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闇にロココがよく似合う  作者: 太郎鉄
蓬田卵と蓬田羽根
11/42

卵と羽根

 二分後、私と豚男を隔てていたドアは、その鍵を無惨に破られる。私と豚男は対峙する。



 信じがたいことに、豚男は全裸だった。このアパートにたどり着いてから脱いだわけではなさそうだ。体中がずぶ濡れだった。彼は、全裸のまま、どこか――恐らくは、この世ならざる場所だ――から、ここへ赴いたのだ。



「これが愛するってことよ。あなたに判る?」と豚男はいった。



 私は、思わず後ずさる。それは、私が、ハネとの生活の中、この豚男に心で発した問い掛けだった。何故、それが、現実の肉声となってこの男に届いているの?



「おれの中に二人のお前がいる」



 豚男は一歩を踏み出す。私はさらに一歩後退してしまう。後ろ足がひっかかり、バスタオルがはだけ、そのままフローリングに落ちた。私もまた、全裸。ひどく頼りない気分だった。必要な準備を何も出来ないまま脱皮してしまった、か弱い蝶のような。



「一人のお前は従順な奴隷のお前。おれをマスターと呼び、おれを崇め、おれだけに忠誠を誓うお前。もう一人のお前は時々現れ、おれを罵倒するお前……、いま目の前にいる、お前!」



 理解は何一つ出来ない。ただひたすらにおぞましい。豚男の言葉の一つ一つが、呪詛となって私の細胞を蝕んでいく。



「何故、裸なの」と私は思わず尋ねてしまう。



「無だからだ。おれは無だから、何も纏う必要はない。お前がそういった。お前が常に、そう囁いている」



 豚男は腹を太鼓のように叩きながら宣言した。私が? 私があんたに、何を囁いているって?



 私は包丁を豚男のへそに突きつけた。



「とち狂ったのね。帰りなさい。もう一歩踏み出したら、刺すわ」



 豚男の耳に、私の忠告は届いていないようだった。彼は腹を叩き続ける。それは何かの儀式のように見えた。途方もなく巨大で邪悪な、悪魔を召喚するための。



「従順なお前がいう。私はあなたの忠実な奴隷であり《パートナー》。けれど、私は不完全。唯一無二になれてない。まだまだ、私はたんなる無。どうかお願いいたします。偽物の私を消してください。そうすれば私は永劫にあなたの下僕しもべ。血と肉を共有し、あなたをさらなる高みへと導くことができる」



 豚男はだらしなく口を開けっぴろげ、涎を垂れ流しながらも、流暢に明瞭に言葉を紡いだ。おかしい。私には豚男の声が、私自身のものに聞こえた。



 全身に鳥肌が立っていく。これはなんの悪夢? 私は、一体何を相手にしてるの?



「《対決》と《試練》」と豚男がいう。



「おれは、お前を消す。お前とはつまり、お前とハネだ。お前たちは二人で一つ。お前を消すことで、おれの中のお前が初めてオリジナルになる」



 ハネを消すですって?



 私は凍てつく。そうよ。私の後ろにはハネがいる。私が守るべき唯一無二。いまだ羽根を有さず、卵の庇護の元、羽ばたく瞬間を待ち焦がれている愛しい雛。



 恐怖すら凍てつかせる冷却は、いまの私にとって、一番必要なものだった。



 ハネを消すなんて、冗談じゃないわよ? そんなことはさせやしない。そうなる前に、私があんたを消してやる。



 私は包丁の柄を、力強く握り締めた。躊躇する必要はない。本能の赴くままに、敵を排除すればいい。私は私の殻を破る。一線を越えろ――私は私に言い聞かす。



 一歩踏み出し――やや前屈みの体勢で。



 豚男の腹に――突き立てられるべき刃を。



 突き刺す。それは吸い込まれるように、豚男の内側へと侵入していった。すると私の意識は、得体のしれない力によって、刃に乗り移った。豚男の腹の中。そこにはまたもう一つの宇宙があり、もう一つの観念があり、もう一つの歴史があった。



 そしてその宇宙の太陽は私だった。いや私の姿をした別の何者か、だ。私は直感する。



 敵はこの女――。



『いらっしゃい』と敵がいう。



「あなたは誰!?」



『私はあなた。この男にとって最も大切な存在としてのあなた』



 最も大切な存在? この豚男にとって、私が?



「何を、いってるの?」



『そのままの意味よ。あなたはこの男に愛されていた。この男にとって、あなたこそ全てだった。あなたという太陽に照らされ、あなたという宇宙の中において自己を発現することが出来た。そうね、丁度、あなたにとっての、ハネと同じように』



 この男が、私を愛していた? 馬鹿なこといわないで。だってあれは、単なる性欲の発散じゃない。そこにはいたわりや思いやり、おおよそ愛と呼ぶにふさわしいものが有り得なかった。針の穴ほどにも、そういうものが介在する余地がなかった!



 私は大宇宙をたゆたいながら、私が立つべき場所を模索した。けれどそんなものは、どこを探しても見当たらなかった。この宇宙においては、私は突然別の世界から迷い込んだ孤独な漂流者に過ぎないのだ。



『愛とは、詰まるところ心というパズルに嵌めるピースに過ぎないの』と敵はいった。



『色んなパズルがあって、色んなピースがある。形や色は重要じゃない。そこに《ぴったりと嵌っているという事実》が何より大切なのよ』



 私は急激に、ハネに会いたいという欲求に駆られた。ハネのいる世界に帰りたい。今すぐに。そうしないと、《絶望的なまでに取り返しがつかないこと》が起こってしまう。



『けれどしばしば、人はそのピースを理不尽に引き剥がされてしまうことがある。台風のように、抗いようのない、強大な力によって、否応なく。あとには、何も残らないのよ。それに、どのような痛みが伴うか。それが、どのような喪失感を伴うのか。果たして、あなたに解るかしらね?』



 もしも、ハネを失ってしまったら――想像を躊躇うほど怖い。そんなことがもし現実に起こってしまったら!



『多くの人がそうであるように、この男もまた、あなたというピースを失い、絶望にうちひしがれていたわ。けれどね、彼はそれを享受しなかった。《あなたがいないという世界を真っ向から否定した》の』



 不意に、涙腺が緩んだ。一筋の涙が頬を伝い、滴となって宇宙の暗闇にゆらゆらと浮かぶ。あなたは、何の涙さん? 私は涙に尋ねてみたが、返事は返ってこなかった。



『そして、彼はピースを《自ら創り上げた》。全く同じ形をして、より自分に心地よい色を持った、《私≧あなた》というピースを』



 狂ってる。



『《それが》、愛するってことよ。あなたに判る?』



 敵は、邪悪な微笑みをたたえていった。その顔は私のものだ。私は、こんなにも邪悪な顔をして笑える女だったの?



『笑えるはずよ。彼から創りだされた私だって、紛れもないあなたの一部だもの。あなたは、彼の瞳の中で、こういう顔をしていたのよ。ずっとね』



「……帰して。私が元いた場所に。私のいるべき世界に」



『駄目よ』と敵はいう。



『あなたにはここで消えてもらう。彼を否定するあなたを消してしまうことで、彼の中の《私》は、《完全なる奴隷としての蓬田卵》になることが出来る』



 敵はまばたきの間に、私との距離を急速に縮めた。手を伸ばせば届く場所で、彼女は私を睨みつけている。



『出来れば、あなたと交代したいわ。肉体を持った奴隷でいたかったもの。現実の世界で、マスターに永遠に仕えたかった。愛の言葉を肉声で囁きたかった』



 私も、敵を睨みつける。



「あなた、やっぱり私じゃないわ」と私はいう。



「あの男の、狂った妄想よ」



 私が愛の言葉を囁くのは、ハネにだけよ。それは決してあの男に対してじゃない。



『もし、私を彼の妄想と認めてしまったら、恐らくだけど、あなた、きっとあとで後悔するわ』と敵は口の端を不気味に釣り上げる。



『あとが、あればの話だけどね』



 敵は両腕を水平に広げた。掌は大きく開かれている。やがてゆっくりと、二つの掌は互いに、内側に吸い寄せられるように動き始めた。



 その中心には、私の首がある。私は、首を絞められた。抗えない。意志が行動を喚起できない。この宇宙が、宇宙全体が私の抹消を望んでいるから?



『そうよ。ここは私とマスターの領域だもの』



 意識が加速度的に削がれていった。私は消えてしまう。ハネのいない世界で。ハネを元の世界に残したまま。



 嫌よ――。嫌。助けて。神様でも悪魔でもいい。誰か私を助けて。肉体でも魂でも、なんでも全部あげるから、代わりに誰か、私を助けて!



「ね……ん」



 幻聴? やめて。そんなもの聴きたくない。私が聴きたいのは――。



「ねぇ……さ……」



 ……? 幻聴じゃない。 これは、私が聴きたかった福音!



「ねえ……さ……んっ」



 この宇宙にあって、いいえ、どの宇宙にあったとしても、決して引き離されることのない、魂で結ばれた絆の――!



「姉さんっ!」



 ハネの声!



 瞬間、私の意識は回復し、敵の両手を振りほどく。直後に、凄まじい力が、凄まじいが、しかし、温かい力が、私を背後から引っ張り始めた。



 とてつもない速さで、視界が遠ざかっていく。後ろ向きで乗るジェットコースターみたいに。



 一瞬の暗転があり、気がつくと私は元の世界にいた。全裸で全裸の豚男の腹に包丁を突き刺しながら、同時に豚男によって首を絞められていた。



 焦らない。視界の端には見慣れた光景がある。ハネと私の小さな冷蔵庫があり、傷だらけの箪笥があり、十四インチのブラウン管がある。ここは私のいるべき世界。



 何より、私の後ろにはハネがいる。



 いいわ。力比べをしてあげる。私のハネに対する想いと、あんたの私に対する想い。どちらが強いか、試そうじゃない。



 私はさらに深く、豚男の腹を抉った。臓器を傷つけている感触がある。洪水のような流血が、絨毯を赤く染め上げた。



 しかしそれにも関わらず、豚男もまた、絞める力を強くしていく。



 へえ、結構頑張るじゃない。狂っていたとしても、あの頃のあんたよりは、ほんの少しだけ、いい男になったかも。



 でもね。



 あんたは勝てない。だって――。



「ここは……、私とハネの、領域なのよっ!」



 包丁を一息で引き抜く。血塗られた刃で、豚男の二の腕を、下から一太刀に両方とも切り裂いた。



 豚男は私の首から手を離し、声にならない叫びを上げる。喉につかえていた空気と、肺に向かおうとしていた新鮮な空気がぶつかり合い、私は激しい咳をした。それでも、勝機を前にして、止まる猶予を私は私に与えない。咳なんて、屁でもないわ。



 肩で豚男にぶつかっていく。大量の出血のせいか、豚男はその体重を両足で支える努力をわずかに怠っていたようだ。そのまま仰向けに倒れ、その折りキッチンとリビングを隔てる段差に後頭部をしたたか打った。



 私は、豚男に馬乗りになる。チェックメイトよ。体勢的に、私の性器は豚男の血まみれの腹に密着してしまったけれど――。



 終わったらしっかり洗うから、許してね、ハネ。



「私の勝ちね」と私はいう。



「これで終わりよ」



 豚男の瞳はすでに光を失っていた。呼吸も荒い。ほうっておいても、彼は間もなく死に至る。それが安らかなものかどうかは別として。



 けれど、私はほうっておかない。私の手で、彼を葬り去らなければならない。



 私は包丁を頭上に掲げた。刃は豚男の喉元の方向に向いている。



「最後に訊きたいことがあるの。ねぇ、私を愛してたって、本当?」



 豚男は答えなかった。声帯を震わすだけの力が残されていないのだろう。返事を諦めかけたとき、彼の顎が、ほんの一センチほどだけ、下に動いた。私はそれを見逃さなかった。



「そう。ごめんね、私はそれに応えられない」と私はいった。



「私が愛してるのは、ハネだけだから」



 これから本物の無になろうとしている男に、《あなたは誰にも愛されていない》という現実を叩きつける。いくら歪んでいるとはいえ、私のことを愛しているという男の臨終へ向けるには、これはいささか容赦がなさすぎる言葉かもしれないと私は思う。



 けれどそれが、私があんたへ送るはなむけ。あんたはきちんと、私にふられるべきなのよ。私はあんたを愛さない。私はハネを愛してる。



 その事実を、きちんと受け止めてから眠りなさい。その代わりに、覚えておいてあげるから。あんたは醜くて、愚かで、とち狂った救いようのない豚男だったけど。



 私のことを愛していたという、その事実だけは、ね。



「さよなら」と私はいう。そして、刃を振り下ろす。



 終わった、と私は思った。手にも性器にも、べったりと豚男の血がついている。



 私は立ち上がり、ハネと視線を合わせた。彼は、目前で繰り広げられた異常事態に目を丸くしていた。顔は青ざめていたし、唇は震えている。



「ハネ、ごめんね」と私はいう。私は、血塗られてしまった。



「助けてくれて、ありがとう」



 ハネの声は、違う世界に行っても、きちんと届いていたから。だから、私は帰ってこれた。



「しなきゃいけないこと、たくさんあると思う。けれど、とりあえず体、洗ってくるわ」



 私はバスルームに入ろうとする。



「待ってよ、姉さん」とハネがいう。



「そのままでいいから、こっちに」



 ハネはベッドの縁に腰を掛けて、両腕を私の方へ伸ばしている。小刻みに震えているその小さな手。握り締めたい。包んであげたい。でも、少しだけ待っていて?



「洗ってからじゃないと。ハネを汚したくないわ」



「いいから、頼むよ。いますぐここへきて」



 ハネがこんなにも頑なに私を求めたのはこれが初めてだった。かわいそうに。よっぽど怖かったのね。



「怖いのね?」と私はいう。



「違うよ、怖がってるのは、姉さんだ」



 ハネがそういった瞬間、私の膝はがくりと折れた。私は、そのまま床にしりもちをついてしまう。



 あれ? どう、したの?



 脈拍が急激にスピードを上げていく。息苦しい。私は胸に手を当てて、暴走を始めた心臓に安全運転を要請した。聞き入れられない。



 怖がってるのは、姉さんだ。



 あぁそうか。震えていたのはハネじゃない。私の方だ。



 豚男によって凍らされた私の恐怖が、彼の死によって溶解され、遅刻した小学生みたいにどたばたと私の心を走り回ってる。



「大丈夫だよ、姉さん。僕が助けてあげるから。さぁ、おいで?」と、ハネは微笑む。



 私に抱きしめられたかったんじゃない。ハネは私を抱きしめてくれようとしていたのだ。



 もう、ハネは雛じゃないのね――涙腺が緩む。



 でも、まだ泣かない。私は歯を食いしばる。怖いけど、ハネの胸に飛び込むまで、ハネに抱きしめてもらうまで――涙はとっておかなくちゃ。



 竦んで動かない足を捨て、私は肘で這う。ハネの元へ。二メートルだけ進むことができれば、この恐怖から解放される。



 待っててね、ハネ。いまそこへ行くから。そしたら、ごめん。少しの間だけ甘えさせてね。少しの間だけ、胸の中で泣かせてね?



 ハネまであと一メートル――大丈夫。焦らなくても、ちゃんとたどり着けるから。



 ハネまであと五十センチ――ほら、もうすぐよ。もう少しで、手が届く。



 ハネまであと三十センチ――? どうしたのハネ? そんな怖い顔をして。



 ハネはその時、かつて見たことのない表情で、私の後方を凝視していた。それを簡単に形容すると、きっと怒りになるのだと思う。しかし、より正確な表現を求めるならば、怒りだけでは決して足りなかった。



 それは、何? そして、それは《何に向けられているの》?



 私は床に伏せたまま、右肩を少し上げ、首を後ろに回して、ハネと同じものを瞳に映した。



 豚男が立っていた。喉元に、包丁は刺さったまま。にも関わらず、まるで何事もなかったかのように。



 豚男が立っていた。



 彼は緩慢な動作で私に近づいてくる。いや、《彼》ではない。



《彼》は私が確かに殺したのだ。私には判る。



 これは《敵》だ。豚男の創りだした、私と同じ顔をした、豚男の奴隷だ。魂を失った豚男を、あちらの宇宙から動かしているのだ。



 豚男=敵は、鞘から刀を抜くように、喉元から包丁を抜いた。血潮が舞い、私の頬に付着した。その刃は、私の背中に向けられた。



 動けない。まさしく蛇に睨まれた蛙のように、私の筋肉は完全に硬直してしまっていた。《私はもう、ここから先、どこへ行くことも出来ない》。



 いいんだ、とハネはいう。それでいいんだ。だって姉さんは、卵なんだから。



 卵は巣にあって羽根を守る。



 包丁は天井に、あるいは天上にかざされ。



 暗黒の宇宙から大地へ降り注ぐ、破壊の意志を持った隕石のように。



 振り下ろされ。



 天の恵みか、その刹那に、私の硬直はとけ。



 最後にもう一度、ハネの顔がみたい。



 その猶予を、首を正面に戻すだけの猶予を、私に与えて。



 願いは叶い。



 奇跡を目の当たりにする。



 ハネが飛んだ。



 その足は、機能しないはずなのに。その翼は、理不尽な神様にもがれてしまったと思っていたのに。



《……そして、羽根は羽ばたき、今度は外側から、卵を守る》。



 駄目よ。いま、私を守っては駄目!



 私とハネの時は止まる。それはきっと、羽根がもたらした奇跡の残滓。



 宙空に、羽ばたく鳥のように浮かぶハネと、それを大地から見上げる私。



「立派に巣立ったろ? 姉さん」



「駄目よ。駄目なの。いまは、まだ駄目なの」涙が溢れる。



「いましかないんだ。僕の羽根は、一度しか羽ばたくことを許されてないんだよ」



「どうして?」



「《タマゴ》を《ハネ》は愛してる。だからさ、その一度は、タマゴを守るために使いたいんだ」



 先ほど敵を凝視していた、ハネの表情を思い出す。いま、初めて私の名前を呼んでくれたハネの表情から、怒りは消えていた。だから、足りなかったのものが自ずと見えてくる。



 それは、ダイヤモンドより固い決意。



「嫌よ、私はあなたを失いたくない」



「僕だって、タマゴを失いたくない」



 姉さんなんだから、僕に譲って? いいだろ?



「こんな、時だけ、弟に戻らないでよ。お願いだから」



 縋るように大空へ手を伸ばした。届かない。飛び立ってしまった羽根に、卵が届くはずもない。



「心配しなくていいよ。タマゴがいったんじゃないか」



 僕たちは《ずっと一緒だ》。たとえ《肉体が滅んでも》。



「愛してる」とハネはいう。



 お願い、時よ、このままで。どうか、永久に。



 動き出さないで。



 願いは、叶わず。



 ハネは、大空からタマゴの元へ。凶刃から守るため、その身をタマゴに覆い被せる。



 そして、刃は無慈悲に、ハネの背中へ突き刺さる。



 私は、急速に体温を失っていくハネの体の下で、守られた卵の喜びも、羽ばたいた雛への喜びも、何一つ感じることのできないまま。



 恵みを含まない、涙の雨をひび割れた大地に降らせていた。

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