影は長く伸びて
目的の店は駅近くの路地の中にある。
朝、たまたまモーニングの看板を見つけて、時間があったから路地を覗いてみると微かにコーヒーの匂いがして誘われるまま店の前までくると個人経営の雰囲気のあるお店があった。
店中を覗くと常連さんぽい人がいてなかなか賑わっているみたい。カウンターには髭を蓄えたマスターがいて、多分お父さんより上?真剣な顔でコーヒーを作っていた。私の視線に気が付いたのか目が合う。思わずお辞儀をしてその場を後にして学校に向かった。
「へ〜、雰囲気いいね」
ともりは窓際の席に着くなり言う。昼も過ぎていたから店は空いていた。窓は下半分がステンドグラスみたいに色がたくさん入っていて外からは見えにくいようになっている。だからか座ると妙に落ち着く。それに建物全体にコーヒーの匂いが染み付いているみたいで良い匂いがする。テーブルにはメニューと紙ナプキン以外は何も置いていない。
「いらっしゃいませ」
水とおしぼりを運んで来たのはマスターだった。私の顔を見てからニッコリと笑って
「朝、覗いていたでしょ」
やっぱり覚えたんだ。そんなに目立ってたかな?そのことを正直に答える。
「あ、はい」
「喫茶店は高校生一人じゃ入りにくかったかな?」
「えっと・・そんなことないです。登校途中だったんで」
「『白羽南高校』僕もそこの卒業生。やっぱり白いセーラー服って目立つよね」
マスターは自分が高校生だった頃を思い出すように頷いて言った。
「そうなんですか。私達今年の新入生です。やっぱり目立ちますよね。この制服ずっと憧れだったんです」
あらためて自分達が着ている制服を見る。白地のセーラーには青い線が三本入っていて一目でこの学校だと分かる。他の高校にはない色。
小学生の頃。風が吹いて靡くセーラーは天使の羽根みたいに見えた。特別な存在みたいに今も脳裏に焼き付いている。私だって同じ存在に頑張ればなれると分かった時から勉強を頑張ったんだ。あの頃の私に言いたい。なれるよって。
「後輩なら大歓迎するよ。ゆっくりしていくといい」
この学校に入って良かった。絶対に後悔のない充実した高校生活にしたい。そのことを強く実感するし願いもする。だって今の私はきっと他の人から見たら天使に見えるのだから。
マスターがカウンターに戻ると私達はメニューをお互いに見始めた。辛うじてまだランチタイムだったからその中から選ぶ。
「すみません。私はこのミックスサンドとホットコーヒーのセットで」
「私はホットケーキとカフェオレのセット」
カウンター越しにマスターは『はい』と返事してくれた。
注文を済ませてから私はともりに再確認してみる。
「あのさ、部活のことなんだけどホントにいいの?」
ともりは言われたことに最初はキョトンとしていたが、すぐに理解したみたいで
「勢いって大事じゃん」
「だからって、もう一度よく考えた方がいいんじゃない?」
「あやせ、チャンスは逃したらそこで終わり、だと思うの」
「でもさ勢いだけでしょ。部活の内容だって知らないでしょ」
「ヒッチハイクをするんでしょ」
「まあ、そうなんだけど。ともりの目的はヒッチハイクじゃなくて相澤君でしょ」
「もちろん。一番はね。でもさ、部活入るならあやせと一緒がいいって思ってた」
水を一口飲んでから深呼吸して真面目な顔になって
「言いたいことは分かる。いいのそれで。でもさ、あやせがどうしても嫌っていうなら諦めるけど」
「別に、そこまでは言ってないよ」
ともりはニッコリ笑うだけでそれ以上は何も言わない。ま、一週間は仮入部期間だ。それを体験してから答えを出してもいっか。何にしてもともりは私といたいみたいだしね。
「君達もしかしてヒッチハイカー部に入ったの?」
マスターは言いながら目の前にサンドイッチ達を置いてゆく。
「今日入部届け出しました」
ともりが元気に答える。
「ははは、元気がいいねえ。そっかあの部にね」
「知ってるんですか?」
「知ってるも何も」
マスターはカウンターの上に掛かっている額縁の中の写真を指差す。
「ウチの娘。あれは最初にヒッチハイクした時の写真。ちょうど今の君達と同じ一年生だよ。今どの辺りにいるのやら。予定だとそろそろ帰って来るはずなんだけどね」
席を立って近くまで行ってみる。B5くらいの大きさの写真には
「・・・・あ・・いた」
それは目的地に到着した時の写真で場所は軽井沢だ。その写真は知っている。何たって私が一番会いたくて憧れていた先輩。今日部室にいないのが残念だった。そっか、今はヒッチハイクの最中だったんだ。
写真には達成感溢れる笑顔がある。私もそんな風に笑いたいと一瞬にして思った。たまたまネットで見かけてそれが受験する高校だと分かった時、自分の胸が熱くなったのを今でもハッキリと思い出せる。
「あの、マスターは『ヒッチハイカー亜衣香』のお父さんってことですよね」
興奮してついこんなことを言ってしまう。マスターはあご髭を触って
「もちろん。そういうことになるね」
「で、ですよね。私、なに言ってんだろ」
顔が真っ赤になってゆくのが分かる。私は笑って誤魔化して席に戻る。
「大丈夫?」
ともりの声もロクに耳に入ってこない。心臓がドキドキしてサンドイッチの味もロクに分からない。こんな偶然があるのだろうか。やっぱり私は運命に導かれている。ともりの言っていたことが理解できる気がする。
「・・・ごめん、なんだか一人で盛り上がっていたみたい」
「別にいいけどさ、ふ〜ん、あの人があやせの憧れの人ってわけね。ねえここのホットケーキ超美味しいの。一口食べてみる?」
ともりはフォークに一口分だけ乗せて私の口元に持って来る。
「どう?なかなかでしょ」
「・・・確かに・・・美味しい」
「で、コーヒーを飲む」
言われた通りコーヒーを一口飲む。
「どう?少し落ち着いたでしょ」
私はホッと一息つく。コーヒーの香りが鼻に抜けてゆく。おかげで冷静になってゆく。
「ま、まあね」
落ち着いてからもう一度写真を見せてもらう。やっぱり眩しいほどの笑顔がある。きっと楽しい旅だったのだろうな。
私の行きたい所。そう考えると急には浮かばない。ヒッチハイクでどこに行ったらいいのだろう。どこに行きたいのだろう。
カラン
お客さんが入って来る。
「マスター、テイクアウトお願いします」
ん?この声
「あ、やっぱり凛柊先輩」
「あら?藤川さんに逸見さん?二人ともここでお茶してたんだ」
奥からマスターが出て来ると
「マスター朗報です。さっきアイアイ先輩からラインが届いて東京に入ったそうです。始業式に間に合ってよかった」
「まったく、家にはロクに連絡を入れないで部活にはちゃんとそういう連絡はするんだからな」
マスターはとても安心した顔をしてコーヒーのドリップを始めていた。香ばしい匂いが店全体に広がってゆく。コーヒーの匂いってなんだか落ち着くなぁ・・・結構好きかも。
「やっと帰って来るか。今度はどんな話を持ってくるのやら」
マスターはカウンターから写真を眺める。それからポットをカウンターの上に置いて
「はい、お待ちどう。それにしても今年は新入生が二人も入って賑やかになりそうだな」
今度は私達の方に視線を向けて言う。
「マスター、今年はもうすでに三人ですよ」
「三人。なるほど。確かに。あいつも帰って来たらきっと驚くだろうな」
二人はなんだか楽しそうに笑顔で顔を合わせる。つい誘われるように
「あ、あの、今から部室に行ってもいいですか?」
凛柊先輩はちょっと驚いた顔をしていた。そして私に分かりやすく説明するように話す。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど何時になるか分からないの。アイアイ先輩次第ってとこあるから」
「構いません。どうせ今日はもう帰るだけだったので・・・挨拶できたらって」
「う〜ん。じゃ、ちょっと待ってて」
凛柊先輩はスマホを出して電話を掛ける。
「ねえ、本気?」
「うん。ともりに付き合えなんて言わないから。一人で行くし」
「何よそれ。私がいたら邪魔なの?」
「そんなことないよ。そうじゃないの。だって完全に私のわがままだから」
ともりは残りのカフェオレを飲みきって
「親友ならわがままくらい付き合うでしょ。私もあやせの憧れの先輩も会ってみたいし」
ニッコリ笑う。
ともりの中で私はいつの間にか親友という格付けがなされているらしい。一体私のどこにそんな要素があるのだろう?不思議だな。そんなふうに言われて嫌な気はしない。
「ともりは私の親友になったの?」
「ま、そう言うには日が浅い?でもさ、なれるならなってみない?」
ホントに?本気なのかな?ともりの視線から嘘とか冗談を言っているようには見えない。でも急にそんなこと言われても今の私は具体的な答えを持っていない。早く何か言わないと・・・・・・・えっと
「・・・・あのさ私、友達と親友の違いってよく分かんないけど。ともりの気持ちは分かった」
「で?」
「で、って。う〜ん・・・・とりあえずってことじゃ駄目?」
私は思いつく限りの誠意で答えた。
えっと、これはなんだろう。何で私とともりは握手をしている?
「いいよそれで。じゃ、仮同盟ってことで」
ともりは納得したように
「私もいいよ。じゃ、仮親友ってことで」
笑っている私達に凛柊先輩が
「下校時間の17時までならいいって。それより遅くなりそうなら、ちゃんと帰るって約束するなら、って部長の許可が出たよ」
「やった。ありがとうございます。約束します」
私より先にともりが言う。この瞬発力はなかなかだ、と感心している場合じゃない。
「ともり、それ、私が言う台詞だから」
「だから仮親友の私があやせの代わりに言ってあげたんじゃん」
見るとカウンターに置いてあったポットを持っている。一体いつの間に?
「じゃあ先輩、部室に戻りますか」
「それも私の台詞!」
私達は三人並んで学校に戻る。部室に戻ると部長しかいない。
「ああ、二人はとっくに家に帰った。用事があるそうだ。それに今日はもう人が来ないだろう。私と凛柊がいれば十分、十分」
蛍光灯のおかげでやっと部長の顔をはっきりを見ることができた。キリっとした大きな目。それだけで頼りになりそうな印象を受ける。髪はともりと同じくらいの長さだ。背は私より五センチは確実に高い。けれど一つ分かったのは後ろ姿だとともりと見分けがつかないということ。椅子に座れば身長差が気にならない分余計に見分けがつかないような気がする。こっそり凛柊先輩に言うと笑って同意してくれた。
「さて、アイアイのヤツ、用賀から地下鉄に乗ったらしい。これなら、ま、ギリギリかな」
「あの、みなさんはどうして“アイアイ”って呼んでいるんですか?」
気になっていた疑問を投げかけてみた。
「だっていつも落ち着きがなくてお猿みたいだから」
部長は真顔で即答する。きっと同じこと何回も聞かれているんだろうな。
「そうなんですか」
落ち着きがないお猿を想像する。だが大体のお猿は落ち着いていないような気もするが・・・。
「あの藤川さん、部長の嘘ですよ」
「え!」
「もう、いきなり一年生からかわないでください。私の時もそう紹介されたけど。ホントは名前なのよ」
「あ、そっか『亜衣香』だからですか?」
「そう、フルネームが『相澤 亜衣香』だからそれでアイアイって昔から呼ばれてるの」
「・・あい?・・・ざわ?」
その名字。なぜイケメンの顔が浮かぶ?
「そっか。六組なら知ってるでしょ。彼とアイアイはイトコなのよ」
「えっと・・ちょっと待って下さい。相澤君と亜衣香先輩はイトコってことですか?」
「そういうこと。納得出来た?」
「だからこの部に入ったんですか?」
「なんでもアイアイの命令だったらしいな」
「そうなんですか?浅倉部長」
部長は笑っている。それを見てから凛柊先輩が紙コップにコーヒーを取り分けて
「部長、どうぞ」
「さっきから待っていた。ありがとう」
部長は何も入れずにそのまま飲む。部室は一瞬でお店と同じ匂いになった。
「さっきも飲んだろうけどあなた達もどう?一応砂糖とミルクもあるわよ」
凛柊先輩はもうカップに注いでいたのでありがたく受け取る。私は角砂糖を一つとミルクを一つ。ともりは私の三倍は確実に入れていた。
日が本格的に暮れ始める。部室がだんだん赤く変わってゆく。それは部長との約束の時間が迫っているということ。間に合わなかったのかな。約束は約束。明日にはきっと会える。そう思いながら帰る準備でもしようとした時
「お」
部長のスマホが震えた。思わず胸がドキッと音を立てる。時間を見る・・・まだ、もうちょっと。
「到着かな。さて君達の帰宅時間といい勝負みたいだ。みんなで盛大に出迎えよう」
全員で校門に向かって歩き出す。私達が近づくと同時にこちらに向かって来る影が一つ。逆光のせいで顔はまだはっきりと見えないけれど、その人の影だけが一足先に学校に戻るみたいに細く長く伸びていた。
その時だ。
時間が止まったような景色が私の目の前に広がっている。まるで大事な瞬間を切り取ったみたいに。決して忘れることのない大切な思い出のページとして。細部まで鮮明に私の中にインプットされる。
やがて声が聞こえる。
「ただいま」と。
アップの度に長くなってすみません。そしてお付き合いいただきありがとうございます。
どこで切るか悩んで切れなかった私はきっとまだまだなのでしょう。
長くなっても読みやすくをモットーにします。
次回も機会がありましたらよろしくお願いします。




