第3話 G.F.000.2
ノイズ混じりの視界の向こう、破壊された隔壁の暗闇で、新たな怪物の赤い眼が、二つ、三つと点灯するのが見えた。
それはまるで、地獄の窯の火が次々と灯されるかのようだった。
一体ですら死闘を強いられたというのに、今度は群れで襲いかかってくるらしい。
「自己紹介は後だ。まだ奴らが残ってる」
一体目を倒したことで得た高揚感が、俺の口元にあるスピーカーから歪んだ笑い声を響かせる。
クソゲー上等。
絶望的な状況であるほど、ゲーマーの魂は燃え上がる。
残った片腕でパルス・アサルトライフルを担ぎ直し、その銃口を暗闇へと向けた。
1v1を繰り返せば、何とか倒せる。
お前らの命、おいしくいただいてやる。
引き金に指をかけ、獰猛な笑みを浮かべた、その刹那。
視界の端で、赤い警告表示が激しく点滅した。
『警告:右腕部、動力系統クリティカルエラー。エネルギー供給を停止します』
「は?」
アクチュエーターが断末魔のような低い唸り声を上げたかと思うと、プスン、ガスが抜けるような音と共に、腕から急激に力が抜けていく。
支えを失ったライフルの重みが、錆びついた指の関節をこじ開けた。
ガシャン!という耳障りな金属音が、静寂を取り戻しかけていた区画に虚しく響き渡る。
俺の唯一にして最強の武器だったライフルは、床を転がっていった。
「まじかよ! よりにもよって、ここでエネルギー切れか!」
高揚感は一瞬で氷水に叩き込まれたように消え失せ、代わりに冷たい焦りが背筋を駆け上る。
左腕は根元から千切れ、頼みの綱だった右腕も完全に沈黙した。
武器を拾うことすらできない。
もはや、この義体はただの歩くカカシだ。
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思考を切り替えるのに、コンマ一秒も必要なかった。
隔壁の向こうから、甲高い咆哮と、複数の多関節の脚が金属の床を軋ませるおぞましい音が急速に近づいてくる。
戦闘は不可能。
残された選択肢はただ一つ。
「逃げるぞ!」
俺は即座に踵を返し、背後でへたり込んでいる少女――ユイ・アマミヤに叫んだ。
「おい、嬢ちゃん! ここから逃げる方法はあるか? 船でもポッドでも何でもいい!」
「は、はいっ!」
ユイは俺の気迫に押されたようにびくりと肩を震わせ、恐怖に引きつった顔で一点を指差した。
「あちらの……第3ドックに、私が乗ってきたシャトルがあります!」
「案内しろ! 急げ!」
「は、はい!」
ユイは必死に立ち上がろうとする。
だが、か細い足がガクガクと震え、力なくその場に再びへたり込んでしまった。
恐怖が、彼女の身体から自由を奪っていた。
「ご、ごめんなさい……腰が、抜けてしまって……」
そりゃそうか、普通は恐怖で動けなくなるか。
一瞬、脳裏に彼女を見捨てる、という選択肢が浮かんでしまった。
だが、この状況で彼女を見捨てるということは選べなかった。
ゲームのセオリーとして、重要NPCを見捨てるのはクエスト失敗を意味する。
何より、このリアルすぎる世界で、目の前の命を見殺しにするなど、寝覚めが悪すぎる。
「立てないなら担ぐまでだ。しっかり掴まってろ!」
俺はユイの前に屈み、傷だらけの背中を向けた。
所々から火花を散らす装甲は、乗り心地が良くはないだろうが彼女には我慢してもらうしかない。
ユイは一瞬躊躇ったが、背後から迫る死の気配に、必死の形相で俺の背中にしがみついた。
冷たく、硬い金属越しに感じる、わずかな体温。
不規則に稼働するモーターの振動と、内部から漏れ聞こえる耳障りなノイズが彼女を揺らした。
「行くぞ!」
ユイの華奢な身体の重みが、満身創痍の義体に追い打ちをかける。
俺は軋む脚部を強引に動かし、立ち上がった。
視界の端に表示されたドックへの案内表示だけを頼りに、全力で走り出す。
一歩踏み出すごとに、脚部の関節が悲鳴を上げた。
全身の装甲がガタガタと不協和音を奏でる。
視界のノイズはますます酷くなり、もはや数メートル先を認識するのも困難だった。
背後から迫るおぞましい足音は、一つではなかった。
二つ、三つ……。
濡れたような黒光りする外殻、無数の赤い単眼、そして明確な殺意が、すぐそこまで迫っていた。
ユイは恐怖で声を上げそうになるのを必死にこらえ、俺の首に回した腕に力を込める。
彼女の耳元で、俺の義体の冷却ファンが、限界を告げるように甲高い悲鳴を上げ続けていた。
火花を散らす剥き出しの配線、真空に吸い出される空気の轟音、点滅する非常灯が照らし出す破壊された通路――地獄のような回廊を、俺たちはただひたすらに駆けた。
どれくらい走っただろうか。
通路の角を曲がった先、不意に視界が開けた。
「あれです!」
ユイが叫ぶ。
その先には、比較的小さなドックに停泊している一機の小型シャトルがあった。
ハッチは開かれ、まるで俺たちを待っていたかのように、船へと続く搭乗橋が下ろされている。
希望が、すぐそこにあった。
だが、安堵が油断を生んだのかもしれない。
一体の怪物が地を蹴り、驚異的な跳躍で天井を這い、俺たちの進路を塞ぐように目の前に着地する。
同時に、背後からも残りの群れが迫っていた。
挟み撃ちだ。
「しまっ――!」
クソ、ここまでか。
脳裏に浮かんだのは、あまりにもあっけないゲームオーバーの文字だった。
だが、それは……。
背中に意識を向ける。
義体を通して、背負った少女の震えが、押し殺したような嗚咽が伝わってくる。
リアルだ。
これをゲームと割り切れない自分が心の底から声を上げている。
俺が死ぬだけじゃない。
俺が死ねば、この少女も一緒に喰い千切られるのだ。
「冗談じゃねえ……! こんな理不尽な終わり、認めるわけにはいかねえんだよ!」
久々に俺の魂が燃えている。
絶望的な状況に、俺は悪態ではなく咆哮を叩きつけた。
その時だった。
「これを!」
その時、背中で震えているだけだと思っていた少女、ユイが、必死の声を上げた。
震える指が、俺の首筋――剥き出しになったメンテナンス用のポートに、カートリッジ型のチップを突き立てる。
『スキル起動:思考加速』
瞬間、世界から音が消え、時間の流れが粘性を帯びて引き延ばされる。
焦りでオーバーヒートしていた思考回路が強制的に冷却され、超高速の演算を開始した。
ノイズだらけの視界から、必要な情報だけが瞬時に抽出されていく。
怪物の攻撃角度、到達時間、壁までの距離、そして――通路の先にある隔壁の緊急閉鎖スイッチ。
策は、ある。
突破口は、そこしかない。
「お嬢ちゃん、舌噛むなよ!しっかり、掴まってろ!」
俺は義体に残された力を振り絞り、床を蹴った。
怪物の鎌が床を叩き割るコンマ数秒前、俺たちはその懐をすり抜ける。
そしてその先の隔壁を通り抜ける、その一瞬。
俺は全身をコマのように回転させた。その遠心力を利用し、完全に沈黙していたはずの右腕を鞭のようにしならせる。
狙いは一つ。
壁面の緊急閉鎖スイッチ。
ガギンッ!
遠心力で振りぬかれた鉄の拳が、狙い過たずスイッチを叩き潰した。
直後、背後で分厚い隔壁が閉鎖される。
追撃しようとした怪物の巨体が隔壁に阻まれ、断末魔のような甲高い咆哮が通路に響き渡った。
耐圧隔壁なら数十秒間の足止めにはなるはずだ。
俺は再びシャトルだけを目指し、砕け散りそうな脚で最後の疾走を開始した。
だが、それでも悪夢は追撃を止めない。
『グシャァァァッ!』
追いついてきた怪物のうち一体が、閉じた隔壁に体当たりしたのだろう。
俺たちのすぐ横を隔壁の残骸が飛んでいく。
背後から隔壁が、引き裂かれる音が聞こえた。
次の瞬間、火花と金属の破片が嵐のように吹き荒れ、俺たちの身体を叩いた。
「うおおっ!」
俺は咄嗟に床を滑るようにして衝撃を回避し、最後の力を振り絞った。
シャトルはもう目の前だ。
軋む関節が砕けるのも構わず、文字通り搭乗橋へと転がり込む。
「早く!」
俺はユイを中に降ろすと、壁の緊急閉鎖ボタンに思いっきり頭突きした。
シャトルと搭乗橋を隔離するための分厚い壁が、凄まじい轟音と共に閉鎖を開始する。
その隙間から、怪物のおぞましい頭部が覗いた。
無数の赤い眼が、憎悪を込めて俺たちを睨めつける。
ガギンッ!
閉鎖直前、怪物の爪がハッチに叩きつけられる凄まじい衝撃が搭乗橋を揺るがした。
隔壁が少しづつ歪んでいく。
俺達は這うようにシャトルへ乗り込む。
シャトルのハッチが閉まる音がした。
そして聞こえるのは、隔壁がきしむ音と自身の義体から上がる悲鳴のようなノイズ、そして、ユイの荒い呼吸だけになった。
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床に倒れ込んだまま、俺はぴくりとも動けなかった。
全身から黒い煙が立ち上り、視界の端では、数えきれないほどのシステムエラーの警告ログが滝のように流れては消えていく。
『緊急離脱シーケンス、作動。自動航行を開始します』
不意に、シャトル内に落ち着いた合成音声が響いた。
搭乗橋とシャトルのロックが外れる音が響く。
それまで働いていた人口重力が途切れ、体が宙にふわりと浮く。
穏やかな振動と共に、船体がコロニーを離れるのがわかった。
おそるおそる二人で窓の外を見た。
そこには、破壊されたコロニーの残骸がゆっくりと遠ざかっていく光景が広がっていた。
先ほどまで俺たちがいたドックでは、シャトルを逃した怪物たちが怒り狂ったように暴れているのが見えた。
助かったのだ。
安堵したユイが、煙を上げる俺の元に駆け寄ってきた。
「あの……大丈夫ですか!? しっかり!」
彼女の必死の声が、ノイズの向こうから微かに聞こえる。
俺は義体に残された最後の力を振り絞り、口元のスピーカーから歪んだ音声を再生させた。
「……ああ。……最悪の……チュートリアルだったぜ……」
その言葉を最後に、ジャンクハウンドの頭部センサーで明滅していた赤い光がふっと消えた。
『省電力モードに移行します』
視界の端にメッセージが流れる。
生命の灯火が消えるように、俺の意識は義体からフェードアウトしていく。
静寂に包まれたシャトルは、ただ星々の海を定められた目的地へと進んでいった。




