第38話
「どうだアキト、凄えだろ? このVRチェア。一式で高級車が買える値段なんだぜ」
スタジオ内の防音プレイルーム。
レオンは黒いラバー素材に覆われた最新鋭のVRスーツを撫でながら、少年のように目を輝かせていた。
「……ああ、凄いな」
俺は生返事を返しながら、与えられたスーツに袖を通した。
密着するゴムの感触。コードの重み。
「よいしょっと……ふぅ、最近のゲームは準備だけで腰に来るねえ」
隣では、たぬき氏が中年特有の掛け声とともに、カプセル型の最新VRチェアに深々と身を沈めていた。
ハイテクスーツを着込んだ姿は、サイバーパンクというよりはシュールレアリスムの絵画だ。
「それじゃ、行くか。アキト、たぬきさん」
「いつでもどうぞ」
「ほいほーい」
三人がヘッドセットを装着する。
視界が暗転する。
虹色の光が疾走し、俺の意識はデジタル空間へと再構築された。
目を開ける。
自分の手を見る。
グーパー、と握って開く。
「…………」
――遅い。
今までは感じていなかったほんの少しのラグ。
瞬きするよりも短い時間。
だが、脳が「動け」と命令してから、スーツのセンサーが筋電位を検知し、アバターが動くまでの間に、明確な「回路の距離」を感じてしまう。
ギャラクティックフロンティアでは思考が即座に現象となった。
しかも家庭用のVR機器でだ。
やはりあのゲームは、普通のゲームとは根本的に作りが違うのかもしれない。
それとなく、無意識にギャラクティックフロンティアとこのゲームを比較してしまう自分に気が付いた。
「思った以上にあのゲームに毒されてるな……」
俺は苦笑しながら、周囲を見渡した。
右隣には、特殊部隊風の迷彩服を着込み、サングラスをかけたマッチョな男。
レオンだ。
そして左隣には――。
「んっふふ~♡ どうかなアキトくん、私のニューボディは?」
ピンク色の髪をツインテールにし、猫耳を生やした小柄な美少女が、あざとくポーズを決めていた。
声は脳がとろけるような完璧な萌え声だ。
だが、その中身が「さっきまで海苔弁を食っていた髭面のおっさん」であることを、俺の脳は決して忘れてくれない。
「……似合ってるよ、たぬきさん。ある意味、ホラーだけどな」
「やだなぁ、褒めても何も出ないよぉ?」
俺はため息をつき、自分の姿を確認した。
支給された初期装備。
地味なグレーのジャケットに、汚れのついたズボン。
そこらへんを彷徨くスカベンジャーのなりだ。
その時、視界が歪み、俺たちは薄暗い部屋へと転送された。
剥がれ落ちた塗装、壁を覆う赤錆。
ブリーフィング・ルームだ。
「おー、雰囲気あるねえ! この錆のテクスチャ、実写レベルじゃん」
レオンが壁を触りながら感心している。
そこへ、軍靴の音を響かせて一人の男が入ってきた。
顔に大きな傷跡がある、いかにも歴戦の古強者といった風貌のNPC教官だ。
『席につけ、蛆虫ども。私語は慎め』
ドスの効いた怒号が、鼓膜を叩く。
NPC教官は教鞭でスクリーンを叩き、芝居がかった口調で演説を始めた。
どうやらチュートリアルの始まりらしい。
***
『これより、貴様らが潜る迷宮都市のルールを叩き込む! いいか、これは遊びではない! 理解できない者は、最初の10分で菌床の肥料になると思え!』
「きゃっ、教官さん怖~い♡」
たぬき氏が美少女アバターで身をすくめる演技をする。
中身はおっさんだが、ロールプレイは完璧だ。
『まず、貴様らのHUDを見ろ。その波形ゲージが貴様らの命だ!』
視界の端に緑色の波形が表示される。
どうやらこれが「騒音計」らしい。
少し動くだけで波形が揺れる。
教官は手元のコンソールを操作し、クリーチャーの視覚情報をシミュレートした映像を表示させた。
『敵である『感染者』は、視力が退化している。代わりに聴覚が異常発達しており、システム上、奴らには『索敵範囲』という概念が存在しない。代わりに設定されているのが『聴覚指数』だ』
なるほど、音による索敵システムか。
俺は冷めた頭でシステムを解析する。
デシベル数値という可視化されたパラメーター管理は、随分と親切設計に思える。
次に教官は、スクリーンに騒音計のようなグラフを表示させた。
プレイヤーの行動ごとの騒音数値表だ。
直立歩行: 30db(半径10m以内の敵が反応)
ダッシュ: 65db(半径30m以内の敵が反応)
銃撃(サプレッサー無): 120db(半径200m以内の敵が活性化)
『いいか、走るな。基本はステルス移動だ。床の材質にも注意しろ。金属床の上でジャンプすれば、着地音だけで死ぬ。環境音を利用しろ。換気扇の音がうるさいエリアなら、多少の足音は相殺される』
「はいはーい、教官~! 質問!」
たぬき氏が元気よく手を挙げて質問する。
「見つかったら撃てばいいんじゃないんですかぁ?」
教官のアバターが、ギロリと彼女を睨みつけた。
『いい質問だ、お嬢ちゃん。……次の項目に移ろう』
画面が切り替わる。
そこには空っぽのマガジンと、肉塊になったクリーチャーが映し出された。
『戦争ごっこなら、敵を倒せば弾薬が手に入っただろう。だがここでは違う。敵は獣だ。奴らを解体しても、出てくるのは汚染された臓器だけだ。弾薬はドロップしない』
『弾薬は、地上から持ち込んだ分と、現地に稀に落ちている軍用コンテナからしか補充できない。つまり、銃弾1発には明確な『コスト』がある。雑魚1匹殺すのに1マガジン使っていたら、あっという間に弾切れだ。弾が尽きたらどうなるか、想像してみろ』
「爪で引き裂かれて、内臓を啜られる……ってコト?」
たぬき氏があざとく首を傾げる。
『ご名答。では、どうやって戦うか? ……『近接テイクダウン』だ』
映像が切り替わり、背後から忍び寄ってナイフを脊髄に突き立てるアクションが映し出された。
血飛沫が舞い、敵が無音で崩れ落ちる。
『未発覚状態での近接攻撃は、システム上『確定クリティカル』となり、中型までの敵なら一撃で沈められる。弾も使わず、音も出さない。これが最適解だ。銃は、ミスをした時の『保険』か、対人戦のための『切り札』と思っておけ』
俺は腰のナイフに手を伸ばした。
グリップの感触を確かめる。
抜刀のアニメーションに、ほんの少しのラグ。
これで背後を取り、正確にテイクダウンを決めるのは、多少の慣れが必要そうだ。
『次に、最も警戒すべき敵の挙動について説明する。単体の敵は怖くない。怖いのは『リンク』だ』
スクリーンに、喉が異常に膨れ上がった特殊個体『スクリーマー』が映し出される。
『敵は群れ全体で行動することがある。こいつに叫び声を上げられるとどうなるか分かるか?』
「……仲間を呼ぶ、ですか?」
レオンが答える。
『その通りだ。こうなったら隠れることは不可能だ。『音響デコイ』を使え。敵のAIは『最も大きな音源』を優先ターゲットにする習性がある。制圧するか、逃げ切るか、それか』
教官がにやりと笑う。
『同業者に擦り付けろ……性格は悪いが、有効な戦術だ』
『また、ステージは平面ではない。かつての摩天楼が地中で複雑に絡み合った『立体迷宮』だ』
3Dマップが回転し、複雑な高低差を表示する。
『ここでの移動には『ワイヤー・グラップル』が必須だ。これは単なる移動手段ではない。『逃走手段』でもある。地上の敵は壁を登ってくるが、空中に留まることはできない。囲まれたら上へ逃げろ』
教官は補足した。
『ただし、落下ダメージ判定はシビアだ。高所からの着地に失敗すれば足の骨を折る。骨折状態になれば移動速度は半減し、鎮痛剤や治療キットを使うまで治らない。その状態でスクリーマーに見つかったら? ……結果は言うまでもないな』
『最後に、生きて帰る方法だ。目的の資源やアーティファクトを手に入れただけでは、1クレジットにもならない。地上へ持ち帰って初めて報酬になる』
画面には、巨大な『貨物エレベーター』と、一人乗りの『緊急ポッド』が表示された。
『脱出ポイントはマップに数カ所ある。だが、どれも電力は落ちている。脱出するには、電源レバーを入れ、再起動シークエンスを完了させなければならない』
教官の声が一段と低くなる。
『ここからがこのゲームの肝だ。エレベーターを呼ぶ轟音は、全マップに鳴り響く』
『それは『ここに餌があるぞ』という合図だ。エレベーター到着までの180秒間、キャリアーの大群が押し寄せてくる。さらに、音を聞きつけた他のプレイヤーチームも集まってくる。『漁夫の利』を狙ってな』
「つまり……最後は戦争」
『そうだ。ステルスはここまでだ。温存していた弾薬、設置型タレット、グレネード……全てを使い切れ。エレベーターのドアが閉まるその瞬間まで、エリアを死守しろ。それが『ダイバー』の仕事だ』
教官の顔が、凶悪に歪んだ。
『地獄の180秒を耐え抜いた者だけが、勝者となれる。……以上だ! さっさと降下ポッドに乗れ!』
説明が終わると同時に、床が開き、降下ポッドへの搭乗口が現れる。
実によく出来たアトラクションだ。
「へえ、脱出時にラッシュが来るのか。燃える展開だな!」
レオンが拳を鳴らす。
「アキトくん、私の護衛頼んだよ~ん。か弱い乙女だからねっ」
「……へいへい。頼りにしてるよ、おっさん」
俺たちはそれぞれの降下ポッドに乗り込んだ。
ハッチが閉まり、閉鎖空間に閉じ込められる。
カウントダウンが始まる。
これから始まるのは、ただのゲームだ。
死んでも、装備を失うだけで命までは取られない。
ラグがあり、感覚は鈍く、作り物の世界。
「さて、楽しませてもらおうか」
俺の意識は、深淵へと堕ちていった。




