第30話
狭く、埃っぽい通気ダクトの闇を這い進むこと数十分。
先頭を進んでいたノアが足を止め、ハンドサインを送ってきた。
行き止まり――いや、出口だ。
目の前には四角い金属格子があり、その隙間から微かな光が漏れ出している。
「……待ってくれ」
俺はハンドサインで後続のハルたちを制止し、ノアと位置を入れ替わった。
いくら「裏道」とはいえ、出口が敵の巣穴に直結している可能性もゼロではない。
まずは俺が降りて、安全を確保する。
俺は『村雨』の柄に手をかけ、センサー感度を最大まで引き上げた。
格子の向こう、熱源反応なし。
音響センサー、異常なし。
俺は格子を固定しているボルトを村雨で切断すると、音を立てないよう慎重に内側へと取り外した。
開いた穴から、音もなく身を躍らせる。
スタッ。
着地と同時に膝を曲げ、衝撃を殺す。
即座に周囲へ視線を走らせた。
右、クリア。
左、クリア。
「……大丈夫だ。降りてきてくれ」
俺の合図を確認すると、巨体のハルが「うぐぐ……」と唸りながら這い出し、レベッカが軽やかに降り立ち、最後に案内人のノアが飛び出してきた。
「……ふぅ。やっと広いところに出られたな」
俺はバイザーに付着した埃を払い、改めて周囲を見渡した。
そして、警戒を解くと同時に、思わず口笛を吹きそうになった。
そこは、ついさっきまで俺たちが這いずり回っていた、埃と錆にまみれた整備通路とは別世界だった。
足元には、うっすら埃こそ被っているものの、かつては深紅だったであろう厚手の絨毯が敷き詰められている。
壁には上品な照明器具が並び、抽象画が飾られている。
空気も違う。
腐臭も機械油の匂いもしない。
空調が止まって久しいはずだが、ここには時間が止まったような静謐な空気が満ちていた。
『どや? 予定通り、管理区画のど真ん中や』
ノアが得意げに胸を張る。
『あの特殊部隊連中は、まだ正規ルートでアビスウォーカーとかくれんぼしてる頃やろ。これが「現地民」の知恵っちゅうやつや』
「……恐れ入ったな」
俺は素直に称賛した。
周囲に戦闘の痕跡はなかった。
壁に弾痕もなく、床に薬莢も落ちていない。
アビスウォーカーの侵入を許しておらず、そして何より――ライバル部隊が到着した形跡もない。
「完璧だ。……ありがたい」
俺はニヤリと笑い、『村雨』の柄に手をかけたまま、回廊の奥へと進んだ。
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回廊の突き当たりに、その扉はあった。
両開きの重厚な扉。
表面には幾何学模様のレリーフが彫り込まれ、ここがただのオフィスではなく、このコロニーにおける重要人物のための空間――VIPルームであることを主張している。
俺はHUDの戦術解析モードを起動し、周囲をスキャンした。
「……ビンゴだ」
以前、エアロックで微弱に感知した信号とは比べ物にならない。
明確で、強力なパルス信号が、この扉のすぐ向こう側から発信されている。
「近いぞ。……ターゲットはこの扉の向こうだ」
俺が告げると、レベッカが前に出た。
彼女は扉の横にあるセキュリティパネルのカバーを外し、自身の持つタブレットから伸びる接続ケーブルをポートに差し込んだ。
「周りを警戒してて。……すぐに開けるわ」
彼女の指先が、空中の仮想キーボードを高速で叩く。
パネルのLEDが激しく明滅し、解析プログラムがファイアウォールを食い破っていく。
「セキュリティレベルは高いけど、所詮は旧式のコロニーものよ……」
カチリ。
小さな、しかし決定的な解錠音が響いた。
「……はい、開いたわ」
油圧シリンダーが作動し、重厚な扉が左右へとスライドしていく。
俺たちは互いに目配せをし、警戒態勢を取りながら室内へと踏み込んだ。
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中は、広々とした応接室だった。
マホガニー調の巨大なデスク。
来客用の上質な革張りソファ。
壁一面の本棚には、紙の本が並んでいる。
電子化が進んだこの世界において、これほどの「紙」を所有できるのは、一部の特権階級だけだろう。
だが、俺たちの目はそれらの調度品には向かなかった。
視線は一点。
部屋の最奥、主のいないデスクの上に鎮座する、一つの物体に吸い寄せられた。
銀色のアタッシュケース。
何の変哲もない、だが異様な存在感を放つ金属の箱。
俺はゆっくりとデスクに歩み寄り、そのケースに触れた。
ひんやりとした金属の感触。
持ち上げてみる。
ずしりとした重みが、腕のアクチュエーターを通して伝わってくる。
『ターゲットID照合:完了 回収対象品です』
視界のHUDに、待ち望んでいた緑色のログが流れた。
「あった。……間違いなくこれだ」
俺は息を吐き出し、ケースを軽く叩いた。
あっけない。
拍子抜けするほど、簡単だった。
もっと激しい戦闘、ボス級のアビスウォーカーとの死闘を覚悟していただけに、この静けさは逆に不気味ですらある。
これがゲームなら、宝箱を開けた瞬間にファンファーレが鳴り響くところだが、ここにはただ空調の切れた部屋の静寂があるだけだ。
だが、ミッションコンプリートだ。
俺たちは勝ったのだ。
先行していた謎の部隊を、裏道を使って出し抜いた。
「さあ、帰ろうぜ。……これをユイに届けよう」
俺はアタッシュケースを背中のマウントラッチに固定しようとした。
「……あの、アキトさん」
不意に、ハルが震える声を出した。
彼は『タイラント』の頭部を左右に振らせ、落ち着かない様子で周囲をキョロキョロと見回している。
「早く、撤収しましょうよぉ……。なんか、嫌な予感がします。背中がゾワゾワするんです」
ハルの直感。
臆病な彼だからこそ感じ取れる、予知のような危機察知。
レベッカもまた、愛銃のグリップを握り直している。
「珍しく同感ね。長居は無用よ。静かすぎるわ。敵部隊がいつ追いついてくるか分からない」
「ああ、そうだな。撤退しよう。……来た道を戻って、ノアの拠点の生存者たちを――」
俺がケースを固定し、踵を返した、その瞬間だった。
シュッ。
爆音ではない。
空気を鋭利な刃物で裂くような風切り音。
そして、極限まで消音された、乾いた発射音。
ジュッ!
俺の足元、つま先からわずか数センチ先の床絨毯に、焦げた弾痕が穿たれた。
カーペットの繊維が焼け、微かな煙が立ち上る。
もし俺が、あと一歩踏み出していれば。
その弾丸は俺の脚部関節を正確に撃ち抜き、機動力を奪っていたはずだ。
「――ッ!?」
反射的に、俺たちは散開した。
ハルが盾を構え、レベッカがソファの陰に飛び込み、ノアが壁際に身を寄せる。
俺は『村雨』を引き抜き、弾が飛んできた方向――入り口の扉へと視線を向けた。
いつの間に?
センサーには反応がなかった。
足音一つ、気配一つさせずに、ここまで接近したというのか?
入り口のドアの向こう。
薄暗い廊下の闇から、音もなく複数の影が滲み出てきた。
『――そこで止まれ』
感情のない、機械的に加工された男の声が響いた。
抑揚がなく、まるで合成音声のような冷たさ。
現れたのは、四機の義体だった。
全身をダークグレーの都市迷彩塗装で統一した、中量級の機体。
無駄な装飾は一切なく、センサー類は光の反射を抑えるコーティングが施されている。
手にしているのは、サプレッサー付きのアサルトライフルや、高出力のパルスライフル。
それぞれの機体が互いの死角をカバーし合う、完璧なフォーメーション。
一目で分かった。 こいつらは、ただの荒くれ者じゃない。
訓練された、本物の「兵隊」だ。
『……こいつらや』
壁際で、ノアが呻くような声を上げた。
その銃口が、怒りと恐怖でわずかに震えている。
『自分らの前に来て、問答無用で撃ってきよった連中や……!』
やはりか。
俺たちが「裏道」を使って出し抜いたはずの、ライバル部隊。
だが、奴らは遅れて到着したわけではない。
まるで俺たちがここに来ることを予期し、待ち伏せていたかのようなタイミングだ。
先頭に立つ指揮官機らしき機体が、俺の腰のアタッシュケースに視線を固定した。
赤いモノアイが、冷徹に光る。
『ご苦労だったな、コソ泥諸君』
指揮官機が銃口を突きつけたまま、淡々と告げる。
『手間が省けた。我々がセキュリティを解除する手間を、君たちが代行してくれたわけだ』
俺は舌打ちした。
奴らは最初から、俺たちを「鍵開け役」として利用するつもりだったのか。
どちらにせよ、状況は最悪だ。
出口は一つ。
そこを、完全武装のプロ集団が塞いでいる。
逃げ場はない。
『そのケースを置いて下がれ』
指揮官機の指が、トリガーに掛かるのが見えた。
『さもなくば、処理する』
交渉の余地など欠片もない、宣告。
張り詰めた殺気が、VIPルームの空気を凍りつかせていった。




