第29話
張り詰めていた糸が切れ、緩やかな空気が流れる。
バリケードの内側は、地獄のようなコロニーの中で唯一、穏やかな時間が流れている場所になっていた。
俺は義体のジェネレーター出力をアイドリング状態に落とし、束の間の休息を取っていた。
ハルは『タイラント』から降り、隅の方で座り込み、緊張のあまり凝り固まった筋肉をほぐしている。
レベッカは周囲への警戒を怠らないものの、その銃口は下ろされていた。
「それにしても、よくこの装備で生き残ったな」
俺は改めて、目の前の『ジャンクハウンド』をしげしげと眺めた。
初期装備。
最低限の出力と、紙のような装甲。
俺も最初はこれに乗っていたが、すぐに乗り換えた。
「物好きだな。いわゆる『縛りプレイ』ってやつか? 愛着があるのは分かるが」
俺の問いに、ノアは機体の肩をすくめ、乾いた笑い声を上げた。
『縛りプレイ? アホ言え。そんな余裕あるわけないやろ』
ノアは手元のショットガンのメンテナンスをしながら答えた。
『ログインした瞬間、いきなりアビスウォーカーの群れに囲まれとってな。……いわゆる「リスキル」寸前の状態からのスタートや』
「……酷いな、それは」
『せやろ? そこからは必死や。武器を拾い、パーツを剥ぎ取り、修理しながら戦い続ける毎日や。ま、昨日、新品を見つけて乗り換えたけどな』
ノアの言葉には、実感を伴う重みがあった。
俺とは違うスタートからの流れを彼は辿ってきているようだ。
『それに、ワイには守らなあかん連中がおったしな』
ノアが顎でしゃくった先。
居住モジュールの奥、分厚い隔壁の向こうに、人々の気配がある。
『あの中に13人おる。研究員や整備員……みんな、逃げ遅れた連中や』
「13人も生き残っていたのか」
俺は驚きと共に、奥を見やった。
生存率ゼロと言われていた場所で、これだけの数を守り抜いたのか。
このプレイヤーの腕前は本物だ。
『ま、ワイ一人の力やない。あいつらが必死にバリケードを作って、ワイが外で暴れて囮になる。……そうやって、なんとか今日まで生き延びてきたんや』
ノアの声には、共に死線を潜り抜けてきた仲間への情が滲んでいた。
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場の空気が和んだところで、俺はずっと気になっていたことを切り出した。
「ところでノア。……なんであんな過剰な罠を張って警戒してたんだ?」
エレベーターシャフトのアビスウォーカーに対するレーザートラップとは違う。
監視カメラでの慎重な接触と、先ほどの「人」に対する強烈な殺気。
「救助を待ってるなら真っ先に駆け付けるもんだろ、さっきのは明らかに人を警戒してる動きだった」
俺の問いに、ノアの手が止まった。
機体のカメラアイから、陽気な色が消える。
『……それがな、自分らの前にも人が来たんや』
ノアの声のトーンが、一段低くなった。
『数時間前や。……上から降りてきた奴らがおったんや』
「俺たち以外にか?」
『ああ。けど、自分らみたいな「話の通じる相手」やなかった』
ノアは忌々しげに吐き捨てた。
『所属不明の部隊や。全身をダークグレーの都市迷彩で統一した、特殊部隊みたいな連中やった』
俺とレベッカが顔を見合わせる。
ブリーフィングの話にはなかった存在だ。
『最初はな、ワイも救助隊かと思うて、スピーカーで呼びかけたんや。「ここは安全や、生存者がおる」ってな』
ノアは悔しそうに拳を握りしめた。
『そしたら、あいつら何て言うたと思う? 「生存者はどうでもいい。チップのありかを知ってるか」やと。……知らんと答えたら、即座にスピーカーへ撃ってきよった』
「いきなり発砲?」
ハルが息を呑む。
『問答無用やったわ。民間人を保護する気なんてサラサラない。邪魔な石ころをどかすみたいに、躊躇なく弾を打ち込んできよった』
ノアは急いでバリケードを閉鎖し、籠城の構えを取ったという。
相手は強力な火器を持っていたが、強引に突破しようとはせず、迂回して去っていったらしい。
『あいつら、焦っとったんや。こんな堅牢なバリケードを崩してドンパチやって時間を食うより、先を急ぐことを優先しよった』
「……無駄な交戦を避けて、目標へ直行する」
レベッカが冷ややかな声で分析を加える。
「プロの手口ね。おそらく『アルカディア』の差し金か、あるいは火事場泥棒の武装傭兵団。……いずれにせよ、ろくな連中じゃないわ」
状況が繋がった。
俺たち以外にも、このコロニーにある「チップ」を狙っている勢力がいる。
しかも、奴らはすでにここを通過し、先行しているのだ。
「……厄介なことになったな」
俺はゲーマーとしての思考スイッチを入れた。
単なる「ダンジョン攻略」から、状況が変わった。
「つまり、ライバルチームとの『競争』ってわけだ」
先行している敵部隊は、すでに最深部近くまで到達している可能性がある。
もし彼らが先にチップを手に入れれば、ミッションは失敗。
さらに、奴らが証拠隠滅のために管理区画ごと爆破したりすれば、チップどころか俺たちの命もない。
俺は決断し、ノアの方を向いた。
「ノア。悪いが、救助の前にチップを回収する」
『……なんやと?』
「敵より先に確保しないと、取り返しがつかなくなる。ミッション失敗だけならまだいいが、奴らにチップを渡せば、ここの生存者の命も危ういかもしれない」
犯罪者は目撃者を残さないことが多い。
チップを回収した帰り道に、ついでにここを掃除していく可能性は高い。
「俺たちが先行してチップを確保し、奴らを叩く。……あんたはここで待っていてくれ。俺たちが戻るまで、ここの人たちを守ってやってほしい」
「ええっ!? ノアさんを置いていくんですか?」
ハルが驚きの声を上げるが、レベッカは「妥当な判断ね」と頷いた。
「ここの守りが手薄になれば、アビスウォーカーや、戻ってきた敵部隊に襲われた時に全滅するわ。ノアには防衛に専念してもらうのが一番合理的よ」
戦力の分散は避けたいが、拠点の防衛も重要だ。
これが最適解だと思った。
だが。
『――アホか』
ノアは首を横に振った。
力強く、明確な拒絶。
『いや、ワイも行く。連れて行け』
「……足手まといになるとは言わないが、ここの守りはどうする? あんたがいなくなれば……」
『ここなら大丈夫や。さっきの襲撃の後、さらに厳重にロックをかけた。外からは戦車でも持ってこん限り開かんし、中には一週間分の食料もある』
ノアは一歩前に出た。
そのセンサーアイが、強く俺を見据えている。
『それに、ワイがいた方が絶対に速い』
ノアは左手をかざし、空中にホログラムマップを展開した。
そこに映し出されたのは、正規の通路マップではなく、複雑に入り組んだ血管のような配管図だった。
『見てみぃ。……ワイはここで一週間、食料とパーツを求めて這いずり回ってたんや。この壊れかけたコロニーの構造なら、設計者よりも詳しいで』
彼が指差したのは、メインシャフトの裏側を走る、細い通気ダクトのラインだった。
『連中は主要な迂回路を通ってるはずや。そこは道幅もあって進みやすいからな。……けど、ワイなら「裏道」を知っとる』
ノアの言葉に、俺はピンときた。
ショートカット。
正規ルートを無視して、壁抜けやダクト移動でボス部屋まで直行する、RTA走者の常套手段。
『アビスウォーカーの巣を回避し、奴らの裏をかいて最深部へ直行できるメンテナンス用のダクトがある。そこを通れば、奴らを追い越せるで』
先行者を出し抜くための、地元の利。
これ以上の切り札はない。
「……なるほど、それはありがたい」
俺はニヤリと笑った。
現地の地形を知り尽くしたガイドの加入。
これで成功率が一気に跳ね上がった。
「こちらこそ、お願いしたいぐらいだ。よろしく頼む」
『決まりやな!』
ノアが嬉しそうにショットガンを構え直す。
「レベッカ、ハル。フォーメーション変更だ。ノアを先頭に、俺が遊撃、ハルが殿、レベッカは全体支援」
「了解。……頼りにしてるわよ、ガイドさん」
レベッカも微かに口元を緩める。
ハルは「よ、よろしくお願いしますぅ!」とペコペコ頭を下げた。
「歓迎するぜ、ノア。……よろしく頼む」
『おう、任しとき! 最速で案内したるわ!』
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ノアは生存者たちに無線で「ちょっと野暮用で出かけてくる。すぐに戻るから鍵を閉めておとなしくしててくれ」と告げると、コンソールを操作し、完全封鎖モードへと移行させた。
分厚い隔壁が三重にロックされ、完全に外部と遮断される。
これで、俺たちが戻るまでは誰も入れないし、誰も出られない。
『よし、行くで!』
ノアが案内したのは、バリケードの隅にある、ハルの『タイラント』がギリギリ通れるかどうかの狭い通気口だった。
そのカバーを外し、彼は器用に身を滑り込ませていく。
『狭いけど我慢してな。ここを抜ければ、管理区画の真裏に出られるバイパスや』
「狭い……僕、通れるでしょうか……」
ハルが不安そうに巨体を縮こまらせるが、俺たちが続く。
暗闇と、埃っぽい空間。
だが、その先には逆転の一手が待っている。
先行した謎の部隊を出し抜き、チップを奪取する。
俺たちは、闇の奥にある「裏道」へと足を踏み入れた。




