第32話
行き止まりの回廊に、絶望的な沈黙が降りた。
背後に立ち込める白煙の中から、ダークグレーの義体部隊が姿を現した。
四体。
俺たちが一時的に撹乱したフォーメーションは、すでに完璧に再構築されていた。
前方は、瓦礫と分厚い隔壁によって閉ざされたエレベーターホール。
後方は、殺意を漲らせたプロの武装集団。
逃げ場はない。
今度こそ完全な袋小路だ。
『無駄な抵抗だったな』
指揮官機が悠々と歩み寄り、その銃口を俺の眉間に突きつける。
『小賢しい真似をしたが、所詮は素人の悪足掻きだ。……ここで終わりだ』
勝ち誇った宣告。
抵抗すれば即座に蜂の巣にされる距離。
「も、もう駄目ですぅ……逃げ道がありません……!」
ハルが絶望の声を上げ、盾を持つ手が震える。
レベッカも唇を噛み締め、覚悟を決めたようにサブマシンガンのグリップを強く握った。
彼女の瞳には、死ぬ前にせめて一機でも道連れにするという、悲壮な決意が宿っているように見えた。
だが。
俺だけは、武器を下ろしていた。
意識は敵の指揮官ではなく、背後の隔壁――先ほど内側から不気味な異音が聞こえた扉の方へと向けられている。
「……いや、終わりじゃない」
俺は静かに告げた。
「始まりだ」
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指揮官機が不審そうに俺を見る。
『……何?』
「これだけ派手に騒がしくしたからな。スプリンクラーに銃声、それに爆発音。……お腹を空かせた奴らが来たぞ」
俺の呟きと同時だった。
メキョッ……!
あり得ない音が響いた。
エレベーターの分厚い合金製の隔壁が、内側から風船のように膨れ上がったのだ。
金属が悲鳴を上げ、塗装が弾け飛ぶ。
『な、なんだ!?』
敵兵の一人が動揺して声を上げる。
次の瞬間。
ドゴォォォォォン!!
凄まじい轟音と共に、隔壁が内側から吹き飛んだ。
数トンの鉄塊と化した扉が、紙屑のように宙を舞い、敵部隊の横を掠めて壁に激突する。
舞い上がる粉塵。
その向こうから現れたのは、悪夢そのものだった。
通常の個体よりも遥かに巨大なアビスウォーカー。
全身が岩盤のような外殻に覆われ、四本の腕はまるで重機のアームのように太い。
大型の変異種だ。
警報音と俺たちの戦闘音に引き寄せられ、エレベーターシャフトを力任せに下ってきたのだ。
『グオォォォォォォォォッ!!』
怪物が咆哮する。
その音圧だけで、機体の装甲がビリビリと震えるほどだ。
『くそッ!? アビスウォーカーだと!?』
突然の乱入者に、プロであるはずの敵部隊も驚愕し、足並みを乱す。
怪物はギョロリと赤い複眼を動かし、餌を探した。
ここでの判断が、生死を分かつ。
俺たちは、ここに来るまでの全力疾走を終え、今は足を止めていた。
さらに直前のスプリンクラーの水で義体は冷やされている。
排熱レベルは低い。
対して、ライバル部隊は全力で追走し、射撃を行いながら突入してきた直後だ。
ジェネレーターは唸りを上げ、銃身は熱を帯びている。
アビスウォーカーの視点で見れば、彼らは暗闇で燃え盛る松明のように目立つ存在だ。
そして、決定的なトリガーが引かれる。
『う、撃つな!! 馬鹿野郎!!』
指揮官の制止も虚しく、恐怖に駆られた敵兵の一人が、反射的にフルオートで発砲してしまったのだ。
パパパパパッ!
マズルフラッシュが闇を切り裂く。
その閃光と轟音は、怪物にとって「こっちだ!」という招待状に他ならなかった。
怪物の赤い複眼が、一斉にライバル部隊へと固定される。
『グォォッ!!』
怪物は目の前にいる冷たい石ころのような俺達を無視し、より目立ち、より騒がしい獲物である敵部隊へと突進を開始した。
MPK。
モンスターのヘイト(敵対心)を利用し、他のプレイヤーに敵を押し付ける、MMOにおける最悪にして最強の嫌がらせ戦法だ。
「今だ! 奴が通ってきた穴へ飛び込め!」
敵部隊が怪物の対応に追われ、こちらを撃つ余裕がなくなった瞬間、俺は叫んだ。
「ええっ!? 化け物の通り道ですかぁ!?」
ハルが素っ頓狂な声を上げる。
目の前では、重機のような腕を振り回す怪物と、必死に応戦する敵部隊が近接戦闘を繰り広げている。
「道は道だ! 行くぞ!」
俺は迷わず床を蹴った。
怪物の横をスライディングで抜け、破壊されたエレベーターシャフトの開口部へと身を躍らせる。
「もう、無茶苦茶ね!」
レベッカも続く。
ノアが「ほなさいなら!」と捨て台詞を吐き、ハルが「ひぃぃぃ!」と叫びながら飛び込む。
俺たちが穴へ消えた直後、背後からは激しい銃撃音と、金属が圧壊する断末魔、そして怪物の勝利の咆哮が響き渡っていた。
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シャフト内部はアビスウォーカーが通ったせいで崩壊しかかっている。
俺たちは壁面に残されたメンテナンス用のはしごや、垂れ下がったケーブルを伝い、なんとか移動ができていた。
「……ふぅ」
俺はワイヤーアンカーで機体を固定し、一息ついた。
来た方からは、まだドンパチやっている音が聞こえるが、徐々に遠ざかっている。
「これでしばらく時間は稼げる。奴らもあのデカブツ相手じゃ、すぐには追ってこられない」
全滅はしないにしても、あのクラスの怪物を処理するには相応の弾薬と時間を消費するはずだ。
追撃どころではないだろう。
「最悪の手法ね……。敵を擦り付けるなんて」
レベッカが呆れつつも、その声音には感心の色が含まれていた。
「状況判断としてはベストだったわ。まともに撃ち合えば全滅していた」
「褒め言葉として受け取っておくよ。……さて」
俺はシャフトの闇を見上げた。
問題は、どうやってここから脱出するかだ。
チップは確保した。追手は撒いた。
だが、俺たちは今、敵地深部で孤立している。
「この騒ぎの中、スターゲイザーをどうやって呼ぶか……。通信妨害も酷いし、通常の回線じゃ届かないぞ」
俺が懸念を口にすると、レベッカが冷静に答えた。
「ギデオンが言ってたわ。『脱出ポイントで合図を上げれば、回収に行く。秘策があるから任せろ』って」
「合図か。……この縦穴の中じゃ無理だな」
「ええ。宇宙港のような開けた場所で、信号弾を打ち上げる必要があるわ」
場所は決まった。
宇宙港エリア。
タルタロスの端に位置し、宇宙に向けて開かれた場所。
そこなら船も接舷できるし、信号も届くはずだ。
俺はノアの方を向いた。
「ノア。聞こえるか」
『おう、聞こえとるで』
ノアは壁のケーブルに掴まったまま、自身の『ジャンクハウンド』の通信機を操作している。
「ここから宇宙港へ向かう。……あんたが守ってた生存者たちも、そこへ誘導してくれ」
ノアの手が止まった。
彼の中に迷いが見えた。
ここまで必死に守り抜いてきた13人の命。それを、危険な外へ連れ出すことへの恐怖。
もし船が来なかったら、全員無駄死にだ。
『……何とかなるんやな? 船は、絶対に来るんやな?』
ノアの声が震えている。
「ええ、絶対に来るわ。私たちの船長は、口は悪いし乱暴だが――そういう約束は守る男よ」
レベッカは断言した。
ギデオン・マクレーンは、部下を見捨てるような真似はしない。
その確信が俺にもあった。
『……分かった。信じる』
ノアは力強く頷くと、拠点に残してきた生存者たちへの回線を開いた。
『聞こえるか! ワイや、ノアや! ……ああ、無事や。それよりよう聞け!』
ノアは叫んだ。
『今すぐ荷物をまとめて、裏口から出ろ! ルートデータ送るさかい、それ見て宇宙港へ走れ! 迎えの船が来る! ここから出られるんや! 信じて走るんや!!』
通信の向こうから、どよめきと、そして希望に満ちた応答が聞こえた気がした。
賽は投げられた。
もう後戻りはできない。
「よし、行くぞ」
ノアの案内によれば、このシャフトを登り切れば、宇宙港の資材搬入デッキに出るという。
そこが、最終ステージだ。
俺たちは、腰のアタッシュケースの重みを感じながら、ワイヤーを射出した。
ウィンチが唸りを上げる。
目指すは、タルタロスの端。
俺が最初に目覚めた、あの場所へ。
俺たちは闇の中を上昇し始めた。




