう努力しますが、どのタイミングで死に至るのか、皆目見当がつかないのです」
魂の抜け落ちた人形のように空虚な瞳の華美にこの声が届いているものなのか、判別がつかなかったが、聖人丈治は構わず続けた。
「ですから華美さん。この男に向けた憎しみがまだあなたの中でくすぶっているのであれば、今から私の一挙手一投足を見逃さないことです。《この男を痛めつけているのはあなた》だと、強く思い込むのです。この男が死に至るその瞬間まで、限りなく強く。そうすれば、復讐は最も都合のよい形で終わる。いいですか? 切り刻む手はあなたのその小さな手だ。返り血を浴びた頬はあなたの紅い頬だ。私とあなたは一つとなる。あなたが胃袋を末石さんと共有したように。だからこの瞬間、より一層に、あなたは私を愛しなさい」
魂を呼び起こすのは愛と憎の混合物。聖人丈治はそれを《知っていた》。華美の瞳に光が灯っ――あるいは闇に覆われ――たように見える。
それでいい。光であれ闇であれ、それが強固であるならば、人は絶望の渕からでも感情を取り戻せるのだ。己も《確か、そうだったはず》。
華美は、自嘲するように笑い、
「はい」と答え。
「やって」とつぶやき、涙を流した。
鴉は一連のやりとりを不思議そうに聴いていた。見上げたものでこの男、微塵にも恐怖に震えている様子がない。それどころか、どうにかして状況を打破しようと思案を巡らせているようにもみえる。
すなわち、目が死んでいないのだ。
「まず、私は君の目を抉ろうと思う」と聖人丈治は予告した。鴉は舌打ちすると、身を横たえたまま、諦めたようにため息をもらした。
「好きにしろ。何をされたかわからんが、動けない」
「恐怖を、感じないのか?」
「大して」と鴉が吐き捨てた。
「何人も殺してきた。自分が柔らかいベッドで安らかに死ねるなんて、ハナから期待してなかったさ。とはいえ、固いコンクリートの上で惨殺とは、それも想定していなかったが」
なるほど。死を恐れていないのだ。おそらく、痛みもさほどの効果をもたらさないだろう。もっともそれはそれで構わない。これは単なる見せ物だ。華美が満足するようにこの男を殺せれば、それで万事解決であるのだから。
「一つ、訊いてもいいか?」と鴉は首を華美の方へ向けながらいった。
「何だ?」
「さっきまでのやりとりから察するに。あんたどうやら、俺があんたを狙ったから殺す、のではなく、あの女の為に俺を殺す、みたいだが。何故だ?」
「彼女は末石松之丞の愛人だ。先ほど、偶然に昼食を馳走になった。それを報酬として、私が君を殺すことになった。できるだけ、残酷な形で」と聖人丈治はありのままを答えた。
「私は仕事以外で殺人を行わない。君に限らず、誰かが私を殺そうとしたところで、私自身は誰も憎まないし、呪わない。したがって殺さない」
鴉は盛大に笑った。
「アイスコーヒーか昼飯か。俺もあんたも、随分と安い世界で生きてるな」
アイコーヒーについての心当たりはなかったが、確かに鴉のいう通りだった。結局、殺し屋の本質は金ではないということなのだ。
「……殺せ。俺の完敗だ。最後にやりあえたのが伝説の殺し屋で、光栄だった」
伝説などただの誇張された伝聞だ。己はそんな大層な存在ではない。それを鴉に伝えようか迷ったが、やめておくことにした。お喋りが過ぎた。もう、虐殺の時間である。
聖人丈治は匕首を鞘から抜き、刃を鴉の目に突きつけた。




