プロローグ→クレオパトラ級について
大変、久しぶりの投稿になります。目に触れた方に、少しでも楽しんで頂ければ、幸いです。
やばい、超殺りたくなってきたっ! と宮野ロココはいう。
『めっちゃむかつく! なんなのあのアバズレ女!? あんたもさ、なんでされるがままにされてるわけ!?』
昼下がり、喫茶【レスト・イン・ピース】に僕たちはいる。正確には《僕》はいると表現するべきだろうけど。
『有り得ないでしょ!? 出会い頭にキスぅ!? 逆ナン系AVの撮影ですか!?』
ロココはまくしたて続ける。ふぅむ。自称、僕の《恋人であり、かけがえのない仕事仲間》である彼女が火山噴火みたいに怒り狂うのは無理もない。
ドラマチックなキスをされてしまった。美女に。 クレオパトラ級の美女に。
彼女は特に、前置きやら伏線やら、そういう煩わしい手続きを踏まず、唐突に僕の目の前に現れた。
流れは以下。
朝起きる→歯を磨き→朝食を採り、シャワーを浴び→出掛ける準備をして→玄関→左足から靴を(幸せが逃げないようにというジンクスを守るため)履き→扉を開けると→
美女→とにかく美女→ビューティフル→パーフェクト→その笑顔→美人、むしろ美神→危うさ→美しさ故の儚さ→満開の桜のような→些細なことで散ってしまうかのような→時がくれば、散ってしまうような→だからこそ、《今、この瞬間にしっかりと見ておかなくてはならない》ような→
そういう強制力を持った笑顔。
そして彼女の笑顔は、その形をまるで変えることなく→手を伸ばせば届く距離へ→舌を伸ばせば届く距離へ→近付き→
唇を重ねる。
『いま、思い出してたでしょ、コラ、自由太!』
我に帰る。いけないいけない。注意力の散漫がもたらすものはいつだってろくなものじゃない。僕はアイスティーをすすり、煙草をくわえる。
『あんたさ、マジで、おかしいって! 危機感とか感じなよ! だいたい、変でしょ? 見ず知らずのビッチがあんたの部屋の前で待ってるんだよ!?』
確かに、ロココのいうことはもっともだった。彼女が史上最も美しい《キス魔》で、手当たり次第に誰かにキスして回りたかったので徘徊していたところ、たまたま僕の部屋に行き当たり、たまたま扉が開いたら僕がいたので→キスをした……。
なんていう事態でない限り、彼女は僕の住所を知っていて、僕を狙って、キスをした、ということになる。
では、なぜ?
そもそも、僕の住所を知っている者は、僕を除けば一人しかいない。彼は今まさに、僕が【レスト・イン・ピース】において待ち焦がれている(残念ながら、約束の時間を三十分ほど過ぎている)人物なのだが、あの美女が彼の知人だということだろうか?
有り得ない。だろう、恐らく。
知人だ、という事実よりも、彼が《知人に僕の住所を教える》なんてことが有り得ないのだ。よって却下。
あるいは、仮に、これも可能性は低いが、彼女が《敵対組織》の襲撃者であったとしようか。だとしてもおかしい。なぜキス? キス? ワッツ?
「不思議」と声に出してみる。
『不思議じゃないよバカ! あの女ぜったい怪しいって! 危ないって! 捜し出して殺しちゃおうよ! 同業者かもしれないんだよ!?』
「んー、でもロココのセンサーには引っかからなかったんでしょ?」
『女の勘には引っかかったの!』
「女の勘、ねぇ」
『バカにしてんじゃないよ、このボンクラ! なにさ浮かれちゃって! どうなったって知らないからね!』
ふてくされたロココのペッ! ペッ!という舌打ちが頭の中に響いている。僕は頬杖をついて美女の姿形を思い出そうとする……んだがしかし、これが、思い出せない。
これがなによりもミステリー。僕はあの美女の顔も、服装も、体型も、その他いろいろ気になるところも、視覚的な像がまったく思い出せないのだ。
僕は彼女を《美女》という言葉としての印象でしか記憶に留めておけなかった。あれま、これはいけない。職業的にも、記憶力は比較的重要な要素だというのに。
そこで僕は、彼女に《クレオパトラ級》という名前をつけておくことにした。象徴としての美女。絶世の。無敵の。
彼女の美女性を、この名前に集約しておく。僕は彼女を忘れてはならない。絶対に。
もちろん、スケベ心でじゃない。あのクレオパトラ級は存在がしてすでに非日常だ。非日常的キスから幕を開ける物語は、大抵シュールでバイオレンスに決まってる。
綺麗な薔薇には棘がある。綺麗でない薔薇にだって棘があるくらいだ。
クレオパトラ級の棘なんて、刺さったらきっと、痛みを感じないうちに昇天させてくれるに違いない。
ロココの懸念と一緒だ。その実、僕はクレオパトラ級をロココ以上に危惧している。
『ペッ!』
ひょっとしたら、棘はもう、刺さっているのかもしれない。