第34話
ドォォォォンッ!!
船体が悲鳴を上げるような衝撃と共に、格納庫内が大きく揺れた。
固定されていない工具や予備パーツが、散弾のように壁に叩きつけられる。
「ひぃぃぃっ! 船体に穴が空きますよぅ!!」
ハルが『タイラント』の巨体で、震える生存者たちを覆い隠すように守りながら叫ぶ。
その横で、ノアが手すりにしがみつきながら悪態をついた。
『なんやしぶと過ぎるやろ! アビスウォーカーのアホンダラぁ!!』
彼らの悲鳴は、しかし無理もないことだった。
強襲揚陸船『スターゲイザー』は今、爆炎とデブリ、そして狂乱したアビスウォーカーの群れが渦巻く地獄の只中を、全速力で突っ切っているのだ。
外部モニターには、悪夢のような光景が広がっていた。
無数のアビスウォーカーが、爆発の混乱から立ち直り、新たな熱源――つまり逃走するこの船に殺到している。
奴らは船体に取り付き、その鋭利な爪で装甲を引き裂こうと群がっていた。
『うるせえ! 黙ってしがみついてろ!!』
ブリッジからギデオンの怒鳴り声が響く。
彼は操縦桿をねじ切らんばかりに握りしめ、神業的な操舵で巨大なデブリとアビスウォーカーを回避し続けていた。
『振り落とすぞ! 耐G姿勢!!』
ギデオンが姿勢制御バーニアを噴射し、船体を強引にロールさせる。
遠心力で、船体にへばりついていた数体のアビスウォーカーが宇宙空間へと弾き飛ばされた。
だが、すぐに次なる群れが迫ってくる。
キリがない。
その時だった。
ピピピピピピピッ!!
無機質で鋭い電子音が、ブリッジと全機体のコクピットに鳴り響いた。
アビスウォーカーの接近警報ではない。
これは――。
『ミサイル・ロックオン感知』
システム音声が告げると同時、ギデオンが反射的にチャフとフレアの射出ボタンを叩いた。
『チッ!』
船の周囲に高熱源のデコイが散布される。
直後。
カッ!
船の至近距離で、真っ赤な爆炎が花開いた。
直撃は免れたものの、至近弾による破片が船体を叩き、『スターゲイザー』を激しく揺さぶられる。
「……ミサイル!?」
俺は姿勢を立て直しながらモニターを凝視した。
アビスウォーカーは爪や牙、あるいは酸などの生体兵器しか持たない。
火器や誘導兵器を使う知能などないはずだ。
つまり、これは。
「『敵対勢力』からの攻撃だ」
『誰が撃ってきてやがる!? このクソ忙しい時に!』
ギデオンが吠える。
俺は即座に状況を理解し、無線を開いた。
「内部で遭遇した『別部隊』だ。俺たちがアビスウォーカーを押し付けた連中の、母艦が待っていたんだよ!」
俺たちの脱出ルートを予測し、出口で待ち構えていたのだ。
またもや俺たちが「追われる側」というわけだ。
『ハッ、上等だ! だが、あいにく俺の手はハンドルで塞がってんだよ! 迎撃はどうすんだ!?』
「俺とレベッカでやる! 機銃のコントロールを回してくれ!」
俺は叫ぶと同時に、自身の『ナイトハウンド』から船の火器管制システムへとジャックインした。
意識が拡張され、船体に装備された対空機銃(CIWS)が、自分の手足のように感覚化される。
「レベッカ、右舷を頼む! 俺は左舷と後方を見る!」
「了解したわ。任せなさい」
レベッカの冷静な声と共に、船体各所の機銃塔が旋回を開始した。
視界の中に、無数のターゲットマーカーが浮かび上がる。
迫り来るミサイル群。
そして、特攻を仕掛けてくるアビスウォーカーの群れ。
「――『思考加速』」
俺は脳内のスイッチを切り替えた。
世界の色が褪せ、時間の流れが泥のように遅くなる。
膨大な情報の奔流を、スキルの処理能力でねじ伏せる。
これは、ただのシューティングゲームだ。
俺の思考と連動し、パルスレーザー機銃が火を噴いた。
光の弾幕が宇宙を切り裂く。
一発、二発。
迫りくるミサイルが次々と空中で迎撃され、爆発四散していく。
「そこだッ!」
さらに、死角から回り込もうとしていたエイ型のアビスウォーカーを、予測射撃で撃ち抜く。
レベッカの方も完璧だ。
彼女はフルオートではなく、正確なバースト射撃で、確実に敵の急所を撃ち抜いている。
だが、敵も本気だ。
後方の黒煙を切り裂いて、巨大な影が姿を現した。
全長二百メートル級。
全身をダークグレーの都市迷彩で塗装した、鋭角的なシルエットを持つ軍用艦。
先ほどの義体部隊と同じカラーリングだ。
『出やがったな、ハイエナ野郎どもめ!』
ギデオンが悪態をつく。
敵艦の主砲が旋回し、こちらに照準を合わせているのが見えた。
状況は、最悪の三つ巴だ。
逃げる俺たち『スターゲイザー』。
追う謎の「敵戦闘艦」。
そして、その両方に群がる無数の「アビスウォーカー」。
敵艦もまた、俺たちを攻撃しながら、同時に周囲のアビスウォーカーの迎撃に追われていた。
ビーム砲が乱れ飛び、ミサイルが交差する。
爆発が爆発を呼び、デブリ帯はカオスと化していた。
『うおおおおっ! 邪魔だ邪魔だぁ!!』
ギデオンはその混乱を利用した。
彼は敵艦とアビスウォーカーの射線が交錯するギリギリのラインを見極め、デブリの影から影へと船を滑り込ませていく。
『光速ドライブ(FTL)接続まで、あと20秒! 重力干渉圏を抜けるぞ!』
カウントダウンが始まった。
このデブリ帯さえ抜ければ、何もない外宇宙へ出られる。
そうすれば、光速で逃げ切れる。
「あと少しだ! 振り切れ!」
俺は機銃を乱射し、食らいつくアビスウォーカーを片っ端から撃ち落とした。
10秒。
目の前のデブリの密度が薄くなる。
開けた宇宙が見えた。
5秒。
出口だ。
『抜けたッ!!』
ギデオンがスロットルを最大まで押し込んだ。
『スターゲイザー』が最後のデブリを蹴散らし、クリアな宇宙空間へと飛び出す。
だが。
その瞬間だった。
センサーが、異常な数値を叩き出した。
俺たちの進行方向――側面の暗闇から、とてつもない質量反応が出現したのだ。
それは、これまでのアビスウォーカーとは次元が違った。
戦艦クラス?
いや、違う。
小惑星サイズだ。
タルタロスの残骸すら小さく見えるほどの、圧倒的な巨体。
王冠のように広がる無数の角。
全身を覆う、要塞のような外殻。
そして、船一隻など容易く飲み込めるほどの、巨大な顎。
『な……』
そのあまりに絶望的な威容に、歴戦の傭兵であるギデオンですら、言葉を失った。
『アビスクイーンだ……嘘だろ……。こんな浅い宙域に……』
深淵の主。
アビスウォーカーの女王種、『アビスクイーン』。
恐怖。
生物としての根源的な畏怖が、思考を凍りつかせる。
ギデオンの手が、コンマ数秒止まった。
その隙を見逃すほど、女王は慈悲深くなかった。
宇宙空間が歪むような威容の女王がその巨大な顎を開いた。
『スターゲイザー』の進路を塞ぐように、闇の口が迫る。
回避不能。
このままでは、真正面から飲み込まれる。
「――ギデオン!!」
俺は裂帛の気合で叫んだ。
存在しない筈の喉が張り裂けんばかりの咆哮。
それが、凍りついた船長の魂を叩き起こした。
「飛べぇぇぇぇッ!!」
『――ッ!! おおおおおおおおっ!!』
我に返ったギデオンが、反射的に操縦桿を引き絞った。
緊急回避。
全スラスターが限界を超えて噴射され、船体に軋むような負荷がかかる。
巨大な顎が閉じる、その寸前。
『スターゲイザー』は、女王の牙を掠めるようにして、直角に近い軌道変更を行った。
船底が女王の牙と接触し、火花が散る。
だが、抜けた。
『FTL、接続!!』
カウントがゼロになる。
ギデオンがドライブの起動スイッチを叩き込んだ。
瞬間、視界が歪んだ。
スローモーションの世界の中で、俺は見た。
後部モニターの映像。
俺たちのすぐ後ろを追撃していた、あの黒い敵戦艦。
回避行動が遅れた彼らは、目の前に現れた絶望を避けることができなかった。
女王の顎が、無慈悲に閉じる。
敵戦艦は抵抗する間もなく、その巨大な口腔へと吸い込まれ――そして、爆炎と共に砕け散った。
次の瞬間。
キィィィィン……!
永遠にも感じる一瞬を経て、全ての景色が光のラインへと引き伸ばされた。
アビスクイーンも、爆発の閃光も、全てが後方へと置き去りにされる。
『スターゲイザー』は亜空間へと跳躍し、地獄の宙域からの離脱に成功したのだった。




