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VRゲームだと思って始めたら、ガチの宇宙戦争だった件について  作者: KEINO


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第11話

 意識のダイブ。

 それは、泥沼の底から澄み切った水面へと一気に浮上する感覚に似ていた。


 現実世界の肉体が感じていた鉛のような重力、夏の湿気、エアコンの唸り声、そしてあのハエを捉えた時に感じた神経の焼き切れるような摩耗感。

 それら全てが、光の粒となって後方へと置き去りにされていく。


 ノイズが消える。

 無限の静寂が一瞬だけ訪れ、その直後、電子の奔流が脳髄を満たした。


『システム・オールグリーン』

『生体認証パス。ニューラルリンク、深度深層にて安定』

『ようこそ、ギャラクティック・フロンティアへ』


 アナウンスと共に、瞼の裏で弾けた光が、鮮明な映像を結んでいく。


 カッ、と目を見開く。


 そこは、見覚えのある白い部屋だった。

 アマミヤ・インダストリアルが用意してくれたゲストルーム。

 壁も天井も、そして備え付けの家具に至るまで、すべてが純白と滑らかな流線形で統一された空間だ。

 塵一つ落ちていないその部屋は、生活感というものを感じない。


「……戻ってきた」


 俺はベッドから身体を起こした。

 音もなく、スムーズに。


 現実の身体よりも動かしやすい。

 思考した瞬間に、身体が最適な座標へと移動している。

 ゲームなのに現実よりもラグがない不思議な感覚。


 視界の解像度は、現実のそれを遥かに凌駕していた。

 空気中に漂う微細なホコリの粒子すら捕捉し、部屋の湿度、気温、酸素濃度が数値となってHUDの端に淡く表示される。

 

 俺は、部屋の壁面に嵌め込まれた姿見の前に立った。

 そこに映っていたのは、白一色の部屋にはあまりに不釣り合いな、異形の影だった。


「…………」


 漆黒。

 光を吸い込むマットブラックの装甲板。

 生物の筋繊維が剥き出しになったかのような、幾重にも重なる黒い人工筋肉。

 

 『ナイトハウンド』。

 夜の猟犬。


 その姿は、清潔な病室に迷い込んだ死神か、あるいは無菌室に持ち込まれた兵器のようだった。

 白い背景に、俺の輪郭だけが黒い染みのように際立っている。


 と、鏡の中の自分の顔――のっぺりとした黒いバイザー部分に、微かな光が灯っているのに気が付いた。

 チカッ、と。

 ちょうど人間の目の位置にあたる部分に、小さな赤い光点が二つ、蛍のように浮かび上がっている。


「ん? なんだこれ」


 俺は首を傾げた。

 鏡の中の機体も、同じように首を傾げる。

 すると、バイザーの赤い光点も、それに合わせて少しだけ位置を変えた。


 まさか。


 俺は試しに、意識の中で強く「瞬き」をしてみた。

 パチッ。

 赤い光点が一瞬消え、すぐに再点灯する。


 次に、眉を寄せてしかめっ面を作ってみる。

 すると、丸かった光点が、スッと横長の鋭い三角形に変形した。

 まるで怒っている目のようだ。


 今度は驚いた顔。目を見開く。

 光点がボンッと一回り大きくなり、驚愕を表現する円形になった。


「……ははっ、マジか」


 思わず声が出た。

 鏡の中の機体も、光点を三日月型に歪めて笑っている。


 表情連動機能。

 プレイヤーの表情筋の動きをセンサーが読み取り、アバターの表情に反映させる機能だ。

 最近のVRゲームでは珍しくないが、まさかこんな無骨な戦闘用義体にまで搭載されているとは。


「あのマッドサイエンティストの博士、こんな無駄機能まで仕込んでたのか」


 一ノ瀬博士のニヤついた顔が脳裏をよぎる。

 「どうだ、カワイイだろう?」なんて声が聞こえてきそうだ。


 俺は面白がって、鏡の前で色々な表情を作ってみた。

 片目をつぶってウィンク。右の光点だけが消える。

 口をへの字に曲げて不満顔。光点がジト目のように半円になる。

 ニヤリと悪い笑み。光点が凶悪な釣り目になる。


 戦闘マシーンが、鏡の前で百面相をしている図は、我ながら滑稽だった。

 だが、この鋼鉄の身体にも、俺という人間が宿っている証拠のようで、少しだけ愛着が湧いた。


 ひとしきり遊んだ後、俺は表情を元に戻した。

 バイザーの光点が、再び冷静な二つの点に戻る。


「まるで、悪役だな」


 バイザーの奥で、俺は自嘲気味に呟いた。

 スピーカーから出力された声は、低く、重厚な金属の響きを帯びている。


 だが、悪い気分ではなかった。

 この黒い手足には、今の俺が求めている「力」が満ちている。

 

 現実世界での無力感、気怠さ。

 それらを全てねじ伏せられるだけの圧倒的な暴力装置。


 俺は拳を握り、そして開いた。

 人工筋肉が微かな駆動音を立てて収縮し、鋼鉄の指が滑らかに追従する。


「行くか」


 俺は踵を返し、ゲストルームのドアへと向かった。

 ユイとの待ち合わせ場所は、コロニーの先端にある宇宙港だ。

 そこからシャトルに乗り込み、惑星N3へと降下する。


 冒険の始まりだ。



 ---



 自動ドアが開いた瞬間、俺の視界は圧倒的な「光」に満たされた。


「……っ」


 センサーの感度が調整される。

 ゲストルームのある区画から、一般居住区画へと足を踏み入れた俺の前に広がっていたのは、作り物とは到底思えない、完成された楽園の姿だった。


 頭上遙か彼方、コロニーの中心軸には巨大な人工太陽灯が鎮座し、エリア全体を柔らかな午後の陽光で満たしている。

 その光を受けて輝いているのは、クリスタルの摩天楼だ。


 通りに建ち並ぶ高層ビル群は、コンクリートの無骨な塊ではない。

 透過金属と強化ガラスで構成されたその外壁は、人工太陽の光を複雑に透過・屈折させ、まるで巨大なプリズムのように虹色の輝きを放っている。

 七色の光が空中に幾何学模様を描き、街全体が宝石箱の中にあるかのような錯覚を覚えさせる。


 その摩天楼の足元には、計算し尽くされた「自然」が広がっていた。


 幅広の歩道の両脇には、遺伝子調整された街路樹が、定規で測ったかのような等間隔で植えられている。

 鮮やかな緑の葉は一枚として枯れているものはなく、完璧な樹形を保っている。

 足元の芝生はベルベットの絨毯のように均一で、雑草の一本も見当たらない。

 風に揺れる花々は、色彩のバランスを考えて配置されており、どこを切り取っても絵画になるように設計されていた。


 そして、何より目を引くのが「川」だ。


 プロムナードの中央を流れる澄んだ水流。

 それは人工重力の理に従い、地面と共に緩やかなカーブを描きながら頭上の「対岸」へと流れていく。

 遠心力が作り出す、空へと昇る川。

 水面が光を反射しながら、ループを描いて空の彼方へと繋がっていく様は、SF作品でしか見られない幻想的な光景だった。


「すげーグラフィックだ……」


 俺は、周囲の通行人の邪魔にならないよう道の端を歩きながら、改めて感嘆の息を漏らした。

 テクスチャの解像度、光源処理、物理演算。

 どれをとっても、現行のVRゲームの水準を数世代飛び越えている。


 だが。

 そのあまりに完璧すぎる美しさに、俺のゲーマーとしての直感が、微かな「薄気味悪さ」を感じ取っていた。


(……綺麗すぎる)


 落ち葉一つない歩道。

 シミ一つないガラスの壁。

 完璧な笑顔で談笑する人々。


 通り沿いのカフェテラスでは、洒落た服を着た男女が優雅にティーカップを傾けている。

 広場では、子供たちが重力制御されたボールを追いかけて笑い声を上げている。

 どこを見ても、平和そのものだ。


 だが、俺は知っている。

 このコロニーの運営企業が、今まさに他社からの敵対的買収攻撃――実質的な戦争の真っ只中にあることを。

 そして、わずか数光年離れた宙域には、あの『アビスウォーカー』という宇宙の捕食者が潜んでいることを。


 ここにいる住人たちは、それを知らない設定なのだろうか?

 いや、知らされていないのかもしれない。

 あるいは、知っていてなお、この強固な殻の中なら安全だと信じ込んでいるのか。


 クリスタルの摩天楼も、管理された緑も、この笑顔も。

 すべてが、薄氷の上に築かれた蜃気楼のように思えた。


「作られた楽園、か」


 俺の呟きは、周囲の幸福な喧騒にかき消された。

 すれ違う人々が、俺の異様な姿に気づき、ギョッとしたように道を空ける。

 母親が子供の手を引き、そそくさと距離を取る。

 彼らの目に、この『ナイトハウンド』はどう映っているのだろう。


 平和な日常に現れたノイズ。

 あるいは、舞台裏から迷い出てしまった黒子のような存在か。


 俺は周囲の視線を、黒いバイザーで冷ややかに受け流した。


 構わない。

 どうせ俺は、この美しい箱庭でママゴトをするために来たんじゃない。

 俺の居場所は、ここではない。

 もっと鉄と油の匂いがする場所。

 命のやり取りがある、戦いの場だ。


 視界のHUDに、目的地を示すマーカーが点滅する。


 『宇宙港・第4ゲート』。


 そこで、ユイが待っている。


 俺は人工筋肉の出力をわずかに上げた。

 足音を殺し、滑るように。

 

 黒い異物は、光り輝く楽園を背に、戦場へと続くゲートへと歩を進めた。




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