第25話
『熱光学迷彩、展開率100%。……これより、完全なステルスモードに入る。暖房も切るぞ、凍えてちびるなよ』
ギデオンのアナウンスと共に、船内の空調音がプツリと途絶えた。
途端に、鉛のような沈黙が『スターゲイザー』の格納庫を支配する。
非常用灯の赤い光だけが、ボンヤリと機体の輪郭を浮かび上がらせている。
装甲板の向こう側は、絶対零度の宇宙空間だ。
熱源を遮断した船内温度は、秒単位で下がっていく。
「さ、寒いですぅ……」
通信機越しに、ハルの震える声が響いた。
彼の『タイラント』は重装甲だが、断熱性能はともかく、パイロットスーツ自体の防寒機能は限界があるのだろう。
「我慢しなさい。エンジンをふかして暖房をつけた瞬間、私たちは外にいる数万匹の化け物の餌になるのよ」
レベッカの冷静な、しかし氷のように冷たいツッコミが入る。
彼女の吐く息が白く染まり、モニターの前で揺らめいているのが想像できた。
「わ、分かってますけどぉ……。これじゃあ、戦う前に凍死しちゃいますよぉ」
「ハル。お前のその着膨れした装備なら、あと三時間は持つだろ」
俺が軽口を挟むと、ハルが「酷いですアキトさん!」と抗議の声を上げた。
だが、そのやり取りのおかげで、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
『無駄口はそこまでだ。……ここからは咳払い一つ許されねえぞ』
ギデオンの低い声が、その場の空気を再び引き締めた。
『外を見ろ。……歓迎パレードのお出ましだ』
俺は『ナイトハウンド』の視覚センサーを、船のモニターにリンクさせた。
そこに映し出された光景に、冗談を言う余裕は一瞬で消し飛んだ。
***
窓の外は、宇宙の水族館だった。
『スターゲイザー』は今、慣性航行でアビスウォーカーの群れの中へと滑り込んでいる。
船体表面の温度を周囲の宇宙空間と同調させ、さらに光学迷彩で景色を透過させているため、奴らの目にはこの船が見えていないはずだ。
はずだが――。
「……うわ、近い」
思わず呻き声が漏れた。
すぐ目の前、触れれば届きそうな距離を、異形の怪物が横切っていく。
全長十メートルはある、エイのような形状をした遊泳型。
その背中には無数の赤い複眼が埋め込まれ、ヒレの先からは鋭利なスパイクが突き出している。
そいつが、音もなく船の横をすり抜けていく。
本当に、音がないのだ。
真空の宇宙だから当たり前だが、その無音の行進が、映像のグロテスクさを際立たせている。
「右舷、甲殻型が三体。……距離、5メートル」
レベッカが淡々と報告する。
巨大なカニやクモを混ぜ合わせたような多脚型のアビスウォーカーが、節のある足をワシャワシャと動かしながら漂っている。
そのハサミのような顎が、カチカチと動いているのが見えた。
「ひぃっ、こ、こっち見てませんか!? あの赤い目、絶対こっち見てますよぉ!」
ハルが半泣きで叫ぶ。
「落ち着けハル。奴らは熱と光に反応する。こっちが動かなければ、ただのデブリだと思ってるはずだ」
俺は努めて冷静に言い聞かせながら、目の前のモニターを凝視した。
ゲーマーとしての分析をフル回転させる。
(……動きが規則的だ。ランダムに漂っているように見えて、一定のルートを巡回している)
俺は視界の端でマーキングを行い、奴らの移動ベクトルを解析した。
エイ型はコロニーの外周を大きく旋回。
多脚型は外壁に近い場所を細かく移動している。
「それにしても、高解像度のモデリングだな……。質感といい、動きのアルゴリズムといい、よく出来てる」
恐怖よりも、その生態への興味が勝り始めていた。
こいつらは、どういうルーチンでコロニーを見つけた?
そしてなぜ今はこのコロニーをまるで巣を守るように取り囲んでいる?
その時だった。
ヌゥッ……と。
船の前方の視界が、巨大な影に覆われた。
「な……ッ!?」
ギデオンが息を呑む気配が伝わる。
バスくらいの大きさがある、クジラのようなアビスウォーカーだ。
そいつが、船の進路上に立ちはだかるように漂ってきた。
そして、ゆっくりとこちらを向く。
船のフロントキャノピーに、そいつの巨大な顔――顔と呼べるならだが――が密着する。
ガラス一枚を隔てて、無数の赤い眼球がギョロギョロと船内を覗き込んだ。
近すぎる。
装甲の薄いキャノピーなら、一撃で粉砕される距離だ。
『……動くなよ。瞬きもするな』
ギデオンの押し殺した声。
操縦桿を握る彼の手が、脂汗で滑りそうになっているのが分かる。
怪物の赤い瞳が、船内の俺たちを探るように動き回る。
ハルのタイラントが、カタカタと小さく震えている振動が床を伝ってくる。
数秒が、数時間にも感じられた。
やがて、怪物は「ただの岩塊か」と判断したのか、興味なさげに身を翻した。
巨大な尾びれが、船の鼻先を掠めるようにして遠ざかっていく。
『……行ったか』
船内に、安堵の溜息が重なった。
「心臓に悪いわね……。あんなのと目が合うなんて、最悪よ」
レベッカが毒づく。
「さ、酸素が……息するの忘れてました……」
ハルが酸欠で喘いでいる。
『まだだ。ここからが正念場だぞ』
ギデオンが気合を入れ直す。
目の前には、ついに目的地である『タルタロス』の外壁が迫っていた。
---
コロニー『タルタロス』への接近は、針の穴を通すような作業だった。
外壁の周囲には、破壊された居住区の残骸や、かつての防衛兵器のスクラップが帯状に漂っている。
デブリベルトだ。
この中を、エンジンを使わずに慣性だけで進まなければならない。
『スラスター点火はなしだ。姿勢制御バーニアのみで抜ける』
ギデオンの神業的な操舵が始まった。
船体がゆっくりと回転し、漂う鉄骨の隙間を滑り抜ける。
カンッ、カカッ……。
時折、微細な塵が船体に当たる音が響く。
そのたびに、近くを泳ぐアビスウォーカーがピクリと反応するが、デブリ同士の衝突だと思って無視してくれる。
「右舷、居住ブロックの破片! 接触まで5秒!」
俺がレーダーを見て叫ぶ。
『見えてる!』
ギデオンが操縦桿を微調整する。
プシュッ、と圧縮ガスが噴射され、船首が数センチだけ左にズレる。
巨大なコンクリートの塊が、舷窓のすぐ横を音もなく通過していった。
「……凄いな。本当にぶつからない」
俺は素直に感嘆した。
センサーと目視、そして長年の勘だけで、この障害物競走をクリアしている。
『へっ、若い頃にやった密輸船の航路に比べりゃ、こんなのはハイウェイだ』
ギデオンは軽口を叩いているが、その額には玉のような汗が滲んでいるはずだ。
熱源探知を避けるためとはいえ、メインスラスターという推力を持たずに航行するのは至難の業だ。
一度でも判断を誤れば、デブリに衝突して損傷するか、あるいはアビスウォーカーの群れに突っ込んで終わりだ。
『目標のエアロックが見えた。……あそこだ』
ギデオンが指し示した先。
黒く焼け焦げたコロニーの外壁に、ひしゃげたハッチのようなものが見える。
廃棄区画の搬入口だ。
周囲のデブリの密度が少しだけ薄くなっている。
『船を寄せる。……距離30、20……相対速度合わせるぞ』
『スターゲイザー』が、巨大な死んだコロニーの脇腹へと寄り添っていく。
距離、わずか数メートル。
『よし、ここだ! 野郎ども、ハッチを開けるぞ! とっとと飛び移れ!』
船の動きが止まった――ように見える位置で固定された。
実際には猛スピードで慣性移動しているが、コロニーとの相対速度がゼロになったのだ。
「行くぞ、二人とも!」
俺はナイトハウンドの固定ロックを外し、エアロック室へと向かった。
続いてレベッカ、最後にハルがのっそりとついてくる。
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プシューッ……。
空気が抜ける音と共に、強襲揚陸船のカーゴハッチが開放された。
目の前に広がるのは、無限の闇と星空。
そして、手の届きそうな距離にある、コロニーの外壁だ。
ここからは、生身――いや、機体ひとつで宇宙空間を渡らなければならない。
スペース・ジャンプだ。
「お先に失礼する」
俺は躊躇なく、虚空へと身を躍らせた。
無重力の浮遊感。
俺は左腕からワイヤーアンカーを射出した。
シュッ!
アンカーの先端が、コロニー側のエアロックの縁にガチリと食い込む。
「巻き取り開始」
ウィンチが唸り、俺の身体をコロニーへと引き寄せる。
着地。
マグネットコーティングされた足裏が、金属の床に吸着する。
「クリアだ。来い!」
俺の手招きに応じ、レベッカが軽やかに跳躍した。
彼女はスラスターを細かく噴かし、優雅に着地を決める。
まるでダンスのステップのようだ。
「……さて、問題はあいつね」
レベッカが呆れたように上を見上げる。
ハッチの縁で、巨大な『タイラント』がモジモジしていた。
「ハル! 早くしろ! 船が離脱できないぞ!」
「わ、分かってますぅ! でも、足場が……!」
ハルは意を決して、ドスンと跳躍した。
だが、その巨体ゆえに勢いがつきすぎた。
「あ、あああ~~っ!?」
タイラントが空中でバランスを崩し、回転しながら突っ込んでくる。
「馬鹿ッ!」
俺とレベッカは左右に飛び退いた。
ガシャァァン!!
ハルの機体が、エアロックの縁に激突した。
それだけならまだよかった。
だが、彼がパニックで足をバタつかせた際、近くに浮遊していた金属片を蹴り飛ばしてしまったのだ。
カィィィィン……ッ!
甲高い金属音が、真空の宇宙ではなく、振動として外壁を伝わり、周囲に響き渡った。
「――ッ!」
全員の動きが凍りついた。
数十メートル先。
外壁に取り付いて休んでいた多脚型のアビスウォーカーが、ビクリと反応した。
その赤い複眼が、一斉にこちらへ向けられる。
「あ……」
ハルが絶望的な声を漏らす。
バレた。
敵が鋭い鳴き声を発し、仲間を呼び寄せようとした、その瞬間。
「させねえよ!」
俺は足元に転がっていた鉄骨の破片を掴み、渾身の力で投擲した。
ターゲットは敵ではなく、その遥か後方に漂う燃料タンクの残骸だ。
ブンッ!
投げられた鉄骨は一直線に飛び、タンクに直撃した。
ドォォン!
残っていた燃料に引火し、小規模な爆発が起きる。
派手な閃光と衝撃波。
アビスウォーカーたちは、突然の爆発に驚き、一斉にそちらの方へと殺到していった。
「……ふぅ」
俺は冷や汗を拭うふりをした。
古典的な『石投げ』による陽動だが、単純なルーチン相手なら効果てきめんだ。
「ハル、次やったら置いていくからな」
レベッカが低い声で脅すと、ハルはコクピットの中で何度も頭を下げた。
『……今のうちに離脱させてもらうぞ。お前ら、達者でな』
ギデオンの声と共に、『スターゲイザー』のハッチが閉じられる。
船はガスを噴射して船体を離すと、そのまま闇の中へと消えていった。
後に残されたのは、俺たち三人だけ。
周囲はアビスウォーカーだらけ。
そして目の前には、破損して半分開いたエアロックの扉がある。
「さて……」
俺はナイトハウンドのバイザーを、暗視モードへと切り替えた。
視界が緑色に染まり、闇の奥が浮かび上がる。
エアロックの奥。
内側の扉は内側からの圧力でひしゃげ、半開きになっている。
「ダンジョン攻略の開始だ」
俺は『村雨』の柄に手をかけ、暗黒の回廊へと足を踏み入れた。




