第3.5話 G.F.000.3
静寂が、耳に痛いほどだった。
一定のリズムで響くシャトルの制御系から響く電子音だけが、ここが安全な場所であることを教えてくれている。
私は操縦席のシートに身を預け、震えがおさまらない両手を固く握りしめていた。
「……助かった、の……?」
口に出してみても、まだ実感が湧かない。
瞼の裏には、あの悪夢のような光景が焼き付いていた。
引き裂かれる隔壁、真空に吸い出される護衛たち、そして無数の赤い眼を持つ化け物――アビスウォーカー。
死ぬと思っていた。
あの瓦礫の陰で腰を抜かした時、私の人生はあそこで終わるのだと、絶望していた。
けれど、私は今、生きている。
呼吸をしている。
視線を、床に横たわる「彼」へと向けた。
あちこちから燻る黒い煙と、鼻を突く焦げた絶縁体の臭い。
先程、『省電力モードに移行』と言い残して沈黙した彼の身体は、改めて見ると酷い惨状だった。
剥き出しになった配線、ひしゃげた装甲板、そして無惨にねじ切れた左腕。
痛々しい姿で眠るその義体を、私は近づき、恐る恐る観察する。
「……『ジャンクハウンド』」
オペレーター、いやエンジニアとして見間違えるはずがない。
それは、現在流通している義体の中で、もっとも安価で、もっとも劣悪なモデルだ。
スラム街の貧困層が、生きるために自らの臓器や生身の手足を売り払い、その代償としてあてがわれるのが、この鉄屑だと言われている。
感覚フィードバックの遅延は日常茶飯事、メンテナンス性だけはそこそこ。
本来なら、重機材の運搬や危険作業の使い捨てとして運用される代物だ。
戦闘用ですらない。
ましてや、正規軍の最新鋭装備ですら歯が立たなかったアビスウォーカーを相手にするなんて、正気の沙汰ではない。
「どうして、こんなボロボロの機体で……あれだけの動きができるの?」
脳裏に蘇るのは、彼の常軌を逸した戦いぶりだ。
自らの腕を囮にして怪物の口内へ特攻し、遠心力で隔壁のスイッチを叩き壊す。
あんな戦術、どんな戦闘教範にも載っていないはずだ。
彼はただの一般人ではない。
かといって、正規の軍人とも違う気がする。
もっと泥臭く、それでいて洗練された経験のようなものを感じた。
「訳アリの傭兵……とか?」
私の呟きに、彼は答えない。
ただ、不規則なリズムで冷却ファンが微かな音を立てているだけだ。
私は、彼の首筋にあるポートに視線を落とした。
そこにはまだ、私がパニックの中でねじ込んだチップが突き刺さったままだ。
――『オーバードライブ・アクセラレーター』。
それが、このチップの正式名称だ。
我が社、アマミヤ・インダストリアルが極秘裏に開発していた試作品。
その機能は、リミッターを全解除し、使用者の電脳と義体の処理能力を瞬間的に数十倍まで引き上げるというもの。
理論上は最強のブーストアイテムだ。
だが、開発陣の間でこれは「失敗作」あるいは「禁断の切り札」として封印されるはずだった。
代償があまりにも大きすぎるからだ。
数百倍の処理速度は、電脳に尋常ではない負荷をかける。
最悪の場合、焼き切れ、廃人になるリスクすらある危険物。
それを、私はあろうことか、こんな廃棄寸前の旧式義体を使っている彼に使ってしまった。
「……一か八かだった」
あの瞬間、他に手はなかった。
けれど、不思議な確信もあったのだ。
『こんな理不尽な終わり、認めるわけにはいかねえんだよ!』
絶望的な状況で、彼が放ったその咆哮。
その魂の叫びを聞いた時、私は思ったのだ。
この人なら――、あの負荷に耐えられるかもしれない、と。
結果として、彼は私の賭けに応えてくれた。
それどころか、私の想像を遥かに超える結果を叩き出した。
彼の首筋から空になったチップを抜き取る。
ふと、ある打算が私の頭をもたげた。
あの崩壊したコロニーには、取引のため持ち込んだ『他の試作品』が残されている。
この『オーバードライブ・アクセラレーター』に匹敵する、あるいはそれ以上に危険で価値のあるチップたちが。
あれらをこのまま失うわけにはいかない。
もしライバル企業や軍の手に渡れば、アマミヤ・インダストリアルの優位性は失墜し、最悪の場合は会社が潰れる。
かといって、正規の傭兵団や警察に依頼すれば、試作品のデータが漏洩するリスクがある。
でも……彼なら。
正規の登録もなく、こんなジャンク義体を使っている身元不明の彼。
それでいて、アビスウォーカーを単独で撃破し、「切り札」を使いこなしてみせた彼なら。
「もしかしたら……私の『独自の戦力』になってもらえるかもしれない」
誰も知らない、私だけの最強のカード。
彼を雇い入れることができれば、あそこに置き去りにしてしまった試作品たちを取りに戻れるかもしれない。
これは、千載一遇のチャンスなのではないか。
私はそっと手を伸ばし、彼の傷だらけの胸部装甲に触れた。
冷たい金属の感触。
けれど、その奥には、確かに熱い何かが脈打っていたような気がした。
「あなたは……一体、誰なの?」
問いかけは、出力を上げたエンジンの低い唸りに吸い込まれて消えた。
窓の外には、無限に広がる星の海。
シャトルはコロニーの残骸を背に、静かに闇の奥へと進んでいく。
彼の正体は分からない。
けれど、一つだけ確かなことがある。
この人が目覚めた時、私は最大限の感謝と、そして最高のメンテナンスで彼に報わなければならないということだ。
それが、命を救われたエンジニアとしての、私の意地なのだから。
私はスリープモードの彼を見守りながら、安堵と、尽きない興味を抱きつつ、流れる星々を見つめ続けた。




