第14話
基地の裏手には、文明の残骸と自然の生命力がせめぎ合う、奇妙な空間が広がっていた。
「訓練場」と呼ばれるその場所は、原生林を強引に切り拓いて作られた野外演習場だ。
フィールドには、スクラップになった戦車、朽ちかけたコンクリートの壁、錆びついた貨物コンテナが迷路のように乱雑に配置されている。
昨夜のスコールをたっぷりと吸い込んだ地面は酷くぬかるんでおり、歩くだけで足首まで泥に沈む悪路だ。
「条件は最悪か。だが、燃えるシチュエーションだ」
俺はフィールドの端、スタート地点で『ナイトハウンド』の機体制御を調整しながら独りごちた。
足元の感覚が、神経接続された足裏から直接伝わってくる。
泥の粘り気、風の湿り気。
ゲームの物理演算とは思えない、圧倒的なリアリティ。
『聞こえるか、新入り。ルールはシンプルだ』
フィールドを見下ろす高台――管制塔代わりの櫓の上から、ギデオンのしわがれた声が通信機越しに響く。
『制限時間は十分。その間にハルとレベッカ、二人の『模擬撃破判定(キル判定)』を取るか……あるいは生き残って、俺のいるゴールまで辿り着くかだ』
『ああ、あと申し訳ないが、オーガ・イーターの方は模擬弾がないから使用禁止だ』
俺は視線を上げた。
フィールドの中央には、巨岩のようなシルエット――ハルの『タイラント』が仁王立ちしている。
そしてレベッカの姿はない。
この遮蔽物の多いジャングルのどこかに潜み、すでに俺の頭をスコープに捉えているはずだ。
「了解だ、ギデオン船長。……すぐに終わらせる」
俺は右手の『村雨』の柄に手をかけた。
今は刃引きされた訓練モードだが、その重みは変わらない。
『開始!』
ブザーの音が、ジャングルの静寂を引き裂いた。
***
「う、撃ちますよぉぉぉ!!」
開幕と同時だった。
さっきまでの気弱な青年のものとは思えない、裏返った絶叫が響き渡る。
同時に、『タイラント』の両腕に内蔵されたガトリングガンが火を噴いた。
ズダダダダダダダダッ!!
空気を切り裂く轟音。
ペイント弾仕様とはいえ、その質量と発射速度は脅威そのものだ。
着弾した地面が弾け飛び、ドラム缶がひしゃげて吹き飛ぶ。
「おいおい、性格変わりすぎだろ!」
俺は瞬時に反応した。
ナイトハウンドの黒い機体が、泥を跳ね上げて疾走する。
普通なら足を取られるぬかるみだが、俺は脚部の出力を細かく制御し、地面を「踏む」のではなく「滑る」ように移動していた。
右へ、左へ。
不規則なジグザグ機動。
弾幕の雨が、俺の通過した後の空間を無意味に削り取っていく。
「あ、当たらない!? なんでですかぁぁ!」
ハルの悲鳴が聞こえる。
真正面からの火力勝負なら、紙装甲のナイトハウンドに勝ち目はない。
だが、ここは遮蔽物の多い障害物競走のフィールドだ。
そして何より、相手の旋回速度は、俺の機動性に追いついていない。
「遅い!」
俺は廃車の陰から飛び出すと、脚部の人工筋肉を一気に吹かした。
黒い稲妻となって、タイラントの懐へと潜り込む。
正面衝突する勢いでの突撃。
「ひぃっ!?」
ハルが慌てて巨大なタワーシールドを構え、防御態勢に入る。
分厚い複合装甲の盾。
あんなものにぶつかれば、こっちが潰れる。
だが、それが狙いだ。
激突の寸前。
俺は『村雨』を振るうと見せかけ、盾の表面に左足をかけた。
「――お借りするぜ!」
人工筋肉が悲鳴を上げるほどの急激な収縮。
俺は敵の盾を「踏み台」にして、垂直に跳躍した。
「えっ!?」
ハルの視界から、俺の機体が消える。
黒い鉄塊が宙を舞い、太陽を背にしてタイラントの頭上を取る。
逆光の中で、俺は空中で身をひねり、無防備な敵機の背後へと着地した。
音もなく。
猫科の猛獣のように。
「チェックメイトだ、ハル」
俺はタイラントの頭部メインカメラを、背後から左手で鷲掴みにした。
『視覚センサー・ロスト。システム凍結』
判定ブザーが鳴る。
「あ、あわわ……見えな……負け、ました……」
タイラントの駆動音が落ち、ハルの力が抜けた声が漏れる。
まずは一人。
だが、安堵する暇はなかった。
***
キィン!
脳内の危険察知アラートが鳴るよりも早く、俺の足元の地面が弾け飛んだ。
遅れて聞こえる、乾いた発砲音。
遠距離狙撃だ。
「……ッ!」
俺は反射的にその場からバックステップで飛び退いた。
コンマ一秒遅れていれば、機体の脚部を撃ち抜かれていただろう。
『チョコマカと……目障りなのよ』
通信機越しに、レベッカの冷徹な声が届く。
姿は見えない。
レーダーにも熱源反応はない。
おそらく、対熱コーティングを施したギリースーツか何かで、完全に背景に溶け込んでいる。
ドンッ! 二発目。
今度は左肩の装甲を掠めた。
(見えない敵、か……)
俺はコンテナの影に身を隠し、呼吸を整えた。
普通のプレイヤーなら、パニックになって闇雲に動いて撃ち抜かれるか、動けなくなって釘付けにされるかだ。
レベッカの射撃は正確無比。
俺の進行ルートを塞ぐように弾を置き、確実にキルゾーンへと誘導している。
だが、俺はゲーマーだ。
マップの構造、射線の通り方、スナイパーが好みやすい「強ポジ」の分析方法。
それらは全て、脳内にある。
俺は視覚情報を半分カットし、意識のダイブを深めた。
風の音。
生き物の気配が途切れている場所。
そして、肌を刺すような微かな殺気。
――あそこか。
フィールドの奥、倒木と蔦が絡まり合った不自然な影。
マズルフラッシュすら見えないその一点に、俺は確信を持った。
「見つけた」
俺はシステムコンソールを操作し、ナイトハウンドの奥の手を解禁した。
エネルギーを代償に発動する、短時間の光学迷彩。
一ノ瀬博士が「バッテリー食いの無駄機能」と呼んでいたそれが、今の切り札だ。
「行くぞ!」
俺は隠れ家から飛び出した。
同時に、機体の表面色が周囲の風景と同化し、陽炎のように揺らぐ。
『消えた!?』
レベッカの焦った声。
その一瞬の動揺があれば十分だ。
俺は迷彩を維持したまま、最短距離を直線的に駆け抜けた。
泥を蹴り、障害物を飛び越え、風になる。
レベッカがスコープから目を離し、肉眼で索敵しようとしたその時、俺はすでに彼女の目の前にいた。
迷彩を解除する。
虚空から突如として現れる漆黒の死神。
「しまっ――」
レベッカが慌ててサブウェポンのハンドガンに手を伸ばす。
速い。
だが、加速したナイトハウンドの方が速い。
俺は『村雨』を逆手に持ち、すれ違いざまに彼女の首元へと刃を滑らせた。
ピタリ。
刃先が、レベッカの機体の喉元、数センチ手前で静止する。
衝撃波と風圧だけで、彼女の髪が激しく揺れた。
「取ったぜ、お姉さん」
俺はバイザーの光点をニヤリと歪めて囁いた。
レベッカが硬直する。
『……ッ』
彼女が悔しげに唇を噛む気配が伝わってきた。
***
「そこまで! 双方、武装解除!」
高台から、ギデオンの声が響き渡った。
戦闘終了の合図だ。
俺は『村雨』を背中のマウントに戻し、大きく息を吐いた。
どっと汗が噴き出してくる。
だが、それは不快なものではなく、スポーツの後のような心地よい疲労感だった。
プシュー、という音と共に、ハルがタイラントの装甲を開いて顔を出した。
彼は目を白黒させながら、俺の方へと歩み寄ってくる。
「す、すごいですアキトさん……! は、速すぎますよぉ……目が追いつかなかったです。あんな動き、データにないです!」
手放しの称賛。
先ほどのトリガーハッピーな狂戦士と同一人物とは思えない素直さだ。
一方、レベッカは憮然とした表情で、熱光学迷彩を解除して立ち上がった。
長いライフルを背負い、俺の横を通り過ぎる際、彼女はボソリと呟いた。
「……まぐれよ」
彼女は俺を見ようともせず、フンと鼻を鳴らす。
「次は眉間を撃ち抜くから。……覚えておきなさい」
捨て台詞。
だが、その声には先ほどまでの冷徹な拒絶はなく、認めたライバルに向けるような微かな熱が含まれていた。
俺は小さくガッツポーズをした。
攻略完了だ。
高台から降りてきたギデオンが、バシバシと俺の肩を叩いた。
「ピカピカのオモチャかと思ったが、中身はとんだ猛獣だったようだな。……合格だ、新入り」
ギデオンが笑う。
その笑顔は、歓迎のものだった。
俺は自分の両手を見つめた。
ゲーム画面上の数値ではない。
泥の匂い、排気熱、そして仲間たちの視線。
すべてが「実感」としてそこにある。
(これが、俺の新しい身体……)
俺は確信していた。
この世界でなら、俺はもっと自由に、もっと高みへ行ける。
だが、その余韻は唐突に断ち切られた。
ウゥゥゥゥゥゥゥゥ――ッ!!
けたたましいサイレンの音が、基地全体に鳴り響く。
訓練終了のブザーではない。
もっと切迫した、非常事態を告げる警告音だ。
「!」
その場の空気が一瞬で凍りついた。
和やかだったギデオンの表情が、一瞬にして歴戦の指揮官のものへと変わる。
『総員、第一種戦闘配置! 繰り返します、第一種戦闘配置!』
通信機に悲痛な声が飛び込んできた。
『緊急任務です! 近隣の「セクター4」にて、資源採掘部隊が原生生物『ゴブリン』の大群と交戦中! 多数の負傷者が出ています! 救援要請あり!』
ゴブリン。
この惑星に生息する、凶暴な先住生物の一種だ。
ゲームの雑魚敵とはわけが違う。
集団で重機さえも解体する、貪欲な捕食者たちだ。
「休憩は終わりだ野郎ども!」
ギデオンが叫ぶ。
「直ちに実戦だ! 弾薬補給だけ済ませろ! 機体の泥を落としてる暇はねえぞ、乗り込めッ!」
「「「了解!!」」」
ハルが慌ててコクピットに潜り込み、レベッカが弾薬コンテナへと走る。
俺もまた、踵を返して輸送機の方角へと機体を向けた。
「いきなり本番かよ」
俺はバイザーの奥で、獰猛に笑った。
「……望むところだ」
泥だらけのナイトハウンドが、唸りを上げて加速する。
模擬戦は終わりだ。
次は、命のやり取りが待つ本当の戦場だ。
~あとがき~
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