第17話
『村雨』が硬質な音を立てて、白い肉と骨を断ち切る。
だが、手応えが重い。
斬っても、斬っても、視界を埋め尽くす「白」が減らないのだ。
蒼白い皮膚を持つゴブリンの群れは、まるで津波のように押し寄せてくる。
前の個体が斬り殺されると同時に、後ろの個体がその死体を踏み台にして飛び掛かってくる。
その新しく生まれた死体すらも障害物となり、俺の進路を物理的に塞いでいく。
「チッ、これじゃラチが明かないな……!」
俺は焦りを滲ませながら、バックステップで距離を取ろうとした。
だが、背後にもすでに数匹が回り込んでいる。
全方位からの圧殺。
ナイトハウンドの機動力をもってしても、この肉の壁の密度の中では身動きが取れない。
このままでは押し潰される。
一度、後退するか。
「撤退」の二文字が脳裏をよぎった、その時だった。
『――え、え、援護しますぅぅぅ!!』
通信機越しに、耳をつんざくような絶叫が響いた。
ハルだ。
頭上の空気が熱波となって歪んだ。
俺のカメラアイが、頭上スレスレを通過していく赤い尾を引く光の群れを捉える。
ハルの『タイラント』が、両肩のミサイルポッドを全弾発射したのだ。
数十発のマイクロミサイルが、俺の進行方向――ゴブリンが最も密集し、壁となっていた場所へと吸い込まれていく。
連鎖爆発。
紅蓮の炎が白い群れを飲み込み、衝撃波が同心円状に広がる。
ゴブリンの四肢が、肉片が、そして悲鳴が、爆風に乗って空へと舞い上がった。
熱い。
耐熱コーティングされた装甲越しでも感じるほどの熱量をセンサーが拾う。
だが、その炎の向こうに、一瞬だけ「道」が生まれた。
「ナイスだ、ハル!」
俺は爆風が収まるのを待たなかった。
人工筋肉を最大出力で稼働させる。
泥と肉片が降り注ぐ中、焼けた空気を切り裂いて突っ込む。
生身でないからこそできる戦術だ。
焦げた肉の臭いが鼻腔センサーを焼く。
だが、足は止めない。
爆炎を突き抜けた先に、ターゲットが見えた。
距離、約五十メートル。
採掘場の最深部、赤土の崖にぽっかりと開いた暗黒の裂け目。
崩落した坑道の入り口だ。
そこから今もなお、白いゴブリンたちが溢れ出そうとしている。
「……遠いな」
俺は瞬時に距離と時間を計算した。
ハルがこじ開けてくれた道も、数秒と持たない。
すでに左右から、新たなゴブリンの波が押し寄せ、隙間を埋めようとしている。
このまま剣で切り抜けようとすれば、辿り着く前に再び囲まれ、足止めを食らうだろう。
それでは間に合わない。
また同じことの繰り返しだ。
なら、どうする?
足が届かないなら、手を伸ばせばいい。
この距離を一瞬で詰められる「暴力」を行使する。
「戦術変更だ」
俺は走りながら、右手の『村雨』を背中のマウントへと放り投げた。
カシャン、とマウントが刀身をキャッチする。
同時に、左手を腰のハードポイントへと伸ばす。
掴むのは、鋼鉄の暴れ馬。
8.8cm対物リボルバーカノン『オーガ・イーター』だ。
ズシリ、とくる重量感が、人工筋肉を通じて伝わる。
俺は親指でセレクターを弾いた。
弾種変更。
装甲を貫くための『徹甲弾(AP)』から、爆発範囲と破壊力を重視した『榴弾(HE)』へ。
シリンダーが回転し、黄色いマーキングが施された極太の弾頭が薬室へと送り込まれる。
「装甲を抜く貫通力は必要はない。入り口ごと崩す破壊力だ」
典型的なゲーマー的発想。
いわゆる「オブジェクト破壊」による攻略だ。
俺は走りながら左腕を突き出した。
照準を合わせる。
狙うのは坑道の入り口そのものではない。
その上部、崩れかけている脆そうな岩盤の支点だ。
あそこを吹き飛ばせば、数トンの土砂が蓋となって、巣穴を塞いでくれるはずだ。
だが。
「……クソッ、射線が通らない!」
視界の中、無数のゴブリンが壁となって立ちふさがる。
飛び跳ねる者、折り重なる者、木々を伝って降ってくる者。
不規則に動き回る白い障害物が、ターゲットへの射線を完全に遮っていた。
このまま撃てば、手前のゴブリンに命中し、爆風が坑道まで届かない。
チャンスは一瞬。
弾は一発。
外せばリロードの隙を突かれて終わりだ。
俺は深く、意識を沈めた。
呼吸を止め、心拍を制御し、ニューラルリンクの深度を極限まで深める。
スキルが発動した。
『思考加速』
キィィィィィィィン――――……。
世界から、ノイズが消えた。
ジャングルを揺らす爆音も、ゴブリンの叫び声も、風の音さえも、遠く引き伸ばされていく。
色彩が彩度を増し、視界の解像度が異常なまでに跳ね上がる。
スローモーションの世界。
目の前で、ゴブリンが爪を振り上げる動作が、コマ送りのように見える。
空中に舞う泥の粒子一つ一つが、はっきりと識別できる。
俺は、その凍りついた時間の中、冷静に「隙間」を探した。
白い群れが織りなす、混沌とした不規則な波。
だが、どんな混沌にも、必ず「揺らぎ」がある。
重なり合う頭と頭、腕と腕の間に生まれる、針の穴のような空間。
そこだ。
視線誘導システムが、一本の黄金のラインを描き出す。
俺の銃口から、坑道の岩盤へと繋がる、一直線の射撃ライン。
それは、わずかコンマ数秒後に生まれる未来の隙間。
「見えた」
俺は思考の引き金を引いた。
時間が戻る。
雷鳴が轟いた。
マズルブレーキから噴き出した炎が、周囲の空気を焼き尽くす。
今回は、ただ撃ったわけではない。
発砲の瞬間、俺は背中のスラスターを短く噴射し、さらに脚部のアンカーを地面に食い込ませていた。
全身の駆動系を総動員して、あのデタラメな反動を殺す。
放たれた8.8cm榴弾は、俺の意図した通り、正確無比な軌道を描いた。
飛び掛かろうとしたゴブリンの股下を抜け。 別のゴブリンの振り上げた腕の脇をすり抜ける。
密集する群れの、ほんのわずかな隙間を縫うようにして、一直線に突き進む。
そして。
ズガァァァァァァァン!!
吸い込まれるように、坑道入り口の岩盤へ着弾した。
内部で炸裂した榴弾が、支えとなっていた岩を粉砕する。
地鳴りが起きた。
支えを失った数百トンの岩盤と赤土が、雪崩のように崩落する。
溢れ出ようとしていたゴブリンたちは、断末魔を上げる暇もなく、圧倒的な質量の土砂の下敷きになった。
もうもうと立ち昇る土煙。
巣穴の入り口は、完全に巨大な瓦礫で塞がれていた。
「ふっ」
俺は熱を持った『オーガ・イーター』の銃口を下ろし、バックステップで後退する。
システムログに『ターゲット破壊確認』の文字が浮かぶ。
『ヒューッ。……やるじゃないか、新入り(ルーキー)』
通信機越しに、ギデオンが短く口笛を吹く音が聞こえた。
その声には、もう侮りも試すような響きもない。
純粋な称賛だった。
戦場の空気が一変する。
「湧き」が止まったのだ。
終わりのない絶望感を生んでいた無限の増援が途絶えたことで、圧迫感が霧散していく。
残っているゴブリンはまだ多い。
だが、補充のない敵など、ただの的だ。
『大元は塞いだ! あとは残飯処理だ、野郎ども!』
『了解ですぅ! もう怖くないです、弾切れまで撃ち尽くしますからぁ!』
ハルの声にも活力が戻っている。
タイラントのガトリングガンが、これまでの制圧射撃から、確実な殲滅射撃へと切り替わる。
逃げ場を失ったゴブリンたちが、次々と鉛の雨に打たれて崩れ落ちていく。
レベッカのライフルも、正確に大型の個体を狙い撃ち、群れの統率を奪っていく。
「さて、俺も仕上げと行くか」
俺は熱くなった『オーガ・イーター』をホルスターに戻し、背中の『村雨』を再び引き抜いた。
ここから先は、キル稼ぎの時間だ。
残党狩り。
一方的な蹂躙。
恐怖の対象だった「白」が、ただのスコアへと変わっていく。
***
二十分後。
最後のゴブリンが、俺の刃によって沈黙した。
森に、静寂が戻ってきた。
いや、正確には静寂ではない。
燃え盛る重機の爆ぜる音、冷却ファンの回転音、そして遠くで鳴く正体不明の鳥の声。
先ほどまでの耳をつんざくような狂乱の叫びは、もうない。
辺りには、むせ返るような硝煙の臭いと、鉄錆のような血の臭いが立ち込めている。
地面は赤土が見えないほど、白い死骸とどす黒い赤で埋め尽くされていた。
俺は汚れた『ナイトハウンド』の姿勢を正し、大きく息を吐いた――つもりになった。
HUDに表示される機体ステータスは、エネルギー残量20%、装甲損傷軽微。
『作戦目標:達成』
『エリア制圧完了』
緑色の文字が視界中央に浮かび上がる。
「終わったか……」
俺は視線を上へと向けた。
鬱蒼と茂る巨木の隙間、ぽっかりと開いた空。
そこには、戦いの穢れなど知らぬような、突き抜けるような青空が広がっていた。
俺は空に向かって、泥だらけの鋼鉄の拳を突き上げた。




